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Culture
2020.10.05

ミステリアスな魔法神社に祀られた、伝説の動物「キュウモウ」の正体とは

この記事を書いた人

魔法が使えたら……。そんなふうに考えたことはないだろうか。
漫才コンビ博多華丸大吉のネタに「ドラえもんがいたらなぁ」というネタがある。ふたりでどんな秘密道具が欲しいかを掛け合いながら、便利にラクに生活できないだろうかと妄想するのだ。大人になってもそんなふうに思ってしまうのだから、空を飛んだり触れずに物を動かせたりというのは人間の永遠の夢なのだろう。
岡山県総社市(そうじゃし)に「魔法神社」という魅惑的な名称の社があるのはご存知だろうか。このあたりには古くから魔法様と呼ばれる狸、「キュウモウ」の伝説がある。
狸? ドラえもんもたびたび狸のロボットと間違えられることがあるけれど……もしや何か関連があるのだろうか。

岡山には「魔法」を冠した神社が複数ある

魔法神社は山深い場所にぽつんと鎮座する神社である。鳥居はなく代わりに注連縄(しめなわ)で神域を区切っているシンプルな社で、お世辞にも参拝者が大挙して押し寄せるような所ではない。そして拝殿にはなぜか牛の絵馬がある。魔法様は狸のはずなのだが……。
岡山県には魔法神社以外にも加賀郡吉備中央町に天津神社(通称:久保田神社)と火雷神社(からいじんじゃ)という神社があり、こちらも魔法様や魔法宮と呼ばれ親しまれている。ちなみに火雷神社にも牛の絵馬がかけられている。
魔法様を冠する神社が複数あり、狸ではなく牛が祀られている。情報が多すぎて頭から煙が出そうだ。魔法を冠した神社というだけでも珍しいのに、県内にそれが3つもあること自体ちょっとすごい。

実はこれらの魔法神社がある地域にはかつて摩利支天(まりしてん)という陽炎の神様の社があり、「摩」利支天の「法」から「魔法」と呼ばれるようになったのではないかと言われている。つまり魔法神社の魔法とは、ただ言葉が訛っただけなのだ。

魔法神社とキュウモウの意外な結びつき

西日本には古くからミサキとよばれる民間信仰が根付いている。ミサキは動物の霊であることが多く、土地ごとの言い伝えによって狐だったり猿だったりその姿はさまざまである。稲荷や八咫烏(やたがらす)などもそのひとつとする見方もあり、そう考えると狸や牛を祀っていても別に不自然ではないのだ。そして江戸後期の嘉永2(1849)年に刊行された『備前加茂化生狸由来記(びぜんかもけしょうだぬきゆらいき)』には狸が魔法様のミサキとなったとみられる記述がある。

それによると戦国時代、宣教師が日本にやってきたときキュウモウも一緒に船に紛れて渡来したことになっている。その後については文献によって多少の違いが見られるが、キュウモウは日本各地をまわり最終的に岡山の廃坑となった銅山を気に入り住みついたというのがおおまかな筋だ。
これだけではキュウモウが狸かどうかもはっきりしないが、キュウモウが「金毛九尾(きんもうきゅうび)の狸」から訛ったと考えるとどうだろう。金毛九尾とは、妖狐(ようこ)に代表される金色の毛並みと九つの尻尾を持つ妖怪や化物の類のことである。広く知られている金毛九尾は狐であることが多くなぜ狸に転じたのかはわからないが「摩利支天の法」が「魔法」へと訛っていった例を考えると、まったく無い話ではない気もする。

いたずら狸も最後は土地の守り神となって恩返し

ただキュウモウはもともと信仰の対象になるような性格ではなく、牛鍬(うしぐわ:牛に引かせて田畑を耕す道具)を打ち鳴らして喚き立てたり人に化けて人家に忍び込んだりと悪戯の過ぎる狸だった。人にもよく化けたが尻尾や髭などを残したままだったため、これはすぐに正体がわかってしまったらしい。
やがて悪戯に困った村の人々は寺の和尚に相談した。すると和尚は狸退散を祈願しキュウモウをたちまち狸の姿に戻してしまう。これに観念したキュウモウは牛馬を守り村の人を助けるからと許しを乞うたが、翌朝には姿を消したという。

なるほど、絵馬はキュウモウが守るといった牛のことだったのだ。以来、村ではキュウモウを祀ったといわれているが別説ではキュウモウのほうから「自分を祀ってくれたらもう悪さはしないし、おまけに牛も守る」と言ったとされるものもある。キュウモウが牛に執着した理由についても火雷神社が牛の神様・農耕の神様だから、日本各地を回っていたとき牛に乗っていたからなどこちらも多くの説がある。

人々を困らせたキュウモウが祀られた理由は何だったのか

岡山には温羅(うら)という鬼の伝説をもとにした夏祭りがある。また鬼を祀る神社は日本各地に存在する。人々を虐げ苦しめるはずの鬼の祭りがあったり、神社に祀ったりするのはなぜなのだろう。
キュウモウも自分の行いを謝罪したとはいえ、人々を困らせたことに変わりはない。現代風にいえば作物を荒らす猪や鹿などの害獣の類なのに祀られているのはなぜか。このあたりに民間信仰の面白さがある気がする。

旱魃(かんばつ)や台風、地震なども人々を困らせるがこれら天災は退治することができない。人智を超えた大きな力に対して人は「これ以上困らせないでください」と手を合わせるしかないのである。鬼やキュウモウが祀られているのもこれと同じなのではないだろうか。
化けるのは下手でも何か特別な能力……。それこそ本当に魔法を操る力を持っていてドラえもんのように村の人々に夢を見させてくれる有難い存在だったのかもしれない。

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トップ画像出典:メトロポリタン美術館

書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。