地中に眠るのは古代遺跡か城か。今、趣味としての歴史研究がアツい

地中に眠るのは古代遺跡か城か。今、趣味としての歴史研究がアツい

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地中には何が埋まっているのか分からない。

俳優の石原裕次郎が家を新築した際、工事中の土地から古代の遺跡が出てきたことがあった。さらに有名な例は、奈良そごうである。バブル経済の真っ只中に建設中だった奈良そごうであったが、その建設予定地から長屋王の邸宅跡が発見されたのだ。

このように、意外な場所から意外な遺跡が見つかるということは日本ではしばしば。それは静岡県静岡市在住の筆者も目の当たりにしている。

家康ゆかりの地・駿河


駿府城天守台の発掘プロジェクトは、2016年から行われている。

静岡市即ち駿河は、徳川家康ゆかりの地である。今川家の人質だった家康は、駿河の臨済寺で勉学を積んだ。「人質」という単語は決して印象がいいものではないが、戦国時代の有力大名は各地の豪族から集めた人質を「士官候補生」として扱った。最先端の軍事知識を叩き込み、将来は主家を支える軍団指揮官として活躍させる。

やがて天下人になった家康は、人生の晩年を駿府で過ごした。人質時代は確かに屈辱の期間ではあったが、それでも駿府という地を忌み嫌うことはなかった。彼はここに、日本城郭史上稀に見る巨城を建設している。

先述の発掘プロジェクトは、土中に埋められた「家康の城」を掘り返す目的で始められたものだ。

軍隊誘致と城郭

駿府城の天守台は、明治時代に埋め立てられている。理由は陸軍の連隊の駐屯地を作るためだ。

吉川弘文館『軍隊を誘致せよ: 陸海軍と都市形成』(松下孝昭著)にその経緯が詳しく書かれているが、要は地元への利益誘導のために是が非でも陸軍に来てもらう必要があったのだ。駐屯地ができれば、その地元には電気が通る。軍人とその家族が静岡市内に生活することになるから、人口が増えて街も活気づく。明治の静岡市民は、古ぼけた天守台よりも実体経済を優先したのだ。

そういう経緯だから、駿府城の全容は2019年の今でも解明されていない。

が、去年大きな発見があった。誰も見たことがなく、史料にも登場しない「謎の天守台」が発掘されたのだ。

技法の異なる石垣

その天守台は、今まで知られていた「家康の城」のものとは様式が異なっていた。

いわゆる「野面積み」と呼ばれる技法で、浜松城の石垣がそれに該当する。一見して粗い印象だが、実は排水性に優れた堅牢な積み方でもある。

これは豊臣秀吉が徳川家康を関東に転封させた直後に造らせた城、と言われている。

天下を収めた「戦国一の出世人」豊臣秀吉であるが、彼にとって徳川家康は驚異以外の何ものでもなかった。東海地方に広がる家康の領土を半ば召し上げ、代わりに関東平野を治めるよう命令した。その周囲を秀吉の家臣や他の有力大名でがっちり固め、家康の手足を縛り上げる。東海道の要所である駿河を任されたのは、秀吉と共に修羅場をくぐり抜けてきた家臣・中村一氏という男だった。

その一氏が秀吉の命を受けて建設した城があるのでは、というのは以前から言われていた。

また、駿府城発掘現場で見つかったのは天守台だけではない。金箔が施された豪華な装飾の瓦まで出てきたのだ。

忘れ去られた歴史


もっとも、これらを根拠に「秀吉の城が出てきた」と主張するのもいささか早計かもしれない。

研究者の中からは、新たに発見された石垣は天守台を構成するものではなく、金箔瓦も一氏が統治していた時代のものではないという意見がある。

しかし、ここで強調すべきは「忘れ去られた歴史」の調査が現在進行形で行われている事実だ。

徳川家康の創設した江戸幕府は、薩長土肥による軍事クーデターで倒れた。それだけ国の近代化が急がれていたということだが、同時に江戸期の名残のものは「旧幕」という言葉で片付けられるようになってしまった。「古いものはダサい」という風潮だ。

さらに、明治期の日本は誰しもが本気で「脱亜入欧」を目指していた。そのためには都市のインフラ整備が重要不可欠。それを考慮すると、駿府城天守台が調査されずに埋め立てられたことはやむを得なかったのかもしれない。

郷土史がアツい!

現代にはインターネットというものがある。

世界中のありとあらゆる情報が、インターネットを通じて瞬時に共有されるようになった。これは一地方の郷土史を、全国どこにいても簡単に検索できるようになったということでもある。

それまでは町のどこかにいる郷土史家を探して直に話を聞くか、地元の図書館の史料コーナーに出向くかしか閲覧の手段がなかった。故に郷土史は文字通り郷土から一歩も出ることはなく、やがて地元民からの関心も薄れて埋もれていくということすら起こった。

ところが、そのような状況をインターネットが変えている。全国の歴史ファンが、各々の地元の郷土史を受信しつつ己の見解を発信できるようになった。結果、趣味としての歴史研究が隆盛を迎えつつある。もしインターネットがない時代に駿府城の新遺構が発見されていたら、せいぜい静岡新聞にそのことが報道される程度で済まされていただろう。

郷土史が何十倍も何百倍も面白くなっている。

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