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2021.01.26

江戸女子の芸術的ヘアアレンジを実現する髪のスペシャリスト・女髪結のお仕事解説!

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女性のヘアスタイルは、時代によって大きく変わるものの一つではないでしょうか?
ヘアスタイルを変えるだけで流行最先端のイケてるスタイルになったり、ヘアスタイルがちょっと古いだけで、時代遅れのがっかりスタイルになったりすることも。もしかしたら、ヘアスタイルは時代を映す鏡であり、おしゃれのキーポイントでもあると言えるかもしれません。

わかる~! 数年前の写真を見ると、髪型が古くてびっくりすることがあります!

最近の女子に人気のヘアスタイルのキーワードは「ゆるふわ」? 実は手が込んで作り上げたものをわざと崩して無造作な感じにしたり、まとめ髪の時もわざと後れ毛を残したりすることも。
一方、江戸時代のヘアスタイルは、「ゆるふわ」はNG。後れ毛を残さず、きっちり髪を結い上げるのが基本でした。そして、髪の結い方にも流行があり、その数は数百種類にも及んだそう。
数百種類も!? スゴイ!!

そんな江戸の女子のヘアスタイルを生み出したのが、「女髪結(おんなかみゆい)」と呼ばれるヘアスタイリストであると言われています。この記事では、江戸女子の芸術的な結い髪を生み出した「女髪結」について紹介します。

自分で髪が結えない女子は、教養がない?

江戸時代初期までは、女子は長い髪を束ねるくらいで、髪を結う習慣はありませんでした。
最初に髪を結うようになったのは遊女たちだと言われていますが、いつ、どのようにして髪が結われるようになったのかは、はっきりわかっていません。しかし、江戸時代はヘアブックのような髪の結い方を図をまとめた雛形本(ひながたぼん)が刊行されるなど、長い黒髪を結う文化が花開いた時代でもありました。

現代はインスタなど、SNSを見てヘアスタイルを決めることも多いみたいですね。

それでは、江戸の女子たちはどうやって髪を結い上げていたのでしょうか?
髪は自分で結うのが基本でした。自分で髪が結えるということは、自分で身だしなみを整えることができるということであり、「大人の証(あかし)」。 自分で髪が結えないのは、文字が書けないことと同じくらい教養がないとされていたのです!

国貞改二代豊国「百人一首絵抄 七十八 待賢門院堀川」 国立国会図書館デジタルコレクション

ただし、すべての女子が自分で髪を結っていたというわけではなく、母や姉などの家族に結ってもらったり、奉公先ではお互いに髪を結い合うこともあったとか。華やかな髪型の遊女や芸者も、自分で結うか、仲間同士で結い合ったりしていたそうです。

女の子同士で結び合う! なんだか楽しそう~★

女髪結の誕生

「女髪結」という言葉が最初に登場したのは、江戸時代中期の上方でした。
寛延元(1748)年7月、京の中村粂太郎(くめたろう)座で上演された狂言『けいせい紅葉軍(もみじぐん)』で、中村富十郎が「女髪結おつけ」を演じていることから、「寛延元年頃の京には、女髪結がいた」と推測されます。

上方から少し遅れて、江戸にも女髪結が登場します。

上方(京都・大阪方面)から江戸(東京方面)に伝わったのですね。

江戸の女髪結の始まり

江戸の女髪結の始まりには諸説あります。
一つは、歌舞伎の「鬘(かつら)つけ(=鬘の髪を結う者)」が始まりという説で、山東京伝(さんとうきょうでん)の随筆『蜘蛛の糸巻』にある「女髪結の起立(おこり)」で紹介されています。

江戸・深川に移り住んだ京歌舞伎の女形・山下金作(やました きんさく)の「鬘つけ」が、贔屓にしている遊女の髪を役者のように結ってあげました。彼が結う上方風のヘアスタイルがあまりにも素敵だったため、遊女の仲間たちも金銭を支払って、自分の髪を結わせるようになります。結賃は200文(約5000円)もしましたが、芸者や遊女の間で大人気となり、彼は「鬘つけ」を辞めて、髪結になりました。

今も女性のヘアセットは、だいたい5000円くらいですね!

その後、甚吉(じんきち)という若い男の弟子ができます。甚吉は、髪結料を100文としたので、「百さん」と呼ばれたとか。甚吉は「止挙音声、天然婦女の如く」、つまり「生まれつき声が非常に美しく、立ち振る舞いも女性的」だったとあるので、現代風に言うと、「オネエ系のヘアメイクアップアーティスト」という感じでしょうか? 甚吉は女の弟子をとり、遊女たちの髪を結って回りました。
へぇ~!! 今も昔も変わらないんだ! 面白い!

