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Culture
2021.10.27

忠誠心より家族愛?山口馬木也演じる山内首藤経俊の苦悩【鎌倉殿の13人】

この記事を書いた人

令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! 今回は山内首藤経俊(やまのうち すどう つねとし)殿! ちなみに山内首藤までが氏で、名が経俊だ!

う~む、正直言って今回の人物は、キャスト発表されるほどの人物? と首を傾げてしまう感じだな。……いや、坂東の武士たちが全員頼朝様の味方をしたわけじゃないっていうのを描くとしたら、出てくることは出てくるだろうけど……。

山内首藤経俊殿ってどんな人物?

先ほど書いた通り、経俊殿は「源氏ゆかりの家人だったけど、頼朝様の挙兵に従わなかった人物」だ。

山内首藤氏は源氏代々の乳母

まず山内首藤氏は「藤」の字がある通り、藤原家の流れなんだが、先祖は例によって諸説ある。元々は京の武士で、源氏代々の乳母を夫婦で務めていたらしい。経俊殿の母も、頼朝様の乳母「山内尼(やまのうちの あま)」である。

経俊殿の曽々祖父が「前九年の役(ぜんくねんの えき)」・「後三年の役(ごさんねんの えき)」で源義家(みなもと よしいえ)公に従軍する。その功により相模国鎌倉郡山内庄(現・神奈川県横浜市栄区とその周辺)を貰って「山内首藤」を名乗った。

山内首藤経俊殿と頼朝様の確執

そして時が経って平治元(1159)年。源氏が平家に敗けて没落してしまった「平治(へいじ)の乱」が起こる。経俊殿は22歳で元服はしていたが、病気に罹っていて不参加だった。そして経俊殿の父と兄が従軍し、2人とも討死してしまったため、山内首藤氏の家督を継ぐこととなる。

この出来事が、経俊殿にとってトラウマだったのだろうな……。治承4(1180)年に頼朝様は挙兵した際、経俊殿にも自分の味方になるよう呼び掛けた。しかし経俊殿は、それを罵詈雑言と共に拒絶して、相模国の平家家人筆頭である大庭景親(おおば かげちか)の元に奔ってしまう。石橋山の戦いでは頼朝様に向かって矢を放ったほどだ。

でもその後、大庭景親と同じ時期に捕まった。頼朝様は受けた恩は忘れないが、侮辱も忘れないお方だ。当然のように経俊殿を斬首することになった。

そこに駆け付けたのが、経俊殿の母である山内尼。頼朝様は乳母の嘆願にも態度を軟化させなかったが、最終的には経俊殿は助命されている。その後は鎌倉幕府の御家人として鎌倉軍に加わり、頼朝様の死後も鎌倉で真面目に働いていた。

結構なじいさんになっても幕府の儀式に参加していてな……亡くなったのも北条義時より後なんだよ。大河ドラマでは常に画面の端っこにチョコチョコいる感じかもしれんな。

山内首藤経俊役、山口馬木也殿について

……三谷殿恒例、「名優の無駄使い枠」じゃねぇか!!!! 画面の端っこにいつもいるイケオジ誰? 山内首藤経俊? え、誰? どこが名字? って視聴者の話題になりそうな予感。

母が頼朝の乳母を務めた相模の豪族

もしかすると頼朝が途中で敗れていれば正しい選択だったのかもしれませんし、現代にも通じる点があると思って、探り探り演じていければと思っています。

NHK_PRサイト 山口馬木也のコメントより抜粋

そうだな。歴史の流れって後世から見ると必然的に見えたり、計画的に動いてたりするように感じるけれど、実際はその場その場での選択の連続だものな……。

オレも後世の人にバカだのなんだの言われてるけどさ、そういう所を大切にしてくれる人に演じてもらえると嬉しいものだな。

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。