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Culture
2020.09.18

和歌山の地元メシはケバブ?エルトゥールル号遭難事件で生まれた日本とトルコの絆

この記事を書いた人

思わず「行ってみたい」「食べてみたい」と惹きつけられる“地元グルメ”。その地方で採れる名産品を使ったメニューが多い中、なぜか和歌山県ではケバブを出すお店がちょこちょこある。
和歌山といえばミカンと梅、そして豊富な海産物。隣県に住む筆者もその認識しかなかっのだが、知ればナットク!和歌山にケバブが根付いたのは、明治時代のある出来事がきっかけになっていたのだった。

エルトゥールル号遭難事件

明治23(1890)年9月16日の深夜、現在の和歌山県東牟婁郡串本町沖でオスマン帝国(現在のトルコを中心に栄えた当時の国家)の軍艦エルトゥールル号が遭難する事件が発生した。
軍艦と言っても日本を攻撃しにやってきたわけではない。同年6月、エルトゥールル号は親善訪日使節団らを乗せており、トルコへの帰途で起こった事故だった。

建造後26年を経たエルトゥールル号は
木造船としては古く、老朽化も激しかった。それゆえ、オスマン帝国海軍内には日本行き自体を反対する声もあったという。また到着後も多くの船員が疲れ切っていたことから、しばらく留まり台風の時期をやり過ごしてから帰ってはどうか、と日本側も提案したがオスマン帝国はそれを断って帰路についた。
こうした強硬な姿勢の裏には、当時の世界情勢を鑑みると国力を誇示したかった思いがあったのかもしれない。わざわざ日本にやってきたのも、近代化が遅れた者同士で欧州各国からの圧力に対抗したい狙いがあったとも考えられる。

深夜の救助活動

和歌山の紀伊半島沖といえば、今でも台風の通り道として知られている。
事故が起こったのは夜の9時頃だった。強風にあおられたエルトゥールル号は岩礁に激突し、10時半頃浸水により沈没した。投げ出された600人ほどの船員のうち十数名が命からがら灯台まで流れ着き、灯台主によってオスマン帝国海軍の軍艦が遭難したことが判明すると、駆けつけた大島村(現在の串本町)の住民たちの手で夜を徹した救助活動がおこなわれた。
大型軍艦があおられてしまうほどの荒天だったこと考えれば、救助も決して安全とは言い切れない。もし自分が当時の大島町の住民だったとして、なりふり構わず救助に向かえたかというと正直あまり自信がない……。

当時の大島村は400戸ほどの小さな村で、台風のせいで食料や物資の蓄えも少なかったが、浴衣などの衣類のほか卵やサツマイモそして非常用のニワトリなども提供したといわれている。
日本人の浴衣サイズがトルコ人に合ったのかと考えてしまうけど、とにかく必死だったに違いない。命だけ助かっても服が濡れたままだと風邪だってひくし、空腹のままでは生きていけない。
それでも懸命の救助活動によって生還できたのは69人。残りの587人は死亡・行方不明という大惨事となった。

1985年、日本の窮地を救ったトルコ

翌朝、大島村からの報せを受けた航行中の船で2名の生存者が神戸に向かった。また神戸港に停泊中だったドイツ海軍の砲艦も大島村に急行。生存者を乗せ、治療のため神戸へと送り届けている。明治天皇も可能な限りの援助を指示し、地元新聞でも大きく取り上げられるなどしたため義援金や慰霊金も寄せられた。
そして10月、生存者は日本の軍艦により無事トルコに送り届けられ、このとき艦長を務めた田中綱常(たなかつなつね)は先述したオスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世から勲章を下賜されている。

トルコは、この時のことを今も忘れていない。
1985年イラン・イラク戦争で緊迫する中、当時のイラク大統領サダム・フセインがイラン上空の全航空機の撃墜を世界に向けて発信した。イラン国内の被害を想定した各国は急遽自国の救援機をイランの首都テヘランに向かわせたが、当時の日本は直接自国民を救出することができなかった。

このとき、215人の日本人を救出したのがトルコである。
トルコ航空が自国民救援のために向かった旅客機を増便して日本人を助けた。このときイラン国内には日本人より遥かに多くのトルコ人がいたが、旅客機に乗れなかったトルコ人は車を使い陸路で脱出した。つまり、日本人はトルコ人よりも早くそして安全にイランを出ることができたのである。

地元グルメに隠されたトルコとの絆

エルトゥールル号遭難事件に話を戻すと、串本町では今でも5年ごとに追悼式典が行われている。平成20(2008)年にはアブドゥラー・ギュル大統領がトルコの大統領として式典に出席している。また同年に駐日大使に就任したハサン・ムラット・メルジャン大使も頻繁に和歌山県内の公共施設や企業、学校を訪問し、日本とトルコの友好関係について講演をおこなっている。

なぜトルコの人たちが日本を愛してくれているのか、現代に生きる私たちは知ろうとしなければ知ることができない。トルコというとあまり馴染みのない国のイメージがあるが、彼らがたった一度の出来事を感謝し続けていることは日本人として嬉しい。そして、当時の複雑な世界情勢の中で目の前の命を懸命に救助した和歌山の人たちの無償の気持ちを想像すると「自分も何かしないと」という気持ちになる。
なぜ和歌山でケバブが食べられるのかという小さなきっかけではあったけれど、エルトゥールル号遭難事件のことを知ってお腹よりも胸がいっぱいになった気がした。

アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館より

書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。