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2021.12.14

古典のヒロインにきゅんです♡『源氏物語』も学ぶ、江戸女子の寺子屋事情

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江戸時代の庶民の識字率は、世界でも有数の高水準を誇っていたと言われています。その理由は、庶民の子どもが寺子屋に通って学習していたから。
寺子屋では「読み(=読書)・書き(=習字)・算盤(そろばん)」を学びますが、商業の盛んな地域では算盤に力を入れたり、都市部では日本の古典や漢文を学んだり、茶道、華道を教えたりするところもあったそうです。寺子屋は、地域のニーズに応じて教える内容を変える、地域密着型の教育の場でもあったのです。

日本全国みんなが同じことを学ぶわけじゃないんですね!

江戸の庶民の教育の場・寺子屋

幕末の慶応年間(1865~1868年)には全国で1万を超える寺子屋が設けられており、そのうち、江戸市中には1200以上の寺子屋があったと言われています。寺子屋に通っていたのは6、7歳から12、3歳頃までの男児・女児で、寺子屋に通っている子どもを「寺子(てらこ)」と呼びます。
寺子屋の師匠として教えていたのは、僧侶、神官、浪人、医師など様々。寺子屋は、寺子が20~30人くらいの規模のものが多く、寺院や民家の一角など、子どもたちが勉強できるスペースがあればどこでも良かったようです。

初代歌川豊国「寺子屋書初」 国立国会図書館デジタルコレクション
新年の寺子屋での書きぞめ風景を描いています。数人の女師匠が寺子たちに書き方を指導していますが、中には飽きてきたのか、大きなあくびをしている女の子も!
新年だからか、先生たちも着飾っていてキレイ♡

寺子屋の学習は、「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる教科書を使って「読み・書き」を学び、生活に必要な知識・技能・道徳や、家業を継ぐために必要な知識を学習しました。師匠は子どもによって、様々な往来物を使い分けていたと言われています。

歌川広重「春興手習出精双六」 国立国会図書館デジタルコレクション

コマ絵に寺子屋での教育に関連した挿絵と句を添えた双六です。
下段中央の「振り出し」には、母親に手を引かれた子どもが寺子屋に入門する様子、上段中央の「上り」には、学問の神様・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る亀戸天満宮が描かれています。
下から2段目から4段目の15コマには寺子屋で用いられる往来物が描かれていて、当時の寺子屋でどのようなことを学んでいたかがわかります。
下から2段目には「童部子宝(わらべこだから)」「都路」「江戸方角」「国尽」「名頭(ながしら)」という基本教養書が並んでいます。下から3段目は女子用の教科書で、「たて文」「源氏」「女今川」「ちらし文」「女国づくし」と、手紙の書き方という実用的なものに加えて、『源氏物語』という古典文学作品が並んでいます。下から4段目には、「庭訓往来」「消息往来」「隅田川往来」「商売往来」「風月往来」という往来物の定番が並んでいます。

『源氏物語』を学ぶんですね~!

女子に必要な教養を教えるのは女師匠?

全国的に見れば、寺子屋に通っていたのは女児よりも男児が多いものの、江戸の神田・日本橋・浅草などの町人が多い地域では、寺子の数は男女の割合がほぼ同数だったそうです。

女子が寺子屋に通うようになったのは、商業活動の活発化によって女子の労働力も必要となったこと、庶民の経済活動にゆとりができて女子にも教養を与えようという欲求が生まれたことが背景にあります。

鈴木春信「五常・智」 シカゴ美術館

また、寺子屋で教える師匠も、全国的に見れば男性が圧倒的に多いのですが、江戸の市中でも町人の多い地域では女性の師匠も多く、3人に一人が女性の師匠であったのだとか。
親たちは、商家や武家へ奉公ができる教養や行儀作法を身につけさせることを期待して、娘を女性の師匠の元に通わせます。武家奉公をしたという女子のキャリアは、結婚のための箔をつけるだけではなく、寺子屋の師匠として自立して生きるためにも役立つものだったのです!

女性の先生も多かったとは! 知らなかった!

女子用のテキストもあった?

寺子屋で学ぶのは、「いろは」の書き方からはじまり、「往来物」を使った手紙の書き方のマナーを学びます。その後、女子は『女大学(おんなだいがく)』『女今川(おんないまがわ)』などで儒教に則った風習や考え方などを学びますが、和歌、琴、茶道、生け花、裁縫などを教える寺子屋もあったのだとか。

益軒貝原先生述『女大学』より 国立国会図書館デジタルコレクション
『女大学』の冒頭の口絵ページには、『源氏物語』の各巻の代表的な場面の絵が収録されています。

『女大学』は、江戸中期以降広く普及した女子向け教訓書で、父母、夫、舅や姑に従順に仕えて家政を治めることなど、女子教育の理念と結婚後の生活の心得を説いています。本草学者、儒学者でもあった貝原益軒(かいばらえきけん)の著作『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』巻5の「女子ニ教ユル法」を簡略化して出版したものとされています。

雅な世界は、いつの時代も女子の憧れ

女子向けの寺子屋の中には、百人一首や『古今和歌集』の和歌、『源氏物語』など古典の物語をテキストに使う女師匠もいました。
その理由は、『源氏物語』などの古典文学を読むことは、女子の教養の一つでもあったから。往来物にもしばしば登場しますが、ストーリーそのものよりも巻名、巻名に結びつく和歌、源氏香、物語の成立事情、紫式部の伝記といった『源氏物語』にまつわる知識を取り上げることが多かったようです。
何よりも彼女たちを手習いに夢中にさせたのは、『源氏物語』や『伊勢物語』などの雅な恋の世界です。古典文学のヒロインの恋の行方に夢中になり、勉強はキライでも、ラブストーリーを読みたい! そんな気持ちから、がんばって古典を学ぶ女子もいたのだとか。

鈴木春信「見立芥川(女を背負って走る若侍)」 シカゴ美術館
『伊勢物語』六段「芥川(あくたがわ)」の一目ぼれした女性を主人公がさらっていく場面を描いています。

古典文学のテーマや源氏香の模様は、着物やファッション小物、調度類のデザインにも使われるので、武家奉公やおしゃれにも必須の女子の教養でした。
上流社会で必要な知識である和歌は、百人一首のかるたで遊びながら覚えました。

私も大学で平安文学を専攻していたのですが、毎日がめっっっちゃくっちゃ楽しかったです!

源氏香とは、種々の香木を焚いて、その香をかぎわけて名を当てる組香の一つ。
5種の香をそれぞれ5包ずつ計25包作り、任意に5包を取り出して焚き、香の異同をかぎ分け、5本の縦線に横線を組み合わせた図で示すもので、全部で52種類あります。これを『源氏物語』の五十四帖のうち、初帖「桐壺」と最後の「夢の浮橋」を除いた五十二帖にあてはめて、各帖の名が付けられています。
源氏香は、江戸時代初期の後水尾(ごみずのお)天皇の時代に考案されたと言われています。

国貞改豊国「源氏香の図 若紫」 国立国会図書館デジタルコレクション

北山を訪れた源氏が、通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺の面影を持つ少女(後の紫の上)を垣間見た様子が描かれています。そして、右上のコマ絵に源氏香の若紫の図、上部の雲型の中に「手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草」の歌が添えられています。

引歌に添えられた絵の図様は、 場面絵と趣意絵と大きく二つに分けられます。場面絵は、物語の場面を具体的に描いたもの。趣意絵は、巻名や巻の内容にちなむ図様の絵が添えられているもので、例えば「桐壺巻」では、桐の木や枝、桐壺の御殿などが描かれています。

古典のヒロインも、私たちと同じ!

古典文学というと、苦手意識を持ちつつも「よくわからないけれど、なんか、好き」という方も多いのではないでしょうか?

そうそう! 理由はぼんやりしているけれど、大好き!

例えば、『源氏物語』。瀬戸内寂聴さんの現代語訳は根強い人気のベストセラーとなっているほか、大和和紀さんのマンガ『あさきゆめみし』をきっかけに『源氏物語』が好きになったという方もいるかもしれません。『源氏物語』はテレビドラマ化されたり、歌舞伎や宝塚などの舞台で上演されたりもします。

鈴木春信「本を読む少女」 シカゴ美術館

江戸女子も、現代の私たちも同じように、古典文学として長く読み継がれている『源氏物語』や『伊勢物語』などの雅な世界にうっとりするだけではなく、古典のヒロインが恋に悩む様子に共感していたのかもしれません。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。