炭治郎の大先輩?リアル鬼狩り坂上田村麻呂の本当のトコロ

炭治郎の大先輩?リアル鬼狩り坂上田村麻呂の本当のトコロ

人喰い鬼を狩る竈門炭治郎の成長を描いた人気漫画「鬼滅の刃」。この物語はもちろんフィクションだが、その昔、本当に鬼をバッタバッタ倒した戦士が実在したといわれている。
平安時代、朝廷の要請で蝦夷討伐を命じられた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、東北・関東・中部・近畿を次々と平定。
だが正直な話、現代に生きる私たちにとって「鬼を倒した」なんて言われてもにわかに信じがたい。伝説と真実。田村麻呂は本当に鬼を退治したのだろうか。

征夷大将軍は、もともと「鬼」を退治する人のことだった

源頼朝・足利尊氏・徳川家康など、武家政権の征夷大将軍は事実上、日本の最高権力者の称号である。しかし征夷大将軍の「征夷」とは、もともと蝦夷(えみし)の征討を指す。蝦夷とは当時の都、奈良や京都から見て東や北(主に東北地方)の国および種族のことだ。
はじめて征夷大将軍に任命された大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)は、延暦13(794)年の正月に節刀(任命の印としての刀)を賜った。しかし、同6月の蝦夷征討で戦果を挙げたのは副将軍の坂上田村麻呂。すると、延暦16(797)年には田村麻呂が征夷大将軍に就任。東北地方全般の行政を任じられることとなった。
奈良時代末期までは、任される土地や内容によって様々な名称が存在していたが、大伴弟麻呂のころに征夷大将軍で統一。つまり田村麻呂は二代目の征夷大将軍である。

田村麻呂が東北地方を平定してまわったのは事実だが、それが「鬼狩り」として語られるようになったのは蝦夷征討により恩恵を受けた土地の伝承によるものである。
田村麻呂の功績を称えて建立した寺社や、征討のさいに腰をかけて休んだ石、見つけた温泉など、そのほとんどが後世の創作なのだ。しかし都の西側・岡山県でも鬼を退治した伝説が残っていたり、能『田村』やお伽草子『田村の草子』などの文芸作品のモデルとしても扱われていたりしていることを思うと、その活躍ぶりが国宝級だったことは間違いない。

伝説上の田村麻呂は、鬼神をも屠る

伝説では、鬼も強大だがそれを討つ田村麻呂の戦いぶりもまた神懸っている。
『田村の草子』のなかで、田村麻呂は鈴鹿山(鈴鹿峠と鈴鹿関周辺の山地)に住んでいた鬼神・大嶽丸(おおたけまる)を退治している。大嶽丸は、天空を自在に飛び回り、雲を呼び、暴風を起こし、雨や火矢を降らす神通力を操った。神出鬼没の大嶽丸に対し、田村麻呂は鈴鹿山に住む天女の助力を得る。気転を利かせた天女が大嶽丸から剣を奪い取ると、その隙に田村麻呂が神通の矢を放ちこれを退治した。

その後、一度は甦った大嶽丸だが、より強大になった力も田村麻呂には通じず、首を斬り落とされて完全に絶命した。

史実性が高い蝦夷の王・阿弖流爲征討

大嶽丸退治のような、明らかに創作とわかる伝説がある一方で、田村麻呂には極めて史実性の高い逸話も残されている。そのなかで最も知られているのが、阿弖流爲(あてるい)の討伐だろう。
阿弖流爲とは、陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)の蝦夷の長。中央による国内の平定を推し進める朝廷にとって、武勇に優れた陸奥の蝦夷らは脅威であった。これまでたびたび差し向けていた討伐隊もことごとく撃退されており、田村麻呂に白羽の矢が立ったのである。
『日本紀略(にほんきりゃく)』などによれば、延暦20(801)年、田村麻呂は大軍勢を率いて胆沢の地を包囲すると、阿弖流為らはあっさり投降。これまで激しく抵抗していた阿弖流為ら蝦夷がたいした反撃もせず、その後田村麻呂にともなわれて都に入ったのは、武力による誅伐ではなく、話し合いによる和解があったからではないかとの見方がある。日本紀略にも「夷大墓公二人並びに従ふ」とあり、田村麻呂に伴われて都に入った阿弖流爲は、捕虜扱いでなかったことがうかがえる。

しかし朝廷は、阿弖流為らを奥地の賊長としかみていなかった。田村麻呂が、故郷へ帰し土地を治めさせるよう主張したが、受け入れられることなく阿弖流爲は斬首となる。
つまり、鬼を誅殺したのは権力者である。長年にわたり、刃を交えながら見つけた田村麻呂と蝦夷らが出した答えは無残にも踏みにじられる形となったのである。

歴史は歴史であって真実ではないかもしれない

現代なら「鬼を退治した」と言われて真に受ける人はいないだろうが、田村麻呂が活躍した時代はそれでよかったのだ。得体の知れないものをやっつけたとふれ回ることで、朝廷の体面と都の泰平は保たれていたのである。自分たちの営みに手一杯の大衆は、目の届かないところの情報など関心がない。「そうなんだよ」と言われれば「そうですか」と思ってしまう。
しかし、朝廷の権力もそもそもは武力によって手に入れたものなのだ。同じように地方で勢力を伸ばしただけで鬼なんて呼ばれたんじゃ、阿弖流為ら蝦夷があまりにも不憫ではないだろうか。

ひと昔前は謀反人としてのイメージが強かった明智光秀も、今や大河ドラマの主役である。これは光秀にまつわる研究の成果でもあるし、理由もなしに智将・光秀が信長に刃を向けるだろうか、という機運の高まりを反映していると言える。そういう考えもある、というテーマで大河ドラマを描けるようになったことは、時代と国民性の成熟なのだ。
歴史は歴史であって、真実ではないかもしれない。今見えているものの外側に別の可能性があるということを、私たちは常に頭の隅に置いておかなければならない。

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