われわれは坐り、彼らはしゃがむ。宣教師フロイスが驚愕した日本のトイレ事情

われわれは坐り、彼らはしゃがむ。宣教師フロイスが驚愕した日本のトイレ事情

目次

日本の歴史を振り返ると、当然ながら「日本にやって来た外国人」も登場する。

西洋と東洋とをつなぐ航路が開拓されて間もない頃、ヨーロッパ人にとっての日本人とは「謎に満ちた人々」であった。何しろ、現在のインドに当たる地域が「東の最果て」と思われていた時代。それよりさらに東の中国や日本などは「ミステリーゾーン」である。今でも「極東」という単語が存在するのは、その名残だ。

そんな時代に来日した外国人は、日本人や日本文化をどのように捉えていたのだろうか。

ここでは岩波文庫『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳注)から、ある人物の目に映った日本の景色を読み解いていこう。

この本の著者は、ルイス・フロイスである。

16世紀版「日本あるある」

ルイス・フロイスは16世紀後半に来日したキリスト教の宣教師だ。

カトリック教会の福音宣教とは、命知らずの宣教師が危険を顧みずに各地へ進出した一大事業でもある。日本への福音宣教はフランシスコ・ザビエルが藪を切り開き、コスメ・デ・トーレスが下地を固め、グネッキ・オルガンティノとアレッサンドロ・バリニャーノが家屋を建てたようなものだ。そしてこの時代の日本は、激動の戦国期である。極度の筆まめだったフロイスは、日本で吹き荒れていた戦乱の嵐を自らの肉眼で観察し、記録をつけた。その記述は現代の歴史学会でも大いに重宝されている。

さて、岩波文庫から刊行されている『ヨーロッパ文化と日本文化』という本について。これはフロイスが「欧米人と日本人の文化的差異」に関してまとめたもので、その原本は1946年にスペインで発見された。フロイスの死後400年近く忘れ去られていた史料なのだ。

「日本人って、こんなに変わった民族なんだよ」ということをフロイスは書いているのだが、日本人から見れば「我々は昔からそうだったのか!」という箇所がいくつもある。「16世紀版日本人あるある」というタイトルにしても支障はないのでは、と思えるくらいだ。

アルハラ問題は戦国時代にも

現代日本では「アルハラ」即ちアルコール・ハラスメントが社会問題になっている。

会社内での飲み会で、上司からの酌を断り切れずに飲み過ぎてしまう。これが急性アルコール中毒を引き起こすこともあり、命に関わる問題として提起されるようになった。酒量には個人差があるから、それを無視して酒を強要する行為は人権侵害にもつながる。

が、実はこのアルハラ問題は数百年も前から存在する。フロイスはこう書いている。

われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う。(岩波文庫『ヨーロッパ文化と日本文化』より)


欧米では、体調管理は自己責任という意識が強い。己を制御できなくなるほど酔ってしまう前に飲酒自体を断る、というのが習慣付けられているのだ。

こんな記述もある。

われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿はいかがなされた。」と尋ねると、「酔払ったのだ。」と答える。(同上)

日本では「酒豪」が称賛されやすい。逆に下戸は「つまらない奴」という具合に嫌味を言われがちだ。しかし、酔っ払った勢いでさらに酒量を重ねる「酒豪」の行いは日本国外では決して褒められない。

もちろんそれは、現代でも同様である。

衣替えとファッション

日本は繊維文化が発展した国である。

織物や染め物の分野では、今でも世界市場で競合できるブランドを有している。それはもしかしたら、日本には寒暖差の激しい四季があるからではないか?
フロイスはこう書いている。

われわれの衣服はほとんど一年の四季を通じて同じである。日本人は一年に三回変える。夏帷子、秋袷、冬着物。(同上)

これは「衣替え」を指した記述である。

我々現代日本人も、季節に応じて着ている服を変える。特に上着は、年の半分は押し入れの中に防虫剤と共に眠らせる。季節が来たらそれを引っ張り出す、というサイクルだ。

フロイスはポルトガルのリスボン生まれ。日本の本州よりも温暖な気候の国である。カトリック教会が依然強権を発揮していた地中海地域も同様だ。フロイスの目には、衣替えが新鮮に映ったのだ。

また、

われわれの間では彩色した衣服を着ることは軽率で笑うべきこととされるであろう。日本人の間では坊主と剃髪した老人以外は一般に、すべて彩色した衣服を着けている。(同上)

と、ある。衣替えをきっかけにして趣の異なるファッションを楽しむ、という意識が当時の人々にも浸透していたのだ。

付け加えると、この当時の日本は徐々に木綿が普及していた。少年時代の豊臣秀吉も、木綿針の行商をしていたほどだ。ここから200年ほどかけて、木綿は「贅沢品」から「質素な繊維」に変わっていく。日本の繊維産業のレベルも、飛躍的に向上していくことになるのだ。

トイレも観察していたフロイス

フロイスはトイレについても言及している。

われわれは坐り、彼らはしゃがむ。(同上)

これはもちろん、大便をする時の姿勢である。ヨーロッパの人間は古代ローマの時代から椅子型の便器に腰を下ろしてモノを投下していた。が、問題はそのあとだ。

われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を支払う。(同上)

日本では人糞を売ることができた。それを堆肥にするのだ。しかし、当時のヨーロッパの農業は、牛や馬の糞を用いる三圃式農業が主流だった。人糞を堆肥とする発想がなかったのだ。

これについては19世紀フランスの文学者ビクトル・ユーゴーがあの有名な『レ・ミゼラブル』の中で熱弁を振るっている。フランスは大規模な下水道設備のせいで、毎年莫大な黄金を川に垂れ流しているとユーゴーは書いた。その人糞を堆肥として利用するべきだ、とも。

汲み取り業者が一般家庭から糞尿を買い取るシステムは、結果として日本の都市衛生に好影響をもたらした。近世までのパリはあちこち糞尿まみれだったことは有名だが、それは糞尿を処理するための合理的なシステムがなかったからだ。

以上、ルイス・フロイスが書き遺した「日本文化」をいくつかご紹介した。

今回取り上げた岩波文庫『ヨーロッパ文化と日本文化』は、何度反復して読んでも飽きない書である。日本の戦国時代に興味のある人は、一度この本を手に取ってみよう。翻訳も非常に分かりやすく、中学生からでも十分読める内容になっている。

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