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2020.10.15

妊婦たちを救え!世界に先駆けて正常胎位を発見した医師、賀川玄悦の出産革命

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妊娠中の楽しみと言えば、エコー写真でお腹の赤ちゃんの様子を見ること。妊娠中期~後期には性別も判明します。また、最近はエコーの技術も進歩しており、4Dエコーを使えば赤ちゃんの顔かたちまではっきりわかるようになりました。

エコーがなかった時代は、お母さんのお腹の中の様子を見ることはできません。そのため、今では考えられないような医療が「当たり前」とされていました。

そんな出産におけるかつての常識を覆したのが、賀川玄悦(かがわ げんえつ)という江戸時代の医師。農家出身ながら叩き上げで技術を磨き、日本の妊娠・出産に革命をもたらしました。

豊富な経験から常識を覆し、多くの女性を救った医師・賀川玄悦の実績や生涯についてご紹介します。

賀川玄悦の功績

賀川玄悦は、1700(元禄13)年に近江国彦根に生まれ、母の実家・賀川家で育ちました。賀川家は農家でしたが、玄悦は医者を志します。その道のりは厳しいもので、医学のために京都に行けたのは30歳を過ぎた頃。文字もあまり書けなかったと言われ、商いや按摩鍼灸(あんましんきゅう)をしながら生計をたて、ほぼ独学で医学を学びました。

賀川玄悦の肖像画
『医家先哲肖像集』藤浪剛一編 国立国会図書館デジタルコレクションより

賀川玄悦は貧しい妊婦を自宅に住まわせ、生活の面倒をみました。彼女たちの診療を通して独自の治療方法・技術を考案し、日本の産科医界に新たな発見をももたらしたのです。

常識を疑え! 赤ちゃんの正常胎位を発見

例外はあるものの、赤ちゃんが子宮の中で頭を下にしているというのは、現代なら誰もが知っていることです。しかし、エコーなどで胎内を見ることができなかった江戸時代は、西洋でも東洋でも、赤ちゃんは頭を上にしてお腹の中にいて、分娩が始まってからひっくり返るものだと考えられていました。

賀川玄悦はそれが間違っていることを自身の経験から悟ります。「産まれる直前にひっくり返ったら、お腹が破裂するじゃないか」と。賀川玄悦がこの考えに至ったのは、スコットランドの産科医ウイリアム・スメリーの発表とほぼ同時期です。ただし、日本にスメリーの本が入ったのはかなり後のことなので、賀川玄悦はスメリーの説を参照していません。これは、日本が誇れる大きな功績と言えるでしょう。

賀川玄悦の説を補い、正常な胎位を示した最初の図
『産論翼』賀川玄迪著 国立国会図書館デジタルコレクションより

死を待つのみの母体を救う「回生術」

出産中に胎内で赤ちゃんが死んでしまった場合、お産が進まず産婦は苦しみ続けることとなります。今から約300年前の江戸時代では、このような状態に陥っても薬湯や加持祈祷に頼るしかなく、産婦はただ死を待つのみでした。

賀川玄悦は胎児死亡の出産に立ち会った際、産道から死んだ胎児を引っ張り出す方法を思いつきました。これが母体を救うための「回生術」のはじまりです。

回生術と呼ばれる、赤ちゃんを引っ張り出して産婦を救う方法は、ヨーロッパでは古くから行われていました。ヨーロッパでの手術には多くの器具が用いられましたが、賀川玄悦が編み出した方法では一本の鉄鉤を用いるのみ。麻酔も使用しなかったと言われ、相当の技術がなければ不可能でした。『遊相医話(1884年)』によると、賀川玄悦の指は細長く、自在に動かせ、力もとても強かったそうです。

ちなみに、日本で初めて帝王切開を行ったのは1852年のこと。麻酔なしの帝王切開に挑んだのは、現在の埼玉県飯能市に住む本橋みとさんでした。
麻酔なしの開腹手術!日本初の帝王切開に挑んだのは、埼玉県の女性と医師だった

回生術の方法について詳しい記録は残っておらず、弟子の中でも特に優秀な者にしか教えなかったそうです。それは、技術的に難しいのはもちろん、中絶に悪用する医師が出るのを懸念してのことではないでしょうか。回生術は「産婦の命を救うため」の術なのです。

古くからの伝統を廃止

江戸時代の日本では、出産においてさまざまな伝統がありました。そのひとつが、腹帯の着用。胎児が大きくなりすぎないよう、妊婦は腹帯できつくお腹を締めていたのです。

また、日本では皇族から庶民まで、出産直後の女性は産後7日間は椅子に正座し、絶対に眠らないようにしていました。現代の私たちなら「あり得ない」と感じることでしょう。しかしこれも習慣でした。

賀川玄悦はこのような日本の伝統・習慣を非難し、腹帯をきつく巻くことも、眠らずに椅子に座り続けることも禁止しました。今では「当たり前」と感じますが、長年の習慣や伝統に異を唱えることは、かなり大きな勇気が必要だったはずです。

現代に先駆けて「インフォームド・コンセント」を実施

インフォームド・コンセントとは、医師が患者に治療法などについて十分な説明を行い、同意を得ることを言います。現代ではこのインフォームド・コンセントを行う医療機関が増えていますが、賀川玄悦は既に江戸時代に実行していたのです。

先にご紹介した回生術は、産婦を助けるための手術です。しかし、後遺症や産婦死亡のリスクも伴います。そのため、考えられるあらゆる可能性を十分説明し、産婦の家族の同意を得られた場合のみ手術を行っていました。少しでも反対意見があれば、絶対に実行しなかったそうです。

賀川玄悦は変わり者で変人? 「当たり前」を打ち壊す勇気

賀川玄悦の治療を受けるために、多くの人が家につめかけました。その名声は広まり、皇后の難産に立ち合い無事出産させたという実績もあります。字や文章があまり書けなかった賀川玄悦は、大儒者・皆川淇園(みながわ きえん)の力を借り、多くの業績や体験を記録した『子玄子産論』を刊行。1768年には阿波藩医となりました。

『子玄子産論』国立国会図書館デジタルコレクションより

そんな賀川玄悦は、奇行が目立つ変人だったとも言われます。名声や傍若無人な態度を妬む医師もいたのだとか。

このことをよく考えてみましょう。今、私たちが「当たり前」と思っていることは、実は間違ったことかもしれない。それに気付ける人がどれほどいるでしょうか。そして、その「当たり前」を打ち壊す勇気がある人は、自分を含め、誰か思いあたりますか?

賀川玄悦は、誰も想像できなかった事実を発見し、お母さんや赤ちゃんを苦しめていた長年の常識と伝統を廃止しました。「変わり者で変人」そう捉えられてしまうほど革命的だった賀川玄悦の医学。彼には「母子を救いたい」という一心がぶれずにあったため、批判を恐れず立ち向かうことができたのではないでしょうか。

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書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。