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Culture
2021.10.26

漢字クイズ!旅館で羽織る「丹前」って何て読む?語源となった伝説の遊女も紹介!

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あれほど暑かった夏が過ぎ去り、朝夕は肌寒く感じる気候となりました。
こんな時期は、羽織るものに悩みます。

最近はコンパクトに畳めるダウンが販売されていて、それがとても便利です!

さて、クイズの答えはと言うと…….。
「たんぜん」です!

えっ、何? そんなの知らないという方も、旅館に泊まった時に見かけたことがあるかも?
外湯巡りや街歩き用にと、浴衣の上に着る厚手の着物が用意されている場合がありますね。これを丹前と呼びます。

あるある~~!! でもなんで丹前?

始まりは、人気ナンバー1の湯女から

丹前と呼ばれるようになったのは、江戸時代に実在した「勝山(かつやま)」という女性が関係しているといわれています。
彼女は、「丹前風呂」と呼ばれる風呂屋の湯女(ゆな)でした。容色の優れた湯女が、客の身体を洗ったり、湯茶を接待したりすることから、丹前風呂は大いに繁盛したとか。特に美貌が際立っていた勝山はもてはやされ、客たちの注目の的となったそうです。

丹前は浴衣の上から重ねて着て、帯を締めるのが正しい着方。
『古今名婦伝 丹前風呂勝山』歌川国貞 国立国会図書館デジタル

腰に木刀の大小をさし、派手な綿入れを着て歩く姿は、さぞかし目立ったことでしょう。男っぽい粋な着こなしが評判となり、いつしか贔屓客も同じ様なかっこうで通うように。

白拍子など、美女の男装はいつの時代も人気がありますね!

こうして広袖の綿入れを、丹前風呂の湯女の勝山が着ていることから、丹前と呼ぶようになったのです。

モナコ公妃、グレース・ケリーの名前がバッグになったみたいな感じ!?


湯女は私娼として売春行為も行っていました。そのため江戸幕府から取り締まりを受け、勝山は逮捕されて、吉原へ身柄を移されてしまいます。

勝山のサクセスストーリー

勝山はそんな風に刑罰として吉原へ引き渡されたので、吉原の遊女の中では最下級の扱いを受けるかに見えました。ところが、美貌と才覚があったことから、存在感を増していき、最後には太夫まで上りつめます。これは、当時とても珍しいことでした。

太夫は遊女の中でも最高級!

勝山は、井原西鶴の『西鶴織留(さいかくおりどめ)』※に名妓として紹介されています。浮世絵にも描かれていることから、全国的に名の知れた太夫だったのでしょう。

※江戸時代の町人たちの悲喜劇を描いた作品

髪型も大人気!

勝山は丹前だけでなく、人気の髪型も考案しています。髷(まげ)を、大きな輪に結った形は、「勝山髷」と呼ばれて人気を博しました。粋なスタイルを好んだ勝山は、武士の装いをヒントにして、武家風の髪型を考えたようです。この髪型で侍風の男姿で道中をしたところ、江戸の若い女性たちが憧れて、こぞって真似たそうです。

『時代かがみ 享保の頃』 楊洲周延 国立国会図書館デジタル

やがて武家の奥方も取り入れるなど大流行し、この髷を幅広くした「丸髷」が既婚女性を代表する髪型として定着していきます。勝山は、現代のトップモデルのような、時代を先取りするファッションリーダーだったのですね。

みんながこぞって真似するなんて、よっぽどセンスが良かったんだろうなぁ!

アイキャッチ画像:『遊女 勝山』月岡芳年画 国立国会図書館デジタルより
参考文献:『お江戸ファッション図鑑』撫子凜著 株式会社マール社発行 『精選版 日本国語大辞典』小学館

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。