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2021.09.27

塩(しょう)がなかったら高尾へ行け。関東ローム層、大宮台地の最高地点はここだ【北本奥の細道】

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東京の池袋駅から電車にて40分くらいで到着する、埼玉県北本市。北本は、今からなんと約3万年もの昔、旧石器時代から人々が生活を営んでいました。それだけ長い歴史がある場所であれば、まちの中で人の流れや密度に変化が生まれます。
今回は、江戸時代から明治期まで、北本市内で一番栄えていた場所の一つ、高尾の河岸場跡と、その周辺に位置する阿弥陀堂をご紹介。埼玉県南東部に広がる大宮台地を流れる荒川と、その河岸場である高尾河岸(たかおかし)は、かつては大江戸へ繋がる水脈であり、舟運の要だったといいます。当時の面影がところどころに残る緑豊かな道をのんびり散策しながら、昔の賑わいに思いを馳せてみましょう。

今回も北本出身の私が同行しました!


赤で囲んでいるのが今回訪ねた主な場所です。全体図はこちら

荒川の河岸場跡から高尾橋に至る道。ウグイスやトンボ、チョウなどが飛びかう風景に癒されながら、てくてく歩きました。
川沿いに有名なイタリアンのお店「アドマーニ」や「阿き津」という蕎麦屋があります!

※河岸(かし、かがん、かわぎし)…水陸の交通が交わるところに生まれる荷物輸送の拠点で、流通に携わる人々が町を形成している場のこと。

高尾河岸跡への道中にある阿弥陀堂
鐘楼門からの眺めは絶景!


今回目指す高尾河岸や、高尾橋がかかる荒川は、JR北本駅の西側に位置しています。高尾方面に向かうと、鐘楼つきの堂々とした門やたくさんの墓石とともに、立派なお堂が見えてきます。
こちらは阿弥陀堂で、江戸時代に建てられた歴史のある建物。境内にある墓石などの石造物は1500基もあり、昔はこの界隈の人口がとても多かったことをうかがわせます。

鐘楼門からお堂を見た眺め。門からは北本の景色を堪能できます。

もともと阿弥陀堂は、源義朝の六男で、源頼朝の異母弟である源範頼の妻とされる亀御前の供養のために建立されたもの。亀御前は、夫の範頼が伊豆修善寺で亡くなったという知らせを聞いて川に身を投げたとされています。
亀御前を弔う供養塔は門の近辺にあり、小豆色に近い色味の笠石が特徴的です。なお、亀御前は源範頼の娘という伝承もありますが、高尾では範頼の妻とされているそうです。

確かに色がほかのものと違う!北本の石戸蒲ザクラという桜の木にも源範頼の伝説があります。


亀御前の供養塔。塔身上部には、種字(梵字)にて、阿弥陀如来を意味するキリークなどが刻まれています。門の付近にあるのでお見逃しなく。

阿弥陀堂の目印にもなる鐘楼門は、関東平野の西部に広がる大宮台地の最高地点に位置しており、登ると緑豊かな北本の眺めを堪能することができます。
鐘楼門の梯子はかなり急なので、登る場合は安定した靴を履くのがおすすめ。大きな鐘は突いて音を出すこともできますが、鐘突き棒はかなり古いので、優しく突くのがよいでしょう。

大宮台地は川口市から鴻巣市まで広がっているそうです。ここはその最高地点!一都三県の「災害に強い街ランキング」で3位にもなっているとか!


鐘楼門の鐘。太平洋戦争で一度供出させられましたが、昭和58年に有志の方々によって復元したそうです。昔から愛されている場所だったのでしょうね。

阿弥陀堂の敷地内には、北本の教育史のキーパーソンで、なんと85歳まで寺子屋で教鞭をとった関眠翁の筆小塚があります。
碑の下部のお線香を置く場所には「心」の文字が。迫力がありながら風情を漂わせる石碑は、関眠翁の人望を今に伝えるようです。

関眠翁の筆小塚。学問の神様である菅原道真公が祀られた大宰府天満宮には、心字池という池があるので、下部の「心」の文字は、心字池と関係があるのかもしれません。

※筆小塚…江戸時代の教育機関だった寺子屋や家塾で、師匠が亡くなった際に教え子が費用を出しあって供養のために建てた墓である塚、または供養塔をさす。

阿弥陀堂 基本情報
住所:北本市高尾6-366
電話番号:048-591-1473(北本市観光協会)
アクセス:JR北本駅西口から衛生研究所・荒川荘行きバスで10分
     「野外活動センター入口」バス停下車、徒歩15分
料金・営業時間・休日:拝観自由 
*詳細はこちら(北本市公式HPより)

お稲荷様のおキツネさんや水神様の石碑も
信仰の力を今に伝える

阿弥陀堂から高尾河岸跡へ向かう途中、小さな稲荷社がありました。こちらは河岸稲荷で、昔、高尾河岸界隈は商売を生業とするお店が多かったため、商売の神様であるお稲荷様が祀られたそうです。
河岸稲荷のおキツネさんは2頭で、宝珠を持っている狐と、子狐と遊ぶ狐がいるのが特徴。親子の狐のお稲荷様は珍しく、仲睦まじくじゃれ合っている、ありがたくもかわいらしい姿は必見です。

おキツネさんの親子像。子狐は残念ながら一部損壊してしまっていますが、愛くるしい仕草はしっかり残っています。
かわいい…


周辺には田んぼが広がっており、荒川に隣接する田畑付近には「水神宮」と書かれた石碑も。この碑はかつて河岸周辺に住んだ人々が、田の神様、水の神様に結びついた水神様を信仰していた名残で、今でも近隣の人々がお祀りしているとのこと。
石碑付近はきれいに手入れされ、どことなく神聖な雰囲気が漂っていました。信心の力を今に伝えるようですね。

