江戸時代の火球騒動! 庶民から大名まで大騒ぎの「八王子隕石」とは

江戸時代の火球騒動! 庶民から大名まで大騒ぎの「八王子隕石」とは

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「火球」が大きな話題になった。

地球も宇宙を行く惑星である以上、頻繁に隕石が落下する。現代はカメラ付きのスマートフォンが普及し、あらゆる天変地異は一般市民の手で即座に録画される。『習志野隕石』と名付けられた此度の火球も、迫力ある映像と共に永久保存されるだろう。

しかし、「あらゆる人が記録を残した」という点では江戸時代に飛来した『八王子隕石』も同様だ。当時はスマホはおろかフィルムカメラすら存在しない時代だが、それでも人々は謎の火球と八王子に落下した石について詳細な記録を書いている。

が、当時は「宇宙から隕石が飛んでくる」という概念自体がなかった。そのため地上に落下した石の希少さが認識されず、いつの間にか隕石が離散してしまった。

1817(文化14)年に飛来した八王子隕石は、書籍史料の豊富さに反比例して現物が殆ど残っていない「幻の火球」だ。

甲州街道上空を飛ぶ火球

文化14年11月22日、江戸っ子は一斉に空を見上げた。

禍々しい火の玉が、日中の空を横切っているではないか。

火の玉は甲州街道の上空を沿うように飛び、やがて大きな音を立てて爆発した。甲州街道は徳川幕府が江戸防衛のため、意図的に武家屋敷を配置している大動脈でもある。故に、多くの知識人がこの火の玉を記録した。たとえば、肥前平戸藩主の松浦清が隠居後に執筆した『甲子夜話(かっしやわ)』にも文化14年の火球についての記述がある。伊予大州藩の江戸詰医師だった谷村元珉、江戸在住の絵師八島定岡、現在の西東京に該当する地域の有力者たちも火球のために筆を割いている。江戸市民の大半が隕石を目撃している、ということだ。

隕石は現在の八王子市、多摩市、日野市などに分散して落下した。その中でも最大のものは、八王子に落ちた個体である。長さ約90cm、重さ約60kgだったそうだ。

これは現在、『八王子隕石』として国際隕石学会に登録されている。

「隕石=宇宙から飛来」は最新の学説だった!

江戸の火球騒動より20年前、ヨーロッパではひとつの仮説が話題になっていた。

ライプツィヒ大学出身の物理学者エルンスト・クラドニが、ロシアで発見された謎の石を「宇宙から飛来した物体」と結論付け、学術論文を提出したのだ。

この時代のヨーロッパ天文学では、既に彗星軌道の計算が確立されていた。アイザック・ニュートンのプリンキピア執筆もエドモンド・ハレーの彗星到来予測も、クラドニが生まれる前の話である。しかし、各地で時折発見される「不思議な石」が地球外から飛来してきたものだという考えには至っていなかった。

「この石は宇宙から来たものだ!」

クラドニの主張に、当時の天文学会は懐疑的だった。結局、彼の学説が認められるまでには10年近くの時間を要した。最先端の天文学会が存在するヨーロッパですら、このような認識だったのだ。1814年の日本に隕石の正体が分かる者などひとりもいない。

幕府の天文方は、八王子に落下した隕石を「火山の噴火と共に打ち出された石」と判断した。日本は火山帯の只中にある国だから、決して突飛な結論ではない。当時としては無難な締め方でもある。

あなたの自宅に隕石が!?

これ以降、幕府は八王子隕石の研究を止めてしまった。同時に細かく分けられた隕石は、後世の天災や戦災で失われることになる。

唯一現存している八王子隕石は、重さ僅か0.1gの欠片に過ぎない。

これは昭和25年に旧家の文書調査をしている最中に発見されたもので、同封の文書にも「これは八王子に落下した石」と書かれていた。この欠片が見つかったからこそ、八王子隕石は国際隕石学会への登録を実現させることができたのだ。

しかし、日本中を隅々まで探せば八王子隕石が出てくるかもしれない。

八王子市は、ホームページの中で八王子隕石の情報提供を呼び掛けている。

200年がたっていますので、隕石を屋外で見つけるのは難しいでしょう。

古くからある家で、神棚や仏壇や蔵の中に紙で包んだような石がないでしょうか。

隕石の特徴は、

(1) 普通の石より少し重い 

(2) 磁石がくっつく

(3) 石の外側は黒く、割れた内側は白いが、ところどころは赤くさびていることが多い

このような特徴の石がありましたら、連絡をお願いします。

(八王子市公式サイトより)

当時の人が隕石を持ち帰り、自宅の神棚に保管するというのは十分にあり得ることだ。

もしかしたら、この記事を読んでいるあなたの自宅にも八王子隕石が!?

【参考】
八王子市公式サイト

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