これが江戸の女髪結の始まりであるとし、明和7(1770)年頃のことと言われています。

また、江戸時代後期の歌舞伎作者であり随筆家でもある浜松歌国(はままつ うたくに)の随筆『南水漫遊(なんすいまんゆう)』には、明和年間(1764~1771年)初め頃に、金剛と呼ばれる歌舞伎俳優の身辺雑用をする者の妻が遊女たちの髪を結ったことが女髪結の始まりとする説が載っています。

フリーランスの女髪結

当初は、髪結いを頼むのは遊女や芸者といった人々でしたが、彼女たちの最先端のヘアスタイルを見た一般女子たちの間で、「私も、流行のヘアスタイルにしたい!」「真似したい!」という欲求が広がります。それに応えたのが、大名家や旗本の屋敷奉公や遊郭での奉公で、髪の結い方のスキルを身につけた女子たち。奉公を辞めてから、フリーランスの女髪結となります。

喜多川歌麿「婦人手業拾二工」 シカゴ美術館
今も昔も、女の子がおしゃれな髪型にしたい気持ちは変わらない! 私も高校生の頃は、朝4時に起きてヘアセットしてました。母となった今は……(;^_^

女髪結によって、さらに複雑化するヘアアレンジ

女髪結の広がりで、江戸時代中期からヘアスタイルのアレンジはさらに複雑化し、大きな盛り髪スタイルが流行します。盛り髪用の「髱差し(たぼさし)」「鬢差し(びんさし)」も登場。こうなると、流行に敏感なおしゃれ女子は、自分では髪を結えなくなってしまいました。遊女や歌舞伎の女形のようなゴージャスな髪型は、真似したくても難しすぎて、自分ではできない……。そんな時に頼りになるのがプロのヘアスタイリストである女髪結なのです!

わかる! 雑誌の真似したくても、自分じゃできない……

「複雑で凝ったヘアスタイルが流行し、自分では髪が結えなくなったために女髪結に結わせるようになった」とも、「女髪結の誕生によって、より複雑で凝ったヘアスタイルが誕生し、流行した」とも言えるのかもしれません。

鈴木春信「座鋪八景 鏡台の秋月」 シカゴ美術館

人気の女髪結は月ぎめで雇われ、雇い主が芝居や花見に出かける際には付き添い、髪を直してあげたりすることもあったのだとか。まるで、女優やモデルの撮影に同行するヘアメイクアップアーティストのようですね。
ちなみに、女髪結は、ただ頼まれて髪を結い上げていただけではなく、流行のヘアスタイルに関する情報も集めていたそうです。流行に敏感でなければ評判にはならず、声もかからなかったのです! そして、フリーランスで生きていくためには、スキルのアップデートも必須。人気の女髪結は、あれこれ注文をつけなくても、年齢や顔の形、職業など、顧客に似合うヘアスタイルや髪飾りを考えて、おまかせでも素敵に髪を結い上げくれたと言われています。

本当に、江戸時代も現代も変わらないんですね! 江戸がぐっと身近になりました!

髪を結うと、いくらかかる?

女髪結の料金はかなり高価で、女髪結の最初の顧客は遊女や芸者など一部の女子だけでしたが、美しいヘアスタイルにしたいのは一般の女子も同じ。「一般女子には派手すぎる!」と批判を受けながらも、女髪結の需要が増えることで、女髪結が乱立するようになります。

わかる~! 大人は若い子につい「何その派手な頭!」って怒っちゃいますよね。

三代目歌川豊国「春雨豊夕栄」より 国立国会図書館デジタルコレクション

値段が高かった髪結代も、女髪結が増えるにつれて価格競争も発生。髪結代が安くなり、手頃な値段で髪を結ってもらえるようになりました。結髪料は50文、32文、24文と値下がりし、一般の女子も手軽に結ってもらえるような料金設定になっていきました。そして、金額が安くなると、さらに需要も増えたのだとか。
女子たちがどのくらいの頻度で髪を結ってもらっていたかは不明ですが、素敵なヘアスタイルを維持するのにもお金がかかっていたことがわかります。

女髪結が禁止される

寛政7(1795)年10月、江戸幕府は、女子のヘアスタイルや衣服が華美になりすぎて風紀を乱すとして、女髪結を禁じる触(ふれ)を出しました。
その後も、幕府は何度か触を出して、女髪結を禁止しようとしますが、女髪結は減ることはあっても、なくなることはありませんでした。女髪結は女子の生活に不可欠なものなっていましたし、取締まろうとしても、外見では女髪結かどうかを見分けることができなかったからだとも言われています。

嘉永6(1853)年3月、幕府は「風俗を乱す」として私娼の取締りと同時に、女髪結も取締ります。当時、幕府が把握していただけで、江戸には1400人の女髪結がいたと言われています。

美しいヘアスタイルへの憧れは、禁令にも負けない!

江戸時代の錦絵には、女髪結と思われる女性に髪を結ってもらっている姿や当時のトレンドヘアの女子が描かれており、絵師の活躍した時代によって、流行のヘアスタイルが違うこともわかります。たび重なる幕府の贅沢禁止令で女髪結も禁止されますが、女髪結が作り出す素敵なヘアスタイルをなくすことはできませんでした。

菊川英山「風流近江八景 瀬田夕照」 シカゴ美術館

いつの時代も、「おしゃれをしたい!」「きれいになりたい!」と願う女子たち。江戸幕府も、「素敵なヘアスタイルにしたい!」という江戸の女子たちのおしゃれ心には敵わなかったようですね。

美容院に行くと、すっごくワクワクしちゃいます! それと同じように、江戸時代の女性もヘアアレンジを楽しんでいたのですね。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。