水神宮の石碑。青々とした田んぼを守ってくださっているようです。

「塩がなかったら高尾へ行け」
日用品から仕事まで、高尾には全てが揃っていた

道を歩くにつれて、次第に水音が聞こえてきます。しかし、水の気配はするものの、植物が生い茂っていて、なかなか川の姿は見えてきません。高尾橋まで歩くとやっと水面が見えました。この荒川がかつて舟運で栄え、高尾に賑わいをもたらしたのです。

高尾橋からの眺め。周囲は緑が生い茂っていて、橋まで来ると水面が見えました。付近には6匹の河童が住んでいたという伝承もあります。
駅から離れるとほんとうに自然がいっぱい!


荒川はもともと大宮台地の東側を流れていましたが、江戸時代の初期に治水工事が行われ、大江戸のまちと結ばれました。高尾河岸は、年貢回送のための幕府公認の河岸場として早い段階で整備されたといいます。
明治時代までの荒川は蛇行して流れており、水流も豊かだったとのこと。今は工事によって川岸が削られて、局所的に流れが激しい場所もありました。

荒川でも特に流れが激しい部分。この日は特に増水しており、ひときわ勢いよく流れていました。

江戸の昔、高尾河岸の船問屋の中でも規模が大きかったのは田島家で、河岸場を仕切っていたのが田島此右衛門(たじまこのえもん)でした。田島家のお屋敷は今なお非常に広大で、一目で見渡すことが難しいほどの規模です。なお、河岸稲荷建立に関わったのも田島此右衛門で、地域に貢献していたことを示しています。

船問屋として河岸場を取り仕切った田島家の門。一望できないほどの広さです。(写真:北本市教育委員会)

昔の河岸場はとても栄えていて、江戸からは毎日3艘の舟が上がってきたとのこと。高尾河岸からは年貢米や農産物、高尾箪笥の材などが運び出され、江戸からは肥料や生活用品が持ち込まれたそうです。
かつては「塩がなかったら高尾へ行け」「しょうがなかったら高尾へ行け」と言われていました。塩などの日用品や仕事がなくても高尾に行けばある、とされていたのでしょう。往年の繁栄ぶりが偲ばれます。

こんなに文化度が高かったとは…!


昔の地図を見ると、この辺りにはうどん屋や銭湯、旅館などがあり、賑わいのあるまちが形成されていたようです。商売のお店の人々が盛んに往来し、河岸稲荷のキュートなおキツネさんたちも大切にされていたことでしょう。

当時の地図。いろいろなお店や施設が並んでおり、たくさんの人が行きかっていたのでしょう。地図の全体図はこちら (『北本子ども漫画館下巻』北本市教育委員会(平成6年)より転載)
駄菓子って江戸時代の頃からあったんですね。


荒川を少し下ると、高尾さくら公園があります。ここは荒川や秩父の山々を一望できる場所で、春にはその名の通り、たくさんの桜を楽しむことができます。公園の敷地内にはなんと阿弥陀堂遺跡という中世の館跡があり、中国から運ばれてきた青磁片なども発掘されているとのこと。この一帯は、北本市の歴史とロマンがぎゅっと詰まった、貴重な場所なのです。

すがすがしい新緑が目に眩しい、高尾さくら公園。春には桜が咲き、お花見の人たちで賑わうそうです。
天気の良い日は富士山も見えるし、春になると桜の木が満開ですごく素敵です!

高尾さくら公園 基本情報
住所:北本市高尾6-350-1
電話番号:048-591-4703(北本市子供公園管理事務所)
アクセス:JR北本駅西口から衛生研究所・荒川荘行きバスで10分
     「野外活動センター入口」バス停下車、徒歩15分
料金・営業時間・休日:入園自由
*詳細はこちら(北本市公式HPより)

今回歩いてみて感じたのは、普段何気なく見ているであろうお堂やお稲荷様、石碑などはまちの記憶の痕跡であり、それぞれに出来事や人々の思いが背景にあるということでした。
北本には、現時点でもたくさんの文化財がありますが、見つかっていない貴重な遺跡などが、まだまだ残っているのかもしれません。今後もいろいろな生き物がのんびりと暮らし、豊かな自然が残り、なおかつ貴重な歴史の足跡が発見・保存されつづけるまちであってほしいと思います。

取材協力:磯野治司(埼玉県北本市役所 市長公室室長)

「連載 北本奥の細道」

第一回 東京へ向かうのになぜ“下り”?埼玉県北本市「中山道」謎を紐解くぶらり旅
第二回 0歳の赤ちゃんが富士山にのぼる?江戸時代から続く初山参りと浅間山信仰
第三回 武蔵国を駆け抜けた鴻巣七騎とは?岩付太田氏と家臣団をつなぐ岩槻街道を歩く
第四回 塩(しょう)がなかったら高尾へ行け。関東ローム層、大宮台地の最高地点はここだ

書いた人

哲学科出身の美術・ITライター兼エンジニア。大島渚やデヴィッド・リンチ、埴谷雄高や飛浩隆、サミュエル・R.ディレイニーなどを愛好。アートは日本画や茶道の他、現代アートや写真、建築などが好き。好きなものに傾向がなくてもいいよねと思う今日この頃、休日は古書店か図書館か美術館か映画館にいます。