85歳の現役蒔絵師 松田眞扶。飾らない現代の名工に聞いた人生訓が深かった

85歳の現役蒔絵師 松田眞扶。飾らない現代の名工に聞いた人生訓が深かった

少し気難しいという第一印象は、お会いして2秒で崩れ去った。ふんわりと笑う中に、一本真っ直ぐな筋が通った、そんな人だった。

漆で文様を描いて、金粉を蒔(ま)いて固める「蒔絵」。その蒔絵を本業とするのが、今回の取材の相手、「蒔絵師、松田眞扶(まつださなお)」氏(85歳)である。福井県で蒔絵を本業とする家に生まれ、父親のもとで修業。その後、人間国宝寺井直次(てらいなおじ)先生に師事し独立、平成20年(2008年)に現代の名工に認定された。

どうすれば、ここまで自分の道を極められるのか。
凡人からすれば、至極真っ当な疑問である。真似とまでは恐れ多くてできないが、少しでも生きるヒントをもらいたい、そんな切な願いを込めて、話を伺った。

何もかもが規格外。85歳にしてエリック・クラプトンに大興奮

「15年前かな。念願叶って、しょっちゅう聴いてたエリック・クラプトンのコンサートに行った」

一体何から話が始まるのかと思えば、エリック・クラプトン様。気付けば音楽の話で1時間が過ぎていた。じつは、もともと音楽好きなのだとか。4、5歳のときに蓄音機を買ってもらい、以来ずっと80年間音楽と共にある人生だ。

「音楽は流れたらいいってもんじゃない。ずっと聴いても飽きのこんのが、本当にハマるいい曲やと思う。音楽は自分の肥やしになっていく。ツェッペリンを明けても暮れても何年も聴いたことがあるし。サンタナも聞いたし」

出るわ出るわと、アーティスト名、曲名、ジャンルと、これでもかと続く。アルゼンチンタンゴ、クラリネットのベニー・グッドマン。カーネギーホール演奏の「sing sing sing」だ。ジャズもいい。アニマルズ、ツェッペリン、ローリングストーンズ、エリック・クラプトン。本物のロックの時代が終わり、次を探していたところエニグマを発見。これも10年ほど聴いたとか。そして5年前に巡りあったのが草原歌手。そのCDも見せて頂いた。なんでも、早稲田大学の中国人留学生と知り合って、草原歌手などのCDを送ってもらったという。

中国人歌手のCDなど。上段の左が「タオラン」、下段の右が「ハンフオン」

「これ、わたくしの財産です。これは『タオラン』。こっちは『ハンフオン』。チベットの国民的英雄で女性の兵隊さん、マライアキャリーのような高い声を出す。他のは草原歌手(そうげんかしゅ)」

内モンゴルの民族音楽を歌うのが草原歌手。日本でいえば民謡みたいなものだ。腹から出る声が心に伝わるという。同じ表現者としての視点を教えられた。

「欲も野心も何もない。ただ音楽が好きなだけ。表現する者、絵でも歌でもなんでもそうやけど、野心があったらあかんと思う。心を表現するさかいにな。歌いたいから歌っているだけで。それで伝わってくるんやなと聴いてて思った。いくら嘘ついても、付け焼刃でそのときはうまくやっても、ばれるもんじゃ」

ちなみに、真剣な表情で語ったあと、「そう思ってやってても、こんだけ自分はやれるかというと、まだこんなもんじゃ」と照れ笑い。そのあとも、目をキラキラさせて音楽の話はまだまだ続く。何より大好きなエリック・クラプトンの話だ。日本で行われているコンサートには欠かさず観に行くという。

「今年で4回目。4月17日にクラプトンのコンサートへ行った。19時にジャジャーンと始まって、テンション上げたまま、休憩もなんもなしで2時間ぶっ通しやったのう。びっくりした。相撲やら歌舞伎やらの幕間での休憩はないんや。テンションが上がったまま。ギターの神様っていうだけあって、ちゃらんぽらんやなしに、真剣にずっとやってるでできるんやな。見習わなあかんなと思った。クラプトンには教えられ、パワーをもらった」

福井県の越前漆器の産地では、一番年長の松田眞扶氏。それでも奢ることなく、人を見習う姿勢を忘れない。そして、何度も年齢を出して申し訳ないが、とても85歳には見えないパワフルさだ。その源はやはり音楽なのだという。

