日本文化の入り口マガジン和樂web
9月19日(日)
生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである(セネカ)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
9月16日(木)

生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである(セネカ)

読み物
Craft
2019.09.26

おかえりなさい!世界を魅了する日本の竹工芸の里帰り展!

この記事を書いた人

竹工芸は3エリアの特徴をチェックすべし!

また展示室は、竹工芸が盛んだった3つのエリア<東日本><西日本><九州>別に分類。土地柄で竹工芸の発展の仕方も大きく違っており、それがとてもわかりやすい構成に。

【東日本】職人が「作家」としての地位を確立していく舞台となりました。もともと竹工芸が盛んな栃木から作家が東京に進出し、帝展などの美術展覧会に出品することで、竹のもつ可能性や魅力を存分にアピール。竹工芸を芸術品にまで高め、ドイツの建築家、ブルーノ・タウトにも高く評価された竹工芸の大家・飯塚琅玕斎(いいづかろうかんさい)をはじめとする大家たちの作品を観ることができます。

東京展だから叶った親子共演も。左は飯塚琅玕斎の『花籃(はなかご)あんこう』(東京国立近代美術館所蔵)、右は琅玕斎の次男・飯塚小玕斎の『花籃 穏心(おんしん)』(アビー・コレクション)。DNA…!

こちらも飯塚琅玕斎による『花籃 旅枕』。同じ花籃でもまったく違う佇まいなところに、竹工芸の奥行きを感じさせます。

【西日本】大阪を中心に流行した茶の文化が、竹工芸に大きく関わっています。江戸時代末期から明治時代の初めの大阪では、「唐物(からもの)」と呼ばれる中国製の道具類が流行。その影響を受けて西日本の職人たちも唐物風の煎茶道具をつくるようになり、籠師と呼ばれた専門の職人によって独自の編みの手法や様式が発展したそうです。初代早川尚古斎(はやかわしょうこさい)、初代田辺竹雲斎(たなべちくうんさい)などの作品がこのエリアを彩ります。

こんなしつらえもかわいい!初代前田竹房斎の『盛物籃 木の葉(もりものかご このは)』に三代山田常山の『常滑茶注(とこなめちゃちゅう)』が添えられて。

この並びも面白いですよね。右の初代早川尚古斎の『山高帽』に対し、陶器のヒール靴が飾られています。これは三輪龍氣生(みわりゅうきしょう)の『愛の為に』という作品。明治と昭和、つくられた時期は違うのですが不思議と違和感がなく。

【九州】大分の別府は竹林が多く、資源豊かな場所だったことから、竹細工産業が盛り上がったエリアです。技術者の養成にも力を入れ、多くの名工が生まれたとか(余談ですが、大分には全国で唯一の竹細工を学べる公立学校「大分県竹工芸訓練センター」が現在もあります)。竹工芸では初の重要無形文化財保持者となった生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)も、大分で活躍しました。

ずいぶんと作風は違いますが、どちらも生野祥雲斎によるものです。左から『宗全華籃(そうぜんはなかご)』『七宝文煤竹網代編盛籃(しっぽうもんすすたけなわしろあみもりかご)』。

書いた人

編集プロダクションからファッション誌のエディターに。ファッション以外に挑戦したくなった矢先に「和樂」に捕縛される。商品開発を主に担当しているが、早くもアパレルに着手し始め、人生の矛盾を感じている。