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CULTURE

世界的指揮者カラヤン。歌舞伎にみた “理想” とは?

ヘルベルト・フォン・カラヤンは、揺るぎない美学とカリスマから、楽壇の帝王と呼ばれた世界的指揮者。そんな孤高の帝王が「私の理想」と手放しで称賛したのが、日本の歌舞伎です。来日公演中の1959年、三島由紀夫が監修し、六代目中村歌右衛門が桜姫を演じた「桜姫東文章」を観たカラヤン。歌舞伎の舞台の中で見つけた“理想”とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

カラヤン「桜姫東文章」6代目中村歌右衛門 1959年 歌舞伎座 ©松竹株式会社

「型」から伝統が繰り返される楽しみ

「型」とは、歌舞伎の舞台を方向づけるもの。舞台は常に型――衣装や髪の色かたち、ポーズや動きから舞台装置や音楽まで含む演出上の様式――で構成されています。型は、役を演じる俳優が、その役の性格や物語をどう表現するかを考え、工夫を重ねて決めるもの。師から弟子、父から子へと受け継がれるほか、俳優によっても異なります。同じ演目を何度も繰り返し演じて継いでいく、歌舞伎ならではの知恵なのです。

カラヤンが「型」に興味をもったのは、当時夢中だったオペラの制作と関係があったかもしれません。カラヤンの伝記「カラヤン 帝王の光と影」(ロジャー・ヴォーン著)には、歌舞伎とオペラへの傾倒ぶりが書かれています。

「歌舞伎と同様オペラも、30曲か40曲が何年ものあいだ繰り返し上演されている。もはや一種の儀式となっていて、知り尽くしているものが繰り返されることから楽しみが生じ、伝統的な衣装と装置を用いて新しい歌手が役割を演じることに魅力が感じられるのだ。(略)カラヤンはオーストリアの森でこう言った。〝歌舞伎はわたしの理想だ。完璧ならば、何も変える必要はないはずだ〟」この「何も変える必要はない」は、留まるという意味ではありません。「型」は決まったものですが、優れた役者にかかれば、同じ「型」であっても、より大きな感動を生むことができる。自分と役とを一体化させ、鍛錬された身体で表現できたのなら、そこには「型」を超えた美しさが生まれ得るのです。

カラヤン6代目中村歌右衛門と握手するカラヤン夫妻(写真・個人蔵)

これを音楽にたとえるならば、「楽譜」が型にあたるでしょう。けれどもカラヤンは、楽譜は単なるヒントで、音楽は科学ではない、と言い切ります。

「書かれた音楽は、われわれにヒントを与えるだけだ。私はある曲をあるテンポで演奏して速すぎると感じさせることができるし、同じ曲を同じテンポで演奏して、ちょうどよいと感じさせることもできる」

楽譜から何を受け取るかは演者次第。型を生かすも殺すも役者次第。カラヤンが歌舞伎にみた“理想”とは、型でありながら型を超えた芸術のかたちだったのです。

カラヤンヘルベルト・フォン・カラヤン/1908~1989年。オーストリアの指揮者。ウィーン国立歌劇、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で指揮者や総監督を務める。「ばらの騎士」「サロメ」などオペラ制作にも力を注いだ。 参考・引用文献:「カラヤン 帝王の光と影」ロジャー・ヴォーン著 堀内静子訳 時事通信社

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