家康公、俺、西軍だけどいいんスか?朝鮮との国交回復のために生きのびた宗義智のガンバり

家康公、俺、西軍だけどいいんスか?朝鮮との国交回復のために生きのびた宗義智のガンバり

豊臣秀吉が九州征伐を開始した戦国時代末期。
父の隠居により家督を継いだ宗義智(そうよしとし)は、代々朝鮮との貿易で利益を上げてきた対馬(現在の長崎県対馬市)の地を引き継いだ。ほどなくして明国制圧を目論む秀吉から、朝鮮との仲介を指示される。
未曾有の出来事におどろいた義智は、父・義調(よししげ)に相談した。

「父上どうしましょう!」

「ああ、うん」

しかし、息子の要請に応じた義調は手腕を振る前に他界。

「父上ー!」

こんなやりとりがあったかどうかは定かでないが、今回は跡を継いだとたん次々と難題が降りかかった宗義智の半生を紐解いていく。義智と対馬藩の運命を固唾を飲んで見守っていこう。

秀吉のせいで良好だった朝鮮との関係に軋轢

義智が治めた対馬は長崎県の北に位置する島。海のむこうには朝鮮半島があり、歴史の授業でも習った元寇(1274年と1281年)のときなど大きな打撃を受けたが、嘉吉3年(1443年)、義智の先祖である宗氏が嘉吉条約を締結して以降、朝鮮とは良好な関係を保っていた。対馬は良田に恵まれない土地柄で、朝鮮との貿易が生活の糧でもあった。

秀吉から命令が下ったのはそんな頃である。この時点での秀吉の狙いは、明(当時の中国の王朝)の制圧。そのため中国までの通り道となる朝鮮を従わせるよう指示されたのだ。
義智が父に助けを求めるのも無理はない。先人たちが苦労して手に入れた朝鮮との関係が秀吉のムチャ振りで壊れるかもしれないのだ。

「父上これは困りましたな」

「そうだね」

しかし、父・義調もどうしていいかわからない。親子で弱り果てながら家臣を派遣するなどしてみたが交渉は進まず、天正16(1588)年、義調が病没。息子・義智はひとりでこの難局に立ち向かわなければならなくなった。

望まない戦争に駆り出される

現在、対馬と朝鮮は少なくとも平安時代から何度も戦い、そして互いに傷ついてきた歴史があることがわかっている。筆者が義智の立場なら、戦争なんて二度とごめんだと思ってしまう。

今にも挙兵しそうな勢いの秀吉と朝鮮の揉め事だけは回避したい義智だったが、天正20(1592)年、文禄の役(朝鮮出兵のきっかけとなった戦い)が起こる。日本が軍勢を率いて朝鮮に乗り込んでしまったのである。当然義智も駆り出され、一番隊として最前線で戦った。
しかし蓋を開けてみれば、日本軍に勢いがあったのは序盤のみ。明の大軍勢が押し寄せると旗色の悪くなった日本はあっさり和議に傾いた。さらに慶長3(1598)年8月、肝心の秀吉が死去。日本の全軍撤退で7年にもおよんだ朝鮮出兵は終結した。

関ヶ原の合戦と朝鮮との国交回復

対馬に戻った義智は捕虜にしていた百数十人をただちに朝鮮に送り返し、和議の書をしたためまくった。尻拭いをさせられるのはいつも現場。なりふり構わず、対馬の平和をいちばんに考えた義智のこの行動は領主として立派だ。カッコが良いとか悪いとか、そういうことじゃない。

朝鮮との国交回復を模索する中、今度は日本国内で大きな戦争が勃発する。関ヶ原の戦いである。
義智は西軍に与して伏見城の攻撃に参加したが、結果は東軍の勝利。敗北した西軍側の大名や大将が次々に処分される中、義智は所領安堵。つまり、お咎め無し。徳川家康から対馬府中藩(つしまふちゅうはん)の初代藩主に任ぜられ、朝鮮との国交回復まで託された。

父の死、そして朝鮮出兵がなかったら

家康が敵方だった義智を許したことを思うと、それだけ朝鮮との国交回復を強く望んでいたことがうかがえる。これには義智も小躍りしたのではないだろうか。慶長14(1609)年に朝鮮との和平条約を成立させると、家康からその功を手放しで称賛される。以降、宗氏は幕府から独立した機関として朝鮮との貿易が許された。

宗義智は広く知られた人物ではないかもしれないが、こうして振り返ってみると胸を張れる人生を送った名君と言える。幼少期あたりは「ウチは代々朝鮮との貿易で財を成してきたんだし、それくらいなら僕でも」と考えていたかもしれない。しかし、予期せぬ難題を片付けた手腕は見事だし、何よりその生き方から対馬の土地と民を案じていたことが読み取れる。
父の不慮の死と朝鮮出兵がなかったら、どうなっていただろう。関ヶ原の合戦で西軍についた義智と対馬の未来は違ったものになっていたかもしれない。また家康が義智を重用しなかったら、朝鮮に攻め込まれていた可能性も捨てきれない。
現在の対馬があるのは、義智と宗氏代々のガンバりと家康の先見の明のお蔭と言っても過言ではない気がする。

アイキャッチ画像:国立国会図書館デジタルコレクションより

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