「首の皮一枚になったときに、音楽に救われた。ただ趣味で聴いてるとかでない。自分にとっては栄養源。ここまで間違わんと来れた一番の栄養源。お陰やと思てる。音楽は恩人」

音楽だけではない。師事した寺井先生も、クラプトンも、そして、わざわざCDを日本まで送ってくれたこのエリート留学生も、眞扶氏からすればすべて恩人なのだそうだ。

受賞歴は数知れず。それでも初の大臣賞に涙したワケ

さて、ご本人曰く「ここまで間違わずに来れた」とのことだが、「ここ」とはまさしく蒔絵師の頂点を指すといってもいいだろう。それくらいに、松田氏の経歴は立派で輝かしい。

越前漆器展初出品を皮切りに、その後多くの展覧会に作品を出している。出品を重ねるほどに、その受賞歴は凄まじく、全国漆器展では各種大臣賞をはじめ入賞31回、全国伝統的工芸展でも入賞7回。昭和52年(1977年)に越前漆器蒔絵伝統工芸士認定、昭和56年(1981年)に越前漆器蒔絵一級技能士認定。平成20(2008年)年には「現代の名工」に認定され、翌年に「黄綬褒章」受賞、鯖江市指定無形文化財にも認定されている。平成31年(2019年)は、福井県からの依頼で秋篠宮眞子妃の文庫に「木香茨(もっこうばら)」の蒔絵を献上する機会に恵まれたという。

皇室献上品の写真

じつは、失礼ながら取材をするまでこんなにも受賞歴が多い方だとは知らなかった。ホームページなどにもほとんど掲載されておらず、謎に包まれていたのだ。ただ、話の途中でというか、取材がほぼ終了しかけたところで、この受賞歴がさらにもっと長く続く「略歴」を見せて頂いて驚愕した。

この数ある受賞歴の中で、本人が涙した賞があるという。
「目の黒いうちはやらんでな、そう覚えておけって言われての。5、6年は干された」

どのような業界にも、様々な立場でそれぞれの権利が絡み合う。しがらみが多い世の中では、見て見ぬふりの事なかれ主義が、世渡り上手、うまい処世術と評価される。しかし、松田氏は「長い物には巻かれろ」が性に合わない。弱い者いじめはしない。偉い者にも別に言うことはない。ただ、偉そうな者には我慢できないという性格の御仁。自分の信念を曲げずに衝突をしてしまい、その結果、大臣賞を遠ざけてしまったのだ。しかし、我慢できずにタンカを切ったその年、半ば諦めていたところで、まさかの大臣賞受賞の知らせが舞い込んだ。

「その年に初めて大臣賞をとることができてのう、先祖の人か神様か仏様かしらんけど、取らしてくれたって涙出た」

じつは、5時間にも及ぶ取材の中で、受賞の話はこの大臣賞のときのみ。それも違う話のついでにポロっと出てきた。そのせいか、特に賞へのこだわりがないように見える。名誉欲とはほぼ無関係な、蒔絵さえできればいい、満足のいく出来栄えさえ残せたらいいという純粋な感情があるのみ。しかし、時に人は、思いもよらぬタイミングで褒められれば、ふと自分が欲していたことに気付くのかもしれない。正攻法で受賞を勝ち取った大臣賞。自分の信念を貫いたゆえの涙なのではないだろうか。

怖いもの知らずの方がチャンスを掴む?

「わたくしが真剣にやりだしたのは60から85までの25年間」

ご冗談かと思ったが、そうでもないらしい。そのあとに「それまでは辛かった」という松田氏の一言を聞いて、「真剣」が一般的な意味合いではないことに気付く。

60歳までが真剣ではなかったというわけではない。その頃までは景気も良く下請けの仕事ばかり。多忙を極めるなか、それでも勉強と思って毎年の出展も欠かさなかったのだとか。ただひたすら修行し、独立後も目の前の仕事を一生懸命にやり遂げる、そんな人生だったのだ。しかし、60歳を超えてからは、今度は仕事が激減する。ただ一方で、自分の思うがまま、自由に制作できる時間が増えたともいえる。これまでのがむしゃらな無我夢中の境地ではない。いったん立ち止まって、蒔絵と対等に向き合うことができたのがこの25年間なのだ。人生よいことと悪いことは絶えず背中合わせだと受け止め、結局のところ、どう捉えるかは自分次第なのかもしれないと松田氏も振り返っている。

