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2020.10.19

秀吉に苦戦を強いたのは女だった!?敵に果敢に斬り込む女傑「別所波」壮絶な戦いと最期

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生涯に135回も戦をしたと言われる豊臣秀吉。中でも苦戦を強いられたのは、2年近くに及んだ「三木合戦」です。実は、その戦いで名を挙げたのは一人の女性。恐れることなく敵陣に乗り込み、落城に際して壮絶な死を遂げました。「波(なみ)」と呼ばれた、ある女傑の話をご紹介しましょう。

秀吉軍を苦しめた三木城・別所氏

1578(天正6年)年、まだ秀吉が織田信長の配下だった頃、播磨三木城(はりまみきじょう/兵庫県三木市)別所氏との戦いが起こります。城主は別所長治(ながはる)。波は長治の叔父・吉親(よしちか)の妻でした。

この戦いの最中、秀吉は軍師・竹中半兵衛を病気で失うなど苦戦を強いられます。そんな秀吉軍に、別所氏は奇襲をかけていきます。夜襲の折、白葦毛の馬に乗り、燃え盛る炎の中で次々と敵を斬り倒す女性がいました。この女性こそが、女傑として伝わる波です。秀吉はこの夜襲に敗れ、態勢を整えるために姫路に撤退しました。

壮絶な兵糧攻めの中、敵に立ち向かう波

態勢を立て直した秀吉軍は、再び三木城へと向かいます。籠城する別所軍に対し、秀吉がとった作戦は「兵糧攻め」。食料の補給路を絶ち、三木城の支城も次々と攻め落としていきました。

頼みの綱だった毛利氏からの支援も途絶え、三木城の食料は底をつきます。この籠城戦は「三木の干殺し(ひごろし)」とも呼ばれ、城内の馬まで食べる惨状だったそうです。

そんな中、三木城の落城が近いことを悟った波は「最後のいとま乞いに矢を一つ参らすべし」と叫び、敵に次々と矢を射かけます。さらに弓を捨て馬にまたがると、黄金造りの細太刀と首掻き刀を携え、敵に斬り込んでいきました。

「女とは戦わない」波への襲撃を止めた秀吉

秀吉軍を斬り倒していく波。「女だからと侮るな。われこそはという者はかかってこい」と叫ぶ波に立ち向かう男たちを止めたのは、秀吉でした。

「女一人と戦うなんて大人げない。ここは見逃すのが道理だろう」と。

秀吉の制止により、波を攻撃する者はいなくなったものの、三木城の陥落は目の前に迫っていました。

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別所氏の滅亡。真っ先に自決した波

兵糧が尽き、まさに「干殺し」状態となった三木城。城主・長治は自分の命と引き換えに、籠城者の助命を願い出ます。これを秀吉は承諾し、城に酒と肴を贈りました。秀吉からの差し入れで最後の晩餐を開いた別所氏は、一族自決の日を1月17日に決めます。

当日、真っ先に自決したのは波。3人の子どもたちを刺し貫き、自身は口に刀をくわえうつぶせになって絶命。28歳の若さでした。辞世の句として「のちの世の道も迷はじ思ひ子を つれて出でぬる行く末の空」が伝わっています。女傑と呼ばれる波も、わが子を手にかけるのはどれほど辛いことだったでしょう。

波の後に、長治の弟・友之の妊娠中の妻(17歳)と、長治の妻(22歳)が続きました。長治の妻・照子も、4人の子を殺してから自分の胸を貫いたのです。

錯乱した夫・吉親

女性と子どもの後は男たちの番です。しかし、波の13才年上の夫・吉親は、錯乱して馬に乗って外に飛び出します。吉親は敵味方に関わらず斬りまくり、ついに敵と味方が力をあわせて吉親を討ち取るという醜態をさらしました。この夫に対し、武家の女として勇敢に戦い潔く散った波は、女傑として賞賛を浴びたのです。

最後に、城主・長治は女性と子どもたちの遺体に火を放ち、弟の友之とともに切腹。長治の辞世の句「今はただ恨みもあらじ諸人の 命にかはる我身と思へば」を残し、別所氏はここに滅びました。

家族と仲間を愛する心

当時の武家の女性は、戦いに敗れれば潔く自決するのが美徳だったとは言え、あまりにも残酷な最期です。もしも波が戦いに巻き込まれずに生きていれば、家族や国を支えた「強い女性」として、また違った面で歴史に残ったのではないでしょうか。

また、夫・吉親の錯乱は醜態として伝わっていますが、妻や子を愛するゆえの行動だったかもしれません。

「味方の命に代わるわが身と思えば、恨むつもりもない」との辞世を残した長治を見ても、別所氏は家族や仲間への愛をもった、強い絆のある一族だったように私には感じられます。

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書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。