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Culture
2020.08.06

コスプレに豚食、新撰組は京都の治安維持だけでなく文化のイノベーションも担っていた?

この記事を書いた人

江戸時代末期、新撰組が攘夷派や倒幕派から京都の街を守っていたことは広く知られている。勿論それが新撰組の第一の目的であったことに変わりはないが、図らずも彼らは、意外なところで幕末の日本に新しい文化を持ち込んでいた。
揃いの羽織り、豚食、そして銃。
ペリーが来航して以来、外国から持ち込まれる技術や文化に浮き足立つ日本。その中にあって、新撰組は国内発の文化をいくつも生み出した先駆け集団でもあったのである。

揃いの羽織が内外にもたらしたもの

新撰組といえば、まず思い浮かぶのが羽織。
浅葱色に袖口が白のダンダラ模様。この羽織の発案者は近藤勇、あるいは芹沢鴨ではないかと言われている。歌舞伎演目の赤穂浪士が吉良邸討ち入りの際に着ていたところから、新撰組内に相当の覚悟を促す狙いがあったのかもしれない。ものすごく現代風にいうと、企業ブランディングだ。後世の私たちにまで「浅葱色にダンダラ模様=新撰組」と認知されていることを思えば、土方の手腕はさすがだ。
しかし其処彼処で暗殺が横行する幕末期、ド派手な隊服で市中を見廻する新撰組を、都の人たちはどう見ていたのだろう。事情を知らない子どもやお年寄りなんかは意外と、奇妙なコスプレ集団といった捉え方をしていたのではないだろうか。この羽織が実用的に着用されていたかは定かでない。

または元治元(1864)年の池田屋事件以降は黒衣・黒袴に変更されたといわれている。「脚絆や鉢巻、襷をつけていた」「黒い羅紗筒袖の陣羽織を着ていた」などの話もあり、どちらにせよ私たちがイメージするあの羽織は、わりと早い段階で廃止されているのである。理由はやはり、悪目立ち。遠目からでも存在がバレやすい、汚れや返り血の洗濯が大変などのデメリットがあったようである。

満身創痍だった兵たちの栄養源となった豚肉

一番隊の組長だった沖田総司が、肺結核でこの世を去ったことは有名な話。しかし新撰組は沖田に限らず、病気には苦しめられていたそうである。
新撰組には幕府お抱えの松本良順という御殿医がいたが、慶応2(1866)頃、松本が西本願寺においていた新撰組の屯所に視察に行ったときなどは、実に隊士の半分ほどが何らかの病気にかかっていたという。

事態を重く見た松本は病人を隔離して、大浴場を作るなど、感染拡大の防止に努めるとともに、栄養価の高い豚食を指示したと言われている。この頃はまだ、四つ足の獣を口にするのは御法度の時代。一部の武士階級が食していたとの記録も残っているが、町人や農民出身の彼らが堂々と豚を食べることは極めて異例である。
ちなみに、味付けはシンプルに塩、醤油、味噌など。調理法も焼くか煮るかして食べていたようである。奇しくも「江戸煩い」と呼ばれた脚気が流行っていた時代。新撰組の豚食は、当時は珍しいヘルスケアでもあった。

剣はもはや時代遅れ?新撰組は銃を用いなかったのか

坂本龍馬は、北辰一刀流の達人でありながら回転式の拳銃も忍ばせていた。腕前は定かではないが寺田屋事件の際に使用したといわれている。
このように、幕末期は流通経路さえあれば銃を所持することも可能だった。しかし、新撰組の武器は剣。これも後世の創作なのだろうか? 京都守護職である会津藩直属部隊の新撰組に最新兵器が支給されなかったとは思えないのだが……。

土方など一部のメンバーは初期から銃を所持していたとされているが、新撰組が銃を所持して戦ったのは、慶応4(1868)年に勃発する戊辰戦争以降といわれている。初戦となった鳥羽伏見の戦いの際は銃を所持していたと見られている。
しかし、彼らはもともと侍に憧れを抱いていた町人や農民たち。宇治川沿いでの激戦の際、鉄砲を捨てて斬り込んだとのちに永倉新八が回想している通り、日頃より励んでいた剣の修練に比べれば、銃の腕前は文字通り付け焼き刃だったのではないだろうか。
歴史に「もしも」は禁物だが、銃や大砲などの最新兵器を使いこなすことができていれば、結果はまた違ったものになっていたかもしれない。

図らずも現在まで続く文化の潮流を作った新撰組

新撰組の取り組みは、全面的に真新しいものではない。揃いの格好などは敵味方が入り乱れる戦場では当然のことだし、豚食もすでに上級武士のあいだには普及していた。しかし、それらを町人や農民であった彼らが、文化の中心地・京都に持ち込んだという点は大きい。町民たちがこれまで知り得なかった文化を目の当たりにする切っ掛けとなったのだ。

旧体制側にいた新撰組が、図らずも新しい文化の広告塔となっていた点は非常に興味深い。彼らの持ち込んだイノベーションが新時代の到来を感じさせたのだとしたら、このときすでに海の向こうに大きな何かがあることを多くの日本人が覚悟していたに違いない。

アイキャッチ画像:国立国会図書館ウェブサイトより

書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。