「人間は見栄を張ってたらあかん。あかんときは丸裸になる気でやらな、そして自分で這い上がって来な、ものにはなれんなと思う。ほいで、ピンチになったときに、途中で方針を変えると人が笑うやろとか、なんか言われるやろとか、格好悪いでできんやろとかと思ってる間に、時期を逃してしまう。そういう決めなあかんチャンスというのは、誰でも一生の間に1回か2回はあるはずやでな」

頭のいい人間はこれを逃してしまうのだという。色々と考えるからだ。これを続けていいのだろうか、やらなくてもいいのではないか。考えすぎてチャンスが通り過ぎる。

「怖いもの知らずの方が、思い立ったときにパーッとやるもんや。そういう者がきっかけにチャンスを掴む」
人間誰しも岐路に立つことはあるが、そのときは松田氏の言葉を思い出したい。ためらわずに自分が選択した道へ飛び込むことも、時には必要なのだ。

病気は「よく仕事をした勲章」

「親父によく言われたのは、『あほならできんけど、あほにならなできんのやぞ』。没頭せなあかんということやな。単細胞やで、仕事しすぎが理由の病気ばっかりや」

だから、病気は「よく仕事をした勲章」なのだという。
まず、47歳、52歳でそれぞれの目が眼底出血となる。眼底出血とは、網膜表面の血管の破綻などで起こる網膜の出血の病気だ。蒔絵には一点だけを集中して見る作業が多い。そのため、目を酷使したしわ寄せが病気となって表れたのだ。ある意味、職業病なのかもしれないが、蒔絵を行う上では致命傷といえる。

「だいたい、3~4ヶ月で失明するんやって言われた。でもまだ見えるんやでな。お医者さんが不思議がってた。あんたは運がええのうって」

急な発症だったという。車に乗ってる最中に靄がかかり、焦点が狂った。対向車線の1台の車が並行に7台走ってくるように見え、どれが本物かさえ分からなかったのだそうだ。

「病院で目を見せた途端に看護婦さんが走り出して。ああ、悪いんやろなって。走馬灯(そうまとう)っていうけど、あのとき7人の弟子がいて、受け取ってもらえるかわからんけど、あの子はあの人に頼んで、この子はこの人に頼んでって。ぐるぐると考えが回ってな」

52歳に発症した眼底出血の際は、レーザー手術を施された。それも、拷問に遭うほど辛いのだとか。
「麻酔の目薬で瞳孔を広げて。目開けてられんし眩しいし。ピストルみたいなもので、切れた血管をハンダ付けする。バチッ、バチッと。目が潰れてしまうんちゃうかって脂汗が出る。これを30回ほどやりますって。暇なんで数えてたら70回ほどやられた」

それでも、眼底出血から奇跡的な回復を遂げたが、どうしても集中すると自分の健康は後回しとなるのだろう。肺炎、帯状発疹、メニエル病、五十肩と病気は続く。病気に悩まされ、それでも蒔絵を続けられることに感謝する。病気を「仕事した勲章」と言わしめる。これが人間力というものなのだろう。

突き詰めれば「自分」にたどりつく

「親父にはきついしごかれたけど。恐れ多くて泣くしかなかった。よう泣いた覚えがある。『枕を濡らさな一人前にならん』って、そんな言葉があったんやなって、あとから知ったけど(それを)地でいったわ」

松田眞扶氏の父親は、京漆器の老舗「象彦(ぞうひこ)」で修業された松田秀悦(まつだしゅうえつ)氏。眞扶氏は、21歳まで父の下で蒔絵技術を習得したのだという。その後は、人間国宝寺井直次(てらいなおじ)先生に師事している。父親の下での修業は、毎日小言の連続。どうすれば小言を言われなくて済むかばかり考えて、ただ一生懸命やるしかなかったのだそうだ。

「ほいで、そういう辛いときに涙出ても諦めんと、ふてくされんと、やけくそにならんと『耐える時期』を通ってこなあかんもんやなって、今思てる」

「クラプトンが教えてくれた『ずっと続けてやること』。ちゃらんぽらんはあかん。のらりくらりとやってるのはあかん。自分で先に固めてやっていくと、ずっと続けられる。今になって分かる」

数多くのビジネス書には、「本物」「一流」の人間はまさしく謙虚だと書かれている。私も何冊か読んだが、「自慢しない」「謙虚」などが共通項だ。しかし、そのような御仁には、なかなかお目にかかることがない。大体、人間は自慢したがるし、承認欲求が強いものだ。社会的地位が高ければ、それなりの修羅場を越えてきただろうし、自然と自分の武勇伝の話になるのも理解はできる。

