これは室町時代のバンクシーか?日本史上最高傑作の落書き「二条河原の落書」とは

これは室町時代のバンクシーか?日本史上最高傑作の落書き「二条河原の落書」とは

目次

バンクシーという芸術家は、筆者の世代の人間にとっては重要なキーパーソンでもある。

彼のやっていることは、基本的に犯罪だ。公共物に落書きをするし、偽札も発行する。しかし、そのすべてに何かしらのメッセージが込められている。わざわざ戦場に行って壁に絵を描いたこともある。

だからといってここで落書きを勧めるわけではないが、落書きがその時代を表すモニュメントになってしまうことがあるのは事実だ。もっとも、歴史的な意味合いの「落書(らくしょ)」と現代に使われる意味合いの「落書き」は意味が異なる。前者こそがよりバンクシー的、と表現すればいいか。巧妙かつ芸術的な政治風刺を加えた、匿名の書き込みである。

1335(建武2)年の日本にも、バンクシーのような人物が存在した。彼の名は今も知られていないが、その作品は「二条河原の落書(らくしょ)」として愛され続けている。

後醍醐天皇と「建武の新政」

以下の文章を、高校の日本史の教科書か何かで読んだ人は少なくないはずだ。

まずは、その冒頭部分を紹介したい。

此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨

召人 早馬 虚騒動

生頸 還俗 自由出家

俄大名 迷者

安堵 恩賞 虚軍

本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛

追従 讒人 禅律僧 下克上スル成出者

これは文字通り、二条河原にある日突然掲げられた文言である。歴史家の間では「日本史上最高傑作の落書き」と言われている。

しかし、歴史に詳しくない人には意味すら分からないだろう。また、こういうものは当時の歴史背景を知っておかないとピンと来ない。とりあえず、書き下し分を載せてみよう。

最近の都で流行っているもの。

夜の襲撃、強盗、偽の綸旨、緊急招集、早馬、そして実体のない騒動。

生首、僧侶の還俗、自由気ままの出家、成金、破産する者。

報酬目当てのでっち上げの戦、訴訟を起こすために地元から出てくる者、そして訴訟文書を入れた箱。

おべっか使い、チクリ野郎、コネで世渡りする禅僧、むやみやたらに下剋上する下っ端……。

それを踏まえつつ、14世紀の人物である後醍醐天皇について解説していこう。

後醍醐天皇は、鎌倉時代を終わらせた人物だ。持ち前のカリスマ性を発揮し、有力武将を従えてついに北条得宗家を倒してしまった。それと同時に、後嵯峨天皇以来分裂していた天皇の系譜を一本化しようと奮闘していた。

それだけなら、後醍醐天皇は「名君」に思える。が、問題はここからだ。

後醍醐天皇は、幕府政治の限界を確信していた。武士に政治を任せるのではなく、天皇が自ら手腕を振るえるようにすれば何事も効率が良くなる。だから天皇親政を実行した。これが「建武の新政」だ。

天皇親政の第一歩は、武士への恩賞である。彼らに与える土地の権利書を、天皇の名義で発行する。日本の不動産所有権を動かせるのは天皇ただひとりであることを、世に知らしめなければならない。

言い換えれば、貴族や武士の土地所有に関する権利を一旦チャラにするということだ。

この重要さは現代に置き換えてみれば理解できるだろう。あなたは世田谷区に200坪の土地を持っている。その権利書が今日付で無効になり、数か月後に別の権利書を再発行する。これに対して「ああ、さいですか」と素直に従う人がいるだろうか?

この土地は俺のもの!

さて、ここに武士Aと貴族Bがいる。

武士Aはこう主張している。

「俺の所有する土地は、承久の乱の直後に北条得宗家からいただいたものだ」

それに対して貴族Bがこう言い返す。

「確かにその通りだが、そもそもおたくの土地は承久の乱のゴタゴタに乗じて我が家のご先祖様から奪ったものじゃないか。ほら、ここに後鳥羽上皇が発行した命令書があるぞ。これによれば、土地は我が家のものだと書いてある。どうだザマーミロバーカバーカ!」

天皇が発行した命令書は「綸旨(りんじ)」と呼ばれていたが、もし貴族Bの持ってきた過去の綸旨が偽物だったらどうだろうか? しかもその偽書を後醍醐天皇が信じてしまい、土地の所有権が武士Aから貴族Bに移ってしまったら?そうなったら、武士Aは一方的な被害者である。そして、建武の新政時代にはこのようなことが頻発したのだ。

だからこそ、二条河原の落書には「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨」と書かれている。土地の権利を巡る争いも発生し、まさにユーアーショックな状態と化してしまった。

自分で始めたことを途中放棄

あまりに騒動が相次ぐものだから、後醍醐天皇は自分で始めた新しい政治を投げ出してしまう。

雑訴決断所というものを作って、土地問題に関する決定を部下に任せたのだ。日本という国で天皇が直接政治を司ることは不可能だということを、後醍醐天皇はようやく理解した。

しかし、この雑訴決断所が人々の信用を得ることはなかった。

器用ノ堪否沙汰モナク モルル人ナキ決断所

キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ杓持テ 内裏マシワリ珍シヤ

賢者カホナル伝奏ハ 我モ我モトミユレトモ

巧ナリケル詐ハ ヲロカナルニヤヲトルラム

着慣れない服と杓を持つ役人たち。

媚びへつらいながら天皇に意見を言うけれど、その際の嘘話は決して上手なものではない。

得体の知れない者が貴族の格好をし、下々の者には偉そうにするが朝廷にはゴマをする。雑訴決断所は政治風刺の対象だったのだ。

詐欺同然の土地の略奪やそれに対する復讐、成金野郎に破産した武士、戒律破りの僧侶、無能の役人、横行する賄賂。カオスと化した当時の京都を見事に描写し、大衆の支持を得たのが二条河原の落書である。

なお、この落書の作者は「京童」即ち京都の一般人ということになっているが、ここまで完成度の高い落書を書けるのは当時の一般人にはまず不可能である。教養があり、なおかつある程度朝廷の事情を知っている者が書いたのでは、とも言われている。

まさに「室町時代のバンクシー」だ。

トップ画像出典元:シカゴ美術館

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