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Culture
2021.03.29

世界で最もエキセントリックでエキサイティングなバイクを作った男・鈴木修の「中小企業精神」

この記事を書いた人

今年6月、自動車メーカーのスズキを約40年に渡って率いた鈴木修会長が退任する。

鈴木会長は「中小企業の主人」である。あの大企業スズキが中小企業? と首を傾げる読者もいるだろう。しかしこれは、本人の談である。そもそも鈴木会長の著書のタイトルは『俺は、中小企業のおやじ』だ。

鈴木会長の柔軟な発想力は、モーターファンや静岡県民には広く知られている。特に二輪車の分野では、プレスリリースを一目見たモータージャーナリストがずっこけるほどの斬新過ぎる製品を数多く送り出した。どうせシェア争いではホンダとヤマハには勝てない。ならば、オンリーワンの道をひたすら行けばいいじゃないか!

斜陽の軽自動車を復活させる

今でこそ日本の車道には黄色ナンバーの軽自動車が何台も走っているが、鈴木会長が社長に就任した当時(1978年)は「軽自動車は滅びゆく存在」と思われていた。

自動車の価格が相対的に安くなり、排気量の大きなクルマは「高嶺の花」ではなくなっていった。かつてのオート三輪のように、非力な軽自動車は市場から去っていくに違いない。

が、スズキの主力製品は昔から軽自動車である。その上、アメリカのマスキー法に端を発する厳格な環境規制法案への対応に乗り遅れ、1978年当時のスズキは窮地に追い込まれていた。「スズキは中小企業」という鈴木会長の言葉は、かつての苦境を加味している。

70年代までのスズキは、二輪四輪問わず2ストロークエンジン車専門メーカーだった。

ガソリンエンジンには4ストロークと2ストロークが存在する。シリンダーの中でガソリンと空気の混合気を爆発させてピストンを回すのだが、その爆発に至るまでの工程が4つあるのが4ストローク、2つが2ストロークである。

よりパワーが出やすいのは2ストロークだ。その反面、燃費が悪く爆発し切れなかったガソリンやオイルをそのまま排出してしまう。暴飲暴食のエンジンなのだ。

それに比べたら、4ストロークはクリーンで合理的。ガソリンをシリンダー内でしっかり消化してくれる。スノーモービルや船外機や芝刈り機などはともかくとして、我々現代人が日頃見かけるクルマの殆どが4ストローク車である。

スズキが4ストローク車の開発に本腰を入れた時、既に国内他社はそれを商品化していた。つまり最後発である。が、80年代以降のスズキはその遅れを挽回するかの如く、エキセントリックでエキサイティングな発想を具現化させていった。

スズキのエキセントリックなバイク① GAG

スズキはギャグを商品にしてしまったことがある。

1986年、レーサーレプリカ全盛期に『GAG』という50ccバイクを市場投入し、話題をかっさらった。乾燥重量は僅か64kg。レーサーレプリカのようなフルカウルを装着したミニバイク、というよりもポケットバイクである。つまりレーサーレプリカのパロディなのだ。「若者が遊び心で乗るもの」という位置付けで、宣伝ポスターもポップなイメージの構図で作った。

そう、これは冗談の代物。

ところが、社外の人間はそうは捉えなかった。GAGに乗ったのは「ふざけた若者」ではなく、「真面目なオッサン」だったのだ。彼らはGAGを対象にしたレースを始めた。競争をする以上は、マシンにチューニングを施さなければならない。

そしてついに、「チューニングの大巨人」がこの世界へ進出してしまった。我らが火の玉改造オヤジ、負けることが何よりも大嫌いな男、ポップ吉村である。キャブレターもマフラーも徹底的に改造し、ギャグではないGAGを生み出したのだ。

「おやっさん、このバイクは冗談ですから。あんまり本気になっちゃダメですよ」

ポップにそう言った者は、恐らくいなかっただろう。言ったら最後、

「冗談? バカヤロ! レースってのはいつでも真剣勝負なんだ。本気でやらねぇと勝負には勝てねぇんだ!」

と、スパナを振り回すポップに怒鳴りつけられるに違いないからだ。

こうなると、他社もミニレーサーレプリカの分野に新製品を送り出すようになる。しかしGAGはそもそもが「冗談の結晶」だから、スペック争いで勝てるはずもない。発表から2年もしないうちに、カタログから脱落してしまった。

スズキのエキセントリックなバイク② ボルティー

鈴木会長は「ケチ」として知られている。これは悪口ではなく、業界では公になっている話である。

プロ野球の鶴岡一人に倣って「工場には銭が落ちている」と発言し、工場の整理整頓を徹底させる。それがコストダウンにつながるという発想だ。部品一つにしろ、それを極力削減して1円単位のコスト削減を成功させる。「たかだか1円」と言ってはいけない。クルマは大量の部品を使って大量生産するものだから、1円が積もり積もって巨額の数字になるのだ。

そんな鈴木イズムをある意味で体現させたのは、1994年発売の『ボルティー』。

250cc空冷単気筒エンジンを積んだネイキッドタイプで、最高出力は20馬力。正直、250ccクラスにしては物足りない……と思うのは4気筒マシンでバリバリ走ってる野郎共の発想。シート高750mm、乾燥重量125kgは小柄な女性ライダーでも扱えるサイズだ。

しかも、単気筒だから走り出しが力強い。それは即ち、初心者でもエンストしにくいということだ。

おまけに、このボルティーは恐ろしく安かった。発売当時の価格は税抜29万8000円。同時期の同クラスのライバルが安くても40万円台だったから、プレスリリースを見たモータージャーナリストがたまげるのも無理はない。

ボルティーは製造工程をとことんまで見直し、前モデルとの部品の共通化等、徹底したコストカットを施した末の製品である。この業界において、ケチは決して悪いことではないのだ。現在でも、中古バイク業者は免許取り立てのライダーに対してボルティーやその兄弟車グラストラッカーを勧めたりする。それだけ乗りやすく実用的なバイクということだ。

スズキのエキセントリックなバイク③ チョイノリ

鈴木会長の「排気量は1ccあたり1000円が妥当」という持論は有名だ。

が、この理論はエンジニアではない筆者から見てもいささか無茶だな……というのが正直なところ。同じ400ccでも単気筒と4気筒では馬力が異なるし、製造工程やメンテナンスの難易度にも差が出るからだ。だからこそ、鈴木会長の持論はなかなか具現化しなかった。

ところが「いっぺんくらい俺の理想のバイクを作らせろ」という運びになり、結果『チョイノリ』という50ccバイクが爆誕してしまった。

ガソリンタンクはシートの下にある3L容量で、サイドミラーは1本だけ。そして何と、セルスターターがついていない。2003年発売の原付なのに、キックスターターしかないのだ。価格は税抜5万9800円。破格と表現するべき数字だ。

カムシャフトの材質が金属ではなくプラスチックだったせいで、5000kmも走れば徐々にガタが出てくるという欠点もあった。が、それ以上にチョイノリは「国内産業の空洞化」の問題に一石を投じる意味合いも果たしていた。

チョイノリは国内工場で生産されていたのだ。

この時代、日本経済を支えてきた製造メーカーの生産拠点が次々と海外移転するようになった。鈴木会長は、それに疑問を呈していたのだ。カムシャフトの問題はあとから改善すればいい。問題は、日本のメーカーが奇抜な発想で編み出した製品を日本国内の工場で生産することである。

チョイノリは、鈴木会長のアイデンティティーが十二分に発揮された製品でもあった。

これからも我が道を

スズキは「全力でふざける」メーカーである。だからこそ、ダンピング競争のような目先の業績に惑わされることなく我が道を進むことができたのでは……というのが筆者の見解だ。

鈴木会長の独創性や観察眼に関するエピソードはたくさんあり、真面目に書くと紙が足りなくなる。だが最後にひとつ、読者の諸兄諸姉に対して謎かけをさせていただきたい。

70年代、軽自動車はもはや廃れるのみと認識されていたのは上述の通りだ。しかし、軽自動車の消滅はスズキの消滅を意味する。だから軽自動車の新たな需要を掘り起こさなければならない。

鈴木会長はまず販売店を視察し、その後ホーロー(琺瑯)メーカーと相談した。なぜクルマの会社がホーローの会社と協力したのか。その答えは『俺は、中小企業のおやじ』に書かれているので、ぜひ読んでいただきたい。

【参考】
『俺は、中小企業のおやじ』鈴木修 日本経済新聞出版社
『ポップ吉村物語』原達郎
SUZUKIのZUZUKI GAG-バイクの系譜

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。