富士山の噴火と誕生の歴史をわかりやすく解説

富士山の噴火と誕生の歴史をわかりやすく解説

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静岡県と山梨県にまたがって聳える日本の最高峰、富士山。標高3776m、東西38㎞、東北44㎞に及び、円錐形の美しいシルエットをもつ、この日本一の山は、長い歴史の中で何度も噴火を繰り返してきました。古来、数え切れないほどに詩歌や絵画の題材となり、また信仰の対象として、万人に愛されてきた富士山ですが実は知っているようで知らないことの多い山でもあります。今回は富士山の噴火と誕生の歴史を解説します。

富士山の歴史その1 どうやって誕生したの?

広大な裾野を引く日本一の山、富士山の誕生には大きく分けて、「小御岳(こみたけ)火山の時代」「古富士火山の時代」「新富士火山の時代」の3つの段階があります。

1 小御岳火山の時代

1つ目は、小御岳火山の時代。約70万〜20万年前に、現在の富士山のやや北側に小御岳火山と呼ばれる火山が生まれ、南の愛鷹山(あしたかやま)、東の箱根火山とともに活動していました。

2 古富士火山の時代

その後、小御岳火山と愛鷹山は、活動を休止しましたが、約10万年前になると、小御岳火山の南の斜面で新たな噴火が始まり、現在の富士山の原形ともいうべき古富士火山が誕生しました。これが2つ目の段階です。

3 新富士火山の時代

そして3つ目の段階は、新富士火山(現在の富士山)の時代で、その中にもいくつかのステージがあります。

まずは約1万年前。古富士火山の噴火スタイルが代わり、爆発を起こすのではなく、山頂の火口および斜面の割れ目より大量の溶岩をだらだらと噴出するようになりました。古富士火山を覆うようにして活動を開始したので、新富士火山と呼んでいます。この時期に勢いのある溶岩が広く山麗に流れ出して裾野を広げたことが、現在の富士山の大きな山体を形づくる土台となったと考えられています。

その後、しばらく噴火が穏やかな時期があり、約4500〜3000年前には、山頂および斜面側方の噴火(側噴火)が続いて富士山が大きく成長し、ほぼ現在の山容ができあがりました。西側に深く刻まれている大沢崩れの断面を見てみると、この時期の溶岩が何層にも渡って、堆績しているのがわかります。

富士山の断面図。富士山の下には、小御岳火山と古富士火山が隠されており、2つの山に肩車されるような格好で富士山は存在する。火山は高い山地上につくられることもあるが、富士山は、山全体が火山。参考資料/津屋弘達(1968)富士山地質図

その後、約3000〜2000年前になると、今度は山頂での爆発的な噴火がたびたび発生し、それ以降は側噴火の時代となり、現在に至っています。こうしてみると面白いことに、富士山の噴火は、山頂と山腹で順番に繰り返されているように見えます。なぜそうなるのかは、富士山が自分で制御する力を持っているという説などいくつかありますが、真実はよくわかっていません。

富士山の歴史その2 歴史上で大規模な噴火活動はいつ?

有史以降でいえば864年の「貞観(じょうがん)噴火」と1707年の「宝永(ほうえい)噴火」が知られています。

864年「貞観噴火」

貞観の噴火では、北西側の麗に長い割れ目ができ、そこから溶岩が大量に流れでました。富士五湖として有名な山中(やまなか)湖、河口湖、本栖(もとす)湖、精進(しょうじ)湖、西湖のうち、本栖湖と精進湖と西湖は、昔は「せの海」と呼ばれる1つの大きな湖でしたが、貞観の噴火で溶岩が流れ込み、3つに分かれたといいます。また、樹海で知られる青木ヶ原(あおきがはら)もこのときの溶岩の上に成立した森林です。

1707年「宝永噴火」

宝永の噴火は南東斜面で爆発的に起こり、噴火は約2週間続いたといいます。噴出物の総量は、東京ドーム約500個分に相当するといわれ、新富士火山の活動の中でも、最大規模のものといえます。今も南東側の5合目付近には、えぐられたように口を開けた宝永火口を目にすることができます。

富士山の噴火は一定のペースで起きている!

この宝永の噴火以降、約300年が経過しているわけですが、それまでの富士山の噴火の歴史をたどってみると、活動の休止期間はあっても、基本的には同じようなペースでマグマがたえず下から供給されていることがわかります。マグマはつねに、噴出しているわけではなく、ある程度たまってからボンと噴出します。一度に多量に噴出することもあれば、一度ではなく、少しずつ数度にわたって噴出することもありますが、長い目で見れば噴出量の帳尻が合います。この3000年ほどを見ても、富士山の噴火は一定のペースで起きているといえるのです。

富士山の歴史3 なぜここまで大きくなったの?

富士山特有の2つの側面から考えられています。

富士山の位置がプレートの境界にあるということ

ここは、伊豆半島の下のフィリピン海プレートと、西日本の下のユーラシアプレート、東日本の下の北米プレートの3つがぶつかり合う、世界的にも非常に珍しい場所です。昔は伊豆半島がもっと南にあり、北上していったフィリピン海プレートがユーラシアプレートと北米プレートとぶつかって、その下にもぐりこんでいるのではないかといわれています。3つのプレートが重なり合うために、相互に影響し合って、巨大なマグマ溜りができる場がつくられていると考えられています。

富士山は玄武岩(げんぶがん)質の山であること

日本の山の大部分が安山岩(あんざんがん)質であることを考えれば、これも珍しいと言えます。しかも玄武岩質の山は、通常、溶岩がゆっくり流れて議場に広い面積を覆う、比較的穏やかな噴火をするのですが、富士山は、何度も火山灰や溶岩を吹き上げる爆発的噴火を起こしています。

これは本来は安山岩質の火山の噴火タイプであり、玄武岩質の山としては、非常に稀な例なのです。あるときは溶岩を大量に出したり、あるときは側噴火を起こしたり、またあるときは大きな噴煙をあげて火山灰を飛び散らせたりと、富士山の噴火は単調ではありません。美しい円錐形の成層火山である富士山は、こうしたバリエーションに富む噴火によって育まれているのです。

富士山の歴史その4 富士山は10万歳の青年!

富士山はただいま10万歳。火山の寿命から考えると、まだ青年です。奥深くには巨大なマグマ溜りを有し、今は約2000年前から続く側噴火の活動期の中にいあります。数年前からましたで低周波地震が観測されており、マグマ溜りがうごめいていると考えられます。それは取りも直さず、富士山が生きているという証拠。そこで、地熱を調べたり、高感度の地震計や傾斜計を設置するなどの整備が急速に進められ、いつマグマ溜りが上がってくるのか、予兆を察知できるようになっています。

また、ハザードマップという火山災害予測情報を事前につくり、避難のルートや施設の確保など、噴火が起きた際の降灰や被害対策(防災)も考えられています。ただ、噴火というとすぐ「宝永噴火」のような大きなものを想像しがちですが、富士山の噴火は宝永大噴火のときの記録の100分の1のクラスの規模が圧倒的に多いということも知っておきたいことのひとつです。

解説/宮地直道
イラスト/ファクトリー・ウォーター
ー「和樂」2003年2月号より再編集ー

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