Culture
2021.07.29

奈良墨とは?クラウドファンディング大成功の墨職人に聞く、墨の魅力・歴史・作り方

この記事を書いた人

墨をすったことはありますか?書道セットに入っていたり、冠婚葬祭の記帳台に置かれていたりする、小さな四角い「墨」。日本人で知らないという人はわずかでしょう。一方で、墨のすり方を知っている人も、今となってはわずかになってしまいました。
卑弥呼の伝説、織田信長の比叡山焼き討ち、渋沢栄一と徳川慶喜の交流……私たちが今、過去の歴史を知ることができるのは、ひとえに紙に墨で書かれた文字が残っていたから。
日本という国を密かに支えてきた墨の未来のため、2021年6月、奈良墨の工房「錦光園」さんがクラウドファンディングを実施。SNSで話題になり、初日に目標額を大幅に達成したことで話題を呼びました。今回は奈良墨職人である長野睦さんにオンライン取材を行い、墨の魅力をお伺いしてきました。

「墨」は何でできている?シンプルで奥深い1400年の歴史

奈良「錦光園」7代目・長野睦さん

―墨といえば、習字セットに入っていたもの、というイメージが強いです、そもそもいつごろからあるのでしょうか。

長野さん(以下、長野):墨の元々の生まれは中国です。来日したのは610年、飛鳥時代のこと。高句麗のお坊さんから飛鳥京に紙と墨、筆がもたらされたと日本書紀に記録されています。

―墨が伝わったことが、墨で記されているのですね。長野さんの「錦光園」は江戸時代から墨職人のご家系だそうですが、なぜ奈良で墨が発達したのでしょうか。

長野:今でも国産の墨のほとんどがここ、奈良で作られています。墨は近畿地方でよく作られていたのですが、それは都があったことが影響しています。役所があれば文書を作ります。それに奈良には興福寺や東大寺、薬師寺をはじめとする寺社仏閣がとても多い。仏教との結びつきがとても強い土地柄です。お坊さんにとって、写経は大切な修行。墨や紙、筆の需要が大きかったことが、奈良墨の歴史に影響していたと考えられます。

―需要があれば、職人さんも集まるんですね。

長野:墨は他の伝統工芸同様、完全分業制というか、それぞれの工程に職人さんがいらっしゃいます。墨の需要が減ってくれば、職人さんも減る。墨自体を作れなくなってしまうのではという危惧が今大きいです。

―墨はどうやって作られているのですか?

長野:墨の原材料はシンプルです、煤(すす)と膠(にかわ)、それから香料ですね。

―すす……あのバーベキューのあとなどに、燃やした後にできる煤ですか?

長野:はい。アカマツを燃やした煤を松煙(しょうえん)といいます。一方、菜種油などを燃やした煤を油煙(ゆえん)といい、日本では1400年ごろ、室町時代に日本で作られるようになりました。黒々としたつやが特徴です。中国でも松煙墨は長く使われてきましたが、今はほとんど作られていません。材料を作る職人さん自体、和歌山県に1件だけなんです。

―そういえば、平安時代の書物と安土桃山時代の文書って墨の濃さ(黒さ)が違うような気がします。年代が違うからかと思っていましたが、もしかしたら墨が違うからかもしれませんね。膠は、名前だけは良く聞きます。

長野:要は動物性のゼラチンですね。墨は膠と煤を練って作られるのですが、この時重要な役割を果たします。膠には独特の臭いがあるため、香料が使われるようになりました。

ー墨の匂いは、香料によるものなんですね。混ぜて練ってからはどうするんですか?

乾燥を待つ墨

長野:木型に入れます。おなじみの長方形以外にも色々なかたちがありますよ。それから乾燥させるのですが、これに時間がかかるため、大体1~2年がかりの作業です。

―長い時間をかけて、私達のもとへやってくるのですね。

墨の未来へと踏み出すー脱サラして家を継ぐまで、継いでから

―先程職人さんが減っているというお話がありました。長野さんは脱サラして、職人の世界に入られたということでしたが。

長野:元々実家が代々続く墨職人で、小さい頃から手伝いはしていました。「家業だし、継ぐのが普通だろう」くらいの気持ちで修行に入ったんです。父親からは廃業するつもりだと言われましたが……。実際に墨の世界に入ってみると、思っていた以上に大変な状況だった。職人さんの灯りが消えかけている。

長野さんとお祖父様、お父様

自分は祖父や父、職人さんが墨を作る姿を見て育ち、その墨で食わせてもらってきました。これは自分の所のことだけ考えている場合じゃないと……。

―さまざまな活動を始められた。

長野:墨作りの様子を見学できる工房見学をしたり、小学校で体験授業をしたり、とにかく若い世代に墨のことを知ってもらいたいと思いました。書道の授業は今もありますけど、僕が小学生の時、もう30年以上前ですね。奈良県の公立校で、墨をすったことのある子は半分くらいでした。今はもうほとんどいないでしょう。

固形墨が何なのか知らない子も多かったので、まずはそこからだと思いました。

―高校以上になると書道は選択授業になってしまいますしね……。にぎり墨体験という、墨を握って自分だけの墨を作れるという体験が人気だったと伺いましたが。

長野:学校の授業や外国からのお客様、さまざまな方にご体験いただきました。少しずつ拡がりが見える中、コロナ禍で大打撃を受けてしまい……。観光客は80%減りましたし、流通にも影響が出た。オンラインでの体験を始めたことで新たな手応えも感じましたが、奈良墨の継承には時間がない。そこでクラウドファンディングに踏み切りました。

―SNSで拡がったこともあり、初日で満額を達成。350人以上の方が支援されていますね。

長野:ありがたかったです。多くの方に拡散いただいて、かつて錦光園でにぎり墨を体験した方などがご支援くださった。墨という存在が日本人の心にまだ残っているのだと感じることができました。

―墨の魅力とはなんだと思いますか?

長野:第一にすって、書くための実用品であること。一方で見た目の美しさ、独特の香り、墨そのものに魅力が備わっていると考えています。どこの小学校にも書道の時間はあるので、嗅覚が記憶しているのでしょう、工房にいらした方は「懐かしい香り」とおっしゃいますね。オンラインでは墨の香りを伝えるのは難しいですが、体験キットに香料のサンプルを入れています。

ー私も体験したくなってきました!

触れて、嗅いで、書いて。墨の世界をもっと身近に

―クラウドファンディングは大きなきっかけになったと思います。今後、墨をどうやって広げていきたいとお考えですか?

長野:日本人なら誰しも、一度は触れたことがある。これが墨の強みだと思っています。懐かしい存在だけでなく、少しでも身近な存在になってほしい。確かに今、職人さんの高齢化が進み、後継者不足です。でも、まずはそこじゃないと思っています。需要の底上げをして、墨屋で食べていける素地を作っていかないと、結局は立ちゆかない。小学校や中学校の訪問はこれからも続けていくつもりですし、コロナが落ち着いたら産業観光も再開したい。自分にできることはたかがしれていますが、長いスパンで草の根活動できたらと思っています。

墨という字は「黒」と「土」から成り立ちます。黒という字の上はかまどや窓、下半分は炎を表すそうです。SNSを活用し、新時代の墨職人としてお話してくださった長野さん。その穏やかな笑顔には、墨の字にひっそり隠れる炎のように、熱意が満ちていました。

錦光園

クラウドファンディングページ

いますぐ奈良墨を擦りたい!という方はこちらをどうぞ↓↓↓


奈良墨 写経墨1.5丁型