ただ、松田氏の話には「自慢」がない。
「『原因はすべて我にあり』で、自分次第やなと思ってる」

何事も人のせいにせず、ありのまま受け止める。常日頃から、壁に当たってもクリアする『免疫』をつけることが大事だという。自慢することなど何もないのだ。すべての結果は、もとをただせば自分に行きつく。「原因」と「結果」には繋がりがあって、それをわざわざ大きく見せる必要もない。ダメなら潔く受け止めるのみ。松田氏の「自分次第」という言葉の重みが伝わってきた。

85歳にしていまだ進化し続けるその先には?

「絵はアドリブ。型押ししたら印刷と同じでのう。マニュアル通りでは面白みもなんともない」

だから、同じものを作ってほしいと言われたときが困るのだと、苦笑いする。しかし、逆をいえば、それが「味わい」というものだろう。同じ器でも、1点1点の微妙な違いが、作品に「生」を与えるのだ。個の違いを「趣き」と捉えられる、どこか余裕のある社会であってほしいと思うのは私だけだろうか。

「進歩したらあかん、変わったらあかん。そんなあほな世の中でねーげん。みな変わっていかなあかんのに」

懐メロは聴いたことがないという。なんでも過去に戻るのが嫌だからと。
先日、展覧会に抽象的な作品を出品した際に、偶然、鑑賞していた人の呟きを耳にしたそうだ。年だから細かい絵が描きづらいのではないかと。松田氏は、現在、女性の絵柄の作品にとりかかっている。絵柄の中では、一番女性を描くのが難しいのだとか。描くことで自分が衰えていないと判断したいという。85歳にして全力で前だけを向くその姿に、ただただ圧倒され、そして頷くしかできなかった。

ちなみに取材の最後の一言はこちら。
「これがB型の特徴や。可もなく不可もなくはあかん。なんか特徴がないとな」

そして、こんな私に対して、「取材に選んで頂き光栄です。ありがとうございます」と、丁寧に深々と頭を下げられた。気付けば、取材を開始してから5時間が過ぎていた。

後日、松田氏とのやり取りの中で、このような言葉を頂いた。

我が家を選んでいただいて光栄です。
これはイロハのイの字。研ぎ出し蒔絵、肉合い(ししあい)蒔絵と先人が編み出した技法は複雑で奥深い。やってもやっても終着にたどりつかない。難しいため、好きな人にはこんな深い面白い仕事はない、昔から『土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れ』と男の三惚れという格言がある。三番は相手次第。しかし、この土地に生まれ、この仕事に就いた。『感謝』というのは、相手はなく自分次第。原因はすべて我にありです。

言葉を紡ぐことを生業としながら、これほどまでに「言葉」が軽い存在だと思い知ったことはない。矛盾しているだろうか。しかし、これが取材を終えての率直な感想だ。自分の仕事をもちろん放棄しているわけではない。ただ、どんなに言葉を重ねても、蒔絵師「松田眞扶」という生き方の本質を伝えきれないのではないかと不安になる。

「特別に取材することなどないです。ただ一生懸命やってきただけですから」
取材の申し入れを初めて行ったときに、電話口で本人に言われた言葉だ。
そのときは言葉の「裏」から、やんわりと断られたと先走ってしまった。取材が確定しても少し気難しい方なのかと心配したほどだ。しかし、今思えば、松田眞扶氏の生き方はこの言葉に尽きるのだと妙に納得できる。

野心など何もない。ただ、目の前の「蒔絵」に一生懸命打ち込んだだけ。逃げずに向き合い続けただけ。きっとそう伝えたいのだ。ようやく、結果が追いついただけだと。

だから私も伝えたい。一人でも多くの人に、「松田眞扶」という生き方を。先人が身をもって証明した「真摯」に生きること。そうすれば、いつかは我が道にも希望の灯がともることを信じたい。

写真撮影:大村健太

基本情報

店舗名:松田蒔絵有限会社
住所:福井県鯖江市河和田町12-17(蒔絵ギャラリー)
電話番号:0778-65-0760
公式webサイト:蒔絵スタジオ祥幹(東京)

85歳の現役蒔絵師 松田眞扶。飾らない現代の名工に聞いた人生訓が深かった
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする