紫式部の書いた『源氏物語』は、プレイボーイ・光源氏の人生を描いた物語として有名です。しかし、物語の終盤では、光源氏亡き後のストーリーも繰り広げられていることを知っていましたか?
光源氏の死後は、息子・薫(かおる)を中心にドラマが繰り広げられます。薫はイケメン貴公子ながら、心に深い闇を抱えた男。私は、そんな薫の心の闇と人間臭さの虜になってしまいました。光源氏とはまた違う魅力をもつ、薫についてご紹介します!
実は光源氏の子じゃない!悩みに悩む人生を送る「薫」
光源氏亡き後の世界を担う貴公子・薫。光源氏の息子として何不足ない人生を送っていますが、実は光源氏の妻が浮気してできた子どもです。薫は幼い頃から自分が光源氏の子でないことを察しており、京都・宇治でその秘密を老女から明かされます。
本当は光源氏の子じゃないのに、世間は光源氏の息子として薫を大切に扱う苦しさ。「この秘密がバレたらどうなってしまうのだろう……」 そんな誰にも打ち明けられない苦悩を抱えながら、薫は生きてゆかねばならなかったのです。
『源氏物語絵巻 宿木』国立国会図書館デジタルコレクションより
いい匂いの体臭が漂う
「薫」という呼び名は、彼の体臭がとってもいい匂いだから。しかもかなり遠くまで香ってくるようで、こっそり女性のもとを訪れようとしても匂いでバレてしまうのでした。
薫の体から放たれる香りは、世間の貴公子たちのようにチャラチャラしていない、薫の神聖さを表しているものと考えられています。ところが物語が進むにつれ薫が俗っぽくなっていくと、体臭に関する記述は減っていくのが興味深い点です。私は、単に薫が年をとって、徐々に加齢臭に変化したのも原因のひとつではないかとも疑っています。
自然とハーレムを形成
まめ人(真面目な男)と言われる薫ですが、恋人はそれなりにたくさんいました。貴公子が多くの女性と関係をもつことは、平安時代ではごく当たり前のことだったのです。
モテにモテた薫になびかない女性はおらず、恋人となった女性は薫の母のもとに女房(お付きの女性)として働きに出てくるほどでした。その中には、出仕を恥とするような高い身分の女性も。少しでも薫の傍にいたいという恋人たちの思いから、自然と「薫ハーレム」が形成されていきました。今なら「薫ガールズ」とでも言うのでしょうか。
斜に構えた「中二病」気質
「こんな世の中、さっさとオサラバしたいぜ……」 そんな中二病(※思春期に“人とは違う自分”に酔いしれ、後に黒歴史となる深刻な病)的な思いを抱えている薫は、若くして仏教にハマります。
平安時代では、若くてイケメン、しかも身分の高いお坊ちゃまが仏教に興味を持つのは珍しいことでした。若い貴公子なら、恋や遊びに熱中するのが普通です。しかし薫は、物心ついた頃から「自分は本当に光源氏の息子なのか?」と疑問を持っていました。そのため人生を思う存分楽しむ気になれず、この世を捨てて仏教の道を進むことを願うようになったのです。
しかし、この仏教が、薫の大恋愛への橋渡しをしてしまいます。仏道の教えを請うために通っていた京都・宇治で、零落した宮家の姉妹と出会い、薫は心を奪われるのです。この宇治の姫君たちを中心に、薫の苦いラブストーリーが繰り広げられていきます。
浮世離れしている割に、世間体を気にする
「普通の男たちと違って、出世欲のないオレ……」 と自分に酔っているかのような薫。しかし「宇治の姫君たちが、自分が光源氏の息子でないことを知っているのでは」と疑い、姫君たちを他人で終わらせてはいけないと思うように。
宇治の姫君を恋しく思う気持ちはもちろんありますが、秘密の漏洩を防ぐためにも、我がものにしなければと思っていたのです。浮世離れしていると見せかけ、内心自分の立場が危うくなることを危惧している薫。誰よりも人間臭い男です。
薫のライバル・匂宮
薫の恋のライバルとして、匂宮(におうのみや)という光源氏の孫も登場します。彼についても少し紹介しておきましょう。
薫に対抗して匂いプンプン
匂宮は、生まれつきいい香りのする薫に対抗していつも匂いを焚き染めていたことから、そう呼ばれています。一日中調香にかかりきりになることもあるほど、匂宮は異様に香りに熱中していました。
そんな匂宮に対して、「光源氏は一つのことに異様に熱中することはなかった」と書かれています。何でもスマートにこなす光源氏と比べることで、匂宮の子どもっぽさが引き立ちかわいらしく感じられます。
薫と三角関係に……
薫にライバル心を燃やしていた匂宮は、薫にたきつけられて宇治に住む姉妹に興味をもち、妹・中の君と結婚しました。さらにその異母妹・浮舟(うきふね)にも惹かれ、彼女が薫の恋人だと知ります。そして自分を薫と偽って寝床に忍び込み、強引に関係をもつのです。三角関係となった浮舟は苦しみ、自殺未遂の末出家してしまいました。
女性はよりどりみどりだった匂宮ですが、どうしても薫の周囲の女性が気になって仕方なかったよう。同じ光源氏の血筋(表面上は)と言えど、親王である匂宮の方が立場は上。その重い立場から、外出や結婚も制限されていました。一方、薫は臣下の身だったのでかえって自由に出歩くことができ、匂宮はそんな薫がうらやましかったのかもしれません。
薫は幸せになれるのか?
『源氏物語』には、薫と匂宮のことを「いとまばゆき際にはおはせざるべし(まばゆいほどの美しさではいらっしゃらないようだ)」と書かれています。2人には、輝くように美しいともてはやされた光源氏ほどの魅力はありませんでした。だからこそ、人間離れした光源氏と違い、薫と匂宮には人間臭い魅力があるのです。
特に薫は、自分の保身や見栄のために、ずるいこともたくさん考えています。そんなずるさや下心が女性たちを苦しめ、結果的に薫自身も苦しむことになるのですが……。
『源氏物語』は、浮舟が薫をピシャリと拒絶して終わります。光源氏の息子でないことに悩み苦しみ、ちょっとひねくれてしまった薫。物語は薫の28才頃で終わってしまいますが、その後幸せになれたのでしょうか。
今だったら「本当の父親は光源氏じゃない」とカミングアウトし、本来のアイデンティティを築いて新しい人生を歩んでいくストーリーが想像できます。しかし、時は平安時代。身分や親の七光りが重要だった時代に、そんなことはできないでしょう。薫は自分を解放することなく、深い悩みを抱えたまま生きていくしかないのかもしれません。