武士の間で愛された「硬くて柔らかい」関の刀!今こそ日本の最後の砦、刃物産業を知るべし!

武士の間で愛された「硬くて柔らかい」関の刀!今こそ日本の最後の砦、刃物産業を知るべし!

目次

刃物産業の町、岐阜県関市。

筆者は三十路もしばらくしてから、この町に関わるようになった。自分がナイフマニアだからこその必然とも言えなくもないが。誰に指示されたわけでもなく、己の意思のみでまったく縁のない土地に出向いた行動力は自分でも大したものだと思う。

国内有数の刃物メーカーが軒を連ねる関は、世界的にもその名が知られている。関で鍛冶の修業を積んだ海外の職人が、ヒストリーチャンネル『刀剣の鉄人』でチャンピオンになったこともある。

そんな関が1年のうちに最も賑わうのは、10月の『関刃物まつり』である。

2019年は中止

10月11日は筆者の誕生日だ。しかし令和元年の誕生日は、パーティーやプレゼントどころではなかった。

台風19号が近づいている。

発生から40時間足らずで中心気圧915hpaに到達したこの化け物台風は、よりにもよって伊豆半島に上陸した。駿河湾を挟んだ静岡市即ち筆者の自宅は、暴風域の只中である。

この時、関市内で開催されるはずだった関刃物まつりは、中止の決定が下されていた。

関の各刃物メーカーが屋台のようなブースを出し、自慢の商品を割引価格で販売するこのイベントは、日本国内はおろか海外からも見物客を集めている。その来場者数は約25万人。関市の人口は9万人弱だから、その3倍近くの群衆が押し寄せるということだ。

それだけの巨大イベントが、今年は中止になった。10月12、13日に開催予定だったから、台風19号の影響を真正面から受けてしまったのだ。

伝統行事と台風の関係について、筆者は以前記事にしている。日程を延期するのではなく、その年の行事自体を中止せざるを得ない事情は警備業界の人手不足によるものが大きい。人口の3倍もの来場者が詰めかけるイベントであれば、尚更だろう。

軒を連ねる「刃物ブース」

以上の理由から、この記事では3年前の関刃物まつりの写真を掲載する。

関中心街のメインストリートとも言える本町通りの両側にブースが立ち、そこで歩みを止めたら迷惑がかかってしまうほどの賑わいだ。包丁、折り畳みナイフ、ハサミ、砥石など、人が生きていくうえで必要な道具は全て揃っている。しかも国産のものばかり。確かに海外生産の製品は、その品質が年々良くなっている。「安かろう悪かろう」だった中国製品は、今やスマホでもPCでも日本メーカー以上のものがある。

しかし、いやだからこそ、刃物産業は日本にとっての「最後の砦」という状態になっている。

高い金を出して買った包丁やハサミは、まさに「一生もの」の代物だ。刃が欠けても研げばまた使える。その上、現代の刃物の鋼材は昔のそれよりも硬く強くなっている。毎日研ぐ必要はないし、まさか持ち主が老衰を迎えるまでにすっかり短くなって使えなくなるということはないだろう。

そんな「一生ものの刃物」が、このイベントでは勢揃いしている。それも割安価格で。

分業制の町

室町時代、関の刀は武士から多大な信頼を勝ち得ていた。

そのきっかけは応仁の乱である。足利幕府はのちの徳川幕府とは違い、将軍家は各地の諸大名をまとめる「司会役」に過ぎなかった。そのため、足利家の中でも誰が将軍になるかで守護大名同士が争う始末である。さらに幕府管領家の家督争いも加わり、15世紀中頃からの日本は混沌の時代に突入した。

だが、時代が変われば新しいモノの需要も発生する。関の刀は「硬くて柔らかい」という評判が武士の間で広まったのだ。「硬くて柔らかい」という表現は、決して矛盾するものではない。関の刀は「四方詰め」と呼ばれる、柔軟性のある芯材の四方を他の鋼材で囲んで鍛接する技法を採用していた。強靭なのにしなるから、折れることが少ないのだ。まさに「魔法の武器」である。

また、関の刀剣産業は極めて合理的だ。

鍛接でブレードを製造する職人、それを研磨する職人、柄を作る職人、鍔を作る職人、鞘を作る職人、これらは別人物である。つまり分業制が確立しているのだ。

各部位を製造する人間が異なるということは、それらのパーツの分解結合が容易でもあるということ。もし柄が壊れたら、それを外して交換すればいい。分業体制ならではのユニット化が達成され、現代でもその仕組みが継承されている。

関の包丁も、それぞれ分野の違う複数の職人が携わっている「技術の結晶」なのだ。

人類と道具

21世紀の今、自分の手でナイフを持たずとも何ら不自由なく生活できる。

が、現実問題として関刃物まつりには数十万の来場者が訪れるし、それ故に今年の中止は大いに惜しまれた。

新約聖書のキリストの言葉を借りれば、人はパンのみにて生きるにあらず。ただ単に「食べているだけ」であれば、それは家畜と変わらない。自らの手で料理を作り、紙を切り、道具から道具を生み出さなければ人は人となり得ない。自分で料理ができなくても生きていける時代に、それでも包丁というものが存在し続けるのは、人の本能から起因する現象だ。

大人も子供も、自分だけの1本を持つべきだと筆者は考える。こう書くと押しつけがましく思われるかもしれないが、「いいもの」があるのとないのでは生活の豊かさにも差が出てくる。

可処分所得がいくらあるか、ということではない。1週間の中で充実した時を過ごせるか否か、という問題だ。

いいナイフは、平凡な生活に彩りを加える。

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