1年がかりで太平洋を横断!日本人で初めてイギリスに帰化した漂流民・音吉

1年がかりで太平洋を横断!日本人で初めてイギリスに帰化した漂流民・音吉

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江戸時代は、日本人が海外に渡航することは原則として禁止されていた。

しかし、日本は島国である。海に出た船が難破して外洋に流されてしまった……ということは度々あった。ジョン万次郎やジョセフ彦がそうだし、ロシアまで漂流した大黒屋光太夫という人物もいた。

尾張出身の船乗り音吉も、やはり乗っていた商船が遭難してアメリカ、そしてイギリスに渡航することになってしまった。が、この音吉はキリスト教の布教史に大きな足跡を残すことになる。

新約聖書の日本語翻訳に関わり、さらに日本人で初めてイギリスに帰化した。福沢諭吉の洋行の手助けもしている。一般的な知名度は決して高くないが、日本の開国に大きく寄与した人物、それが音吉だ。

遠州灘からアメリカ西海岸へ

1962(昭和37)年に冒険家の堀江謙一氏が小型ヨットでの太平洋単独無寄港横断を達成した。

太平洋を小さな船で渡り切るというのは相当な勇気を必要とするが、堀江氏の偉業から100年以上も前に図らずも太平洋横断を達成してしまった人物が存在した。

音吉、久吉、岩吉の3人である。彼らは宝順丸という船の乗組員だが、要は漂流民である。

1832(天保3)年10月、鳥羽を出港した宝順丸は江戸へ向かうはずだったが、遠州灘で暴風雨に巻き込まれて遭難。1年以上の航海を経てたどり着いた陸地が、オリンピック半島だった。

オリンピック半島がどこにあるのか分からない人もいるはずなので、Google Mapで見てみよう。シアトルの西側、バンクーバーの南側にある半島である。風光明媚な場所に漂流できて良かったね、などと言ってる場合ではない。遠州灘からアメリカ西海岸まで、音吉たちは無寄港でやって来たのだ。その間に宝順丸の他の乗組員が次々と落命している。

音吉たちは現地に居住するネイティブアメリカンに発見され、のちに彼らの手でイギリス商人に売却された。この時点で、音吉たちは奴隷の扱いだったのだ。

しかしイギリス人たちが「どうやらオトキチ一行は日本人らしい」ということを知ると、急に待遇が変わった。長らくオランダ以外の西洋諸国とは外交のチャンネルを閉じてきた日本。19世紀前半のイギリスは大成長を遂げ、さらなる海外拠点の開拓を目論んでいた。そのためには極東の島国日本との通商は必要不可欠である。音吉たちは外交上の極めて重要なカードとなった。

幕府を動揺させた「モリソン号」

「浦賀奉行異船打払ノ始末届書」より 国立公文書館蔵 

1837(天保8)年、日本で「モリソン号事件」と呼ばれる出来事が発生した。

アメリカの商船モリソン号が日本に来航し、日本人漂流民の本国帰還を提案すると同時に通商を求めた。しかし徳川幕府はそれを拒否した上、モリソン号に対して大砲の威嚇射撃を行った。

日本側からすれば、これは異国船打払令に基づく行動である。が、内情はどうあれ日本人漂流民の帰還を拒んだのだ。この事実が巷にも知れ渡ると、幕府の外交方針に対する批判が叫ばれるようになった。

モリソン号に乗っていた日本人漂流民の中には、あの音吉もいた。

もちろん、音吉はモリソン号を下船するつもりだった。しかしそれは叶わず、彼はその後も西洋社会で生きることとなる。

音吉は大いに落胆したに違いない。何しろ、モリソン号は非武装の商船なのだ。大砲を積んだ軍艦で行けば攻撃されるから、丸腰の商船で日本に近付こう……という目論みは潰えてしまった。

なお、このモリソン号の失敗を参考に「ならば重武装して幕府を脅してしまえ」という考えに至ったのが、黒船のペリーである。日本国内でも高野長英や渡辺崋山が幕府を痛烈に批判し、それがのちに「蛮社の獄」と呼ばれる大弾圧事件につながった。モリソン号事件は、結果的に幕府の威信を大きく傷つけてしまったのだ。

「カシコイモノ」と「ゴクラク」

モリソン号に乗っていた時の音吉は、聖書の翻訳にも関わっていた。

ドイツ人宣教師カール・ギュツラフと共に書いた日本語訳のヨハネの福音書が、今も残っている。

ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノハゴクラク。

ヨハネの福音書の冒頭の部分であるが、これを現代日本で最もポピュラーな新共同訳にすると、

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。

である。キリスト教では「God」を日本語でどう訳すかという問題がかつて存在したが、音吉はそれを「極楽」としていた。「神」にすると多神教の存在を指してしまうという指摘があり、戦国時代にフランシスコ・ザビエルと行動を共にしていたヤジロウも同様の点で苦悩していた。

聖書の翻訳は、人並み以上の語学センスがなければ絶対にできないことだ。ジョン万次郎もそうだが、この時代の日本人漂流民は恐ろしくレベルの高い偉業を成し遂げている。

福澤諭吉の本にも登場

その後の音吉はペリー来航を経た日本に通訳として赴いているが、帰国することは最後までなかった。

日本人として初めてイギリスの市民権を得た音吉は、シンガポールを終の棲家とした。彼はここで福澤諭吉にも会っている。

福澤が書いた『西航記』に、音吉の記録がある。「旅館にて日本の漂流人音吉なるものに遇へり」という文章から始まる物語は、祖国に先んじて近代化を果たした男の半生を綴っている。

「カシコイモノ」に導かれた音吉は、日本の開国という必要不可避の事態に大きな貢献を果たしたのだ。

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