Culture
2019.06.18

歌舞伎の人気演目「石切梶原」の真相とは? 演劇評論家・犬丸治さんが徹底解説

この記事を書いた人

令和元年の六月大歌舞伎(歌舞伎座)で中村吉衛門が演じる「石切梶原」の梶原平三景時。知っているようで知らなかったこの人気演目の真相を、演劇評論家の犬丸治さんに教えていただきましょう。

歌舞伎の人気演目「石切梶原」にみる先人たちの智恵の底深さ

文/犬丸治(演劇評論家)

今月の歌舞伎座は、夜の部の三谷幸喜の新作歌舞伎が予想を上回る面白さでしたが、同時に昼の部では、中村吉右衛門の「石切梶原」・片岡仁左衛門の「封印切」が、それぞれ古典歌舞伎の規矩ともいうべきものを示して見事です。これぞ新たな時代の歌舞伎の多彩さでしょう。

梶原平三景時は「秘密警察」だった!?

ここでは、このうち「梶原平三誉石切」、通称「石切梶原」についてお話しようと思います。

梶原平三景時という武将は、源頼朝の下で「秘密警察」のような役割を担い、義経について頼朝に讒言するなど、何かと悪評が高いのです。

川柳にも「梶原は二たことめにはあな(=他人の悪口)を言い」とか、「梶原と火鉢の灰へ書いてみせ」(「また嫌な奴が来たわよ」とさりげなく教える)と詠まれていますし、歌舞伎でも大抵は憎々しい敵役でした。

それを、智仁勇備わった颯爽たる捌き役にして見せたのが、この「石切梶原」なのです。そこには、常に歴史の裏に隠された真実を穿って行こうという、浄瑠璃作者の戯作者魂があります。今月の吉右衛門は言っていませんが、原作の浄瑠璃では、頼朝に忠勤を励むことで「よしそれ故に世に疎まれ、佞人讒者と指さされ死後の悪名受けるとも」信念は揺るがぬ、と梶原に言わせています。後世の歴史の評価に迷わず、信念を貫く潔さがここにはあります。

吉右衛門の真骨頂は黙している時の梶原

歌舞伎を観始めた時、誰でも義太夫狂言の難しさにぶつかると思います。まず竹本が何を言っているかわからない。時に睡魔に襲われるスローなテンポ。私も、初めの頃は歯切れの良い世話狂言ばかり偏食していました。しかし、次第に耳が馴れてくると、義太夫の旋律が役者の演技のツボにはまる時の快感はじめ、芝居の細部が見えてくるようになります。例えばこの「石切梶原」なら、梶原が三味線の糸に乗りながら刀の鞘を抜き放っての目利(鑑定)のあと、思わず「見事」と嘆息する場面がそうですね。この後の「天晴稀代の剣」をはじめ、吉右衛門の朗々たるセリフ廻しには、いつもながら溜飲が下がります。しかし、吉右衛門の真骨頂は、むしろ黙している時の梶原なのです。

この芝居、トータルで言うと、実は梶原は黙っている方が長いのです。その間何をしているかというと、舞台中央緋毛氈の上で、右膝に扇を突きながら、上手の大庭俣野兄弟、下手の六郎太夫・梢父娘のやりとりを、ジッと聴いているのですね。この無言の間を繋いでいるのが、吉右衛門の「思入れ」と呼ばれる演技です。吉右衛門は、例えば六郎太夫が命を擲つ決意であることへの同情、衣笠城に立て籠もる頼朝の動向などを肚に収めています。それを現代劇のような心理描写ではなく。ジッと座っている身体全体から醸し出しているのです。この間の吉右衛門を観ていると、梶原という男の心の内が手に取るようにわかってきます。

役の「型」に生命を吹き込む

その「思入れ」で、今月ハッとしたのは、大庭景親が、名刀の代金として三百両払うことを渋った上、六郎太夫が自身を試し斬りにして欲しいという申し出を「聞き届けた」と言った時、梶原に一瞬凄まじい怒りが走ったことでした。もっとも梶原はその憤りをすぐ呑み込んで、平然としているのですが、その伏線が生きてくるのが、血気に逸る俣野五郎が苛立って「いで二つ胴を」とズカズカ中央に進んだ時です。その声に、梶原はハッと我に返って向こうを見ます。絶体絶命、よし、自分は六郎太夫を助けようという咄嗟の決意と、大庭兄弟の非道への怒りが、ここで見事に重なるのです。「近頃もって無礼でござろう」と、キッと俣野を見上げた時の梶原のキマリが、実に鮮やかでした。歌舞伎の、特に時代物は、役の「型」(演出)が精密に決まっています。それを上辺だけなぞるのではなく、役に生命を吹き込むのが、吉右衛門が今月見せた「思入れ」なのです。

『梶原平三誉石切』左から、梢=中村米吉、六郎太夫=中村歌六、梶原平三景時=中村吉右衛門/提供 松竹(株)

梶原は何故手水鉢を斬るのか?

ところで、素朴な疑問なのですが、梶原は何故手水鉢を斬るのでしょう。答えは、浄瑠璃の本文にありました。

この芝居の原題は「三浦大助紅梅靮」(みうらのおおすけ・こうばいたずな)といいます。三浦大助義明は「三浦大助百六つ」と、百六歳の長寿を保ったとされる武将。三浦半島に根を張り、三浦氏・和田氏ら有力御家人の祖となりました。この大助が若き日三浦介として、上総介とともに那須野で金毛九尾の狐(玉藻の前)を討った時、止めを刺した刀「野狐丸」こそ、六郎太夫が持参した名刀だったのです。六郎太夫は、のちに三浦大助の総領息子とわかり、父の身替りになります。

金毛九尾の狐はこのあと殺生石に変じ、玄翁和尚の霊力によって打ち砕かるのは謡曲「殺生石」にも描かれました。金槌を「ゲンノウ」というのもここから来ています。ですから、梶原が石の手水鉢を斬るというのは、一見荒唐無稽な趣向に見えて、実は玄翁和尚が殺生石を打ち砕くことと重ねているのです。

これだけでも、昔の浄瑠璃作者が如何に古典や伝説に通暁していたかがわかるでしょう。こうした先人たちの智恵の底深さを知るのも、歌舞伎を観る愉しさなのです。

公演情報

日時:2019年6月1日~6月25日【昼の部】11:00~
場所:歌舞伎座
公式サイト

犬丸治(いぬまるおさむ)

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか