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チャップリンも驚いた! “歌舞伎には演出家がいない”の理由

喜劇に涙と社会風刺を持ち込んで、映画の歴史を大きく変えた喜劇王チャップリン。大の日本びいきとしても知られ、1932年の初来日以来、4回も日本を訪れました。なかでも特にのめり込んだのが歌舞伎。「あの歌舞伎の美しさ。あれだけの広い舞台を使いこなせるのは日本だけです」と、女形の美しさや回り舞台に感嘆したチャップリンでしたが、最も大きな衝撃を与えたのは、「歌舞伎の舞台にはディレクター(演出家)がいない!」ことでした。

チャップリン1932年に「仮名手本忠臣蔵」を鑑賞し、中村吉右衛門と面会したときのもの。向かって右がチャップリン。(写真提供・毎日新聞社)

現代劇にもミュージカルにもオペラにも、およそ演劇と呼ばれるものには、作品を独自に解釈して役者に表現を与える演出家/舞台監督が存在します。が、歌舞伎には演出家がいない。歌舞伎の舞台は俳優の演技を中心に展開され、演出、つまりその舞台における演技の方向性を決める役割は、主役を演じる役者が担うことが多いのです。

チャップリンチャップリンの名作「街の灯」(1931年)。盲目の少女に恋した男の献身的な姿を描いた。©Granger/PPS通信社

この事実は、チャップリンを困惑させました。なぜなら、映画監督としてのチャップリンは、他に類を見ない“演出の鬼”。たとえばサイレント映画時代の名作「街の灯」(「City Lights」)では、盲目の花売り娘とチャップリン演じるチャーリーが出会う、その3分間のシーンのためだけに、368日の撮影日数と342回のNGを出したほどの完璧主義者だったのです。完璧につくられたシーンだけが観る者を非日常の世界へ誘い、心の底から笑わせることができる…そう信じていたであろうチャップリン。「これほどまでに胸躍らせてくれる歌舞伎が、ディレクターなしでなぜ成り立つのか?」と不思議で仕方なかったことでしょう。

「なぜ?」の答えは、「演出家がいないのではなく、演者がその役も担っている」からで、考えてみれば脚本・監督・主演・作曲までひとりで行っていたチャップリンが、世界中を感動させたことと変わりはないのですが。

チャップリン「街の灯」を元にした歌舞伎演目「蝙蝠の安さん」。1931年に歌舞伎座で初演。後に映画にもなった。(写真提供・国立劇場)

ところで、この「街の灯」は、後に歌舞伎の演目にもなりました。アメリカ巡業中に映画を鑑賞した歌舞伎役者たちが、帰国後に歌舞伎版台本を制作。「蝙蝠の安さん」として歌舞伎座で上演されたのです。恋した娘の目の手術代を稼ごうとした主人公がボクシングの試合に出る…という設定は、相撲に変更。いつもは弱腰なのに、愛する者を守るためなら不屈の精神力で立ち向かう、そんな主人公のキャラクターは、歌舞伎の世界にも通じるものだったようです。

チャップリンチャールズ・チャップリン/1889~1977年。イギリス出身の映画監督・俳優・脚本家。生涯80本以上の映画を残した喜劇王。©Rue des Archives/PPS通信社

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