日本文化の入り口マガジン和樂web
8月16日(火)
ひと言でいえば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である(国分功一郎『暇と退屈の論理学』)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
8月16日(火)

ひと言でいえば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である(国分功一郎『暇と退屈の論理学』)

読み物
Culture
2022.08.03

なぜ“シンデレラ”の靴は脱げたのか?恋する二人を結ぶ履物の霊力

この記事を書いた人

ガラスの靴を巡るシンデレラの物語はあまりにも有名だが、元来「シンデレラ」の語源は、ドイツ語でこの主人公を「アッシェンブリョーデル」と呼ぶことからきている。すなわち、灰かつぎ、台所仕事をする「かまど姫」のことである。この民話はヨーロッパ伝来にちがいないが、中国には唐時代にすでによく似た話が採集されている。それが中国唐代の段成式(だん せいしき)による随筆『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』にある物語だ。古さから言えば、これが世界最古のシンデレラ物語と言えそうだ。

この中国の古い文献にも、もちろん履物が登場する。まずは物語を簡単に紹介しよう。

中国版シンデレラ『酉陽雑俎』

村長の呉市の先妻の娘、葉限(しょうげん)は継母にいじめられていた。葉限は一匹の魚をひそかに飼っていたが、継母はこれを殺して食べ、あまつさえ、かわやの汚物の下に骨を隠してしまう。
さて、神人の教えによって魚の骨のありかを知った娘は、無事に骨を取り戻すことができた。以来、魚骨に祈ると欲するものは何でも与えられるようになったという。

村の祭りの日のことである。
娘は留守を命じられ、継母と妹娘は祭りへ出かけて行った。そこで葉限は魚骨に祈って手に入れた美しい衣装と金の靴を履いて、後からそっと祭りへ向かうのだった。しかし、祭りで妹娘に見つかってしまい慌てて逃げるはめに。そのときに、片方の靴が脱げてしまった。

金の靴を拾ったのは村人だった。村人は咤汗(たかん)という隣国の王にこれを献上した。王は宮廷の女たちにその靴を履かせてみたが、靴はあまりにも小さかった。王はさらに国中の女に試してみたが、やはり、誰一人として履けるものはいない。

王は臣下に靴に合う女を探すように命じた。そしてたった一人、靴を履くことのできた葉限が召し出されたのである。葉限は美しい衣装を着て、両足に金の靴を履いて王の前へ出た。王は歓んで魚骨とともに葉限を宮中に召しつれたという。ところで、継母と妹娘のほうは処刑されてしまったそうだ。

なかなか残酷! シンデレラの原作も、継母たちが目をえぐられていたような……。

日本にもあるシンデレラ物語

島根県に伝わる『吉祥姫』という物語もまた、日本版のシンデレラと呼んでよさそうだ。

光仁(こうにん)天皇は、夢枕に現れた出雲大社の「この絵姿と履(くつ)をもって国中をまわりなさい。美しい姫に出会うだろう」というお告げに従い、絵姿と一足の履を携えて姫探しに出る。

出雲国へやってきた帝の一行は、そこで田植えに励む乙女たちのなかに一人の娘を見つける。娘は絵姿にそっくりで、しかもその足はあつらえたように靴に収まった。その後、娘は帝に従って都にのぼり、后になった。乙女の名を、吉祥姫という。

どのストーリーも、后になったその後が気になるな。

履物は気持ちを伝える恋のアイテム


『吉祥姫』では出雲大社の神が、『酉陽雑俎』では娘を救うのが魔法使いではなく魚になっているのがおもしろい。履物によるテスト(靴にぴったりの足を探す旅)があることや、継母にいじめられている点なども、私たちのよく知るシンデレラ物語とよく似ている。ここまでは昔話の域をでないが、じつは履物を巡る風習は日本各地に残されている。

文献によれば、大分県には女性がお手製の下駄を言い寄る若者の一人に与えて、受け取ってもらえれば婚約が成立するという一風変わった風習があったという。ほかにも、熊本県では婿方が花嫁に下駄を贈ったとか、奈良県では結婚式の際に花嫁の履く草履を男家から贈る習慣がみられたそうだ。少し変わっているのが、鹿児島県の風習。下駄を贈り、相手がそれを履いて出歩くようになると二人の仲は公認のものとなったという。

迷信じみた風習でも、こうも各地に似たような例が見られると、履物には何らかの特別な力宿っていると考えたくなってくる。シンデレラ物語が日本にやって来るのを待たなくても、昔の日本人は履物に人と人を結びつける力があると考えていたのだ。

怪我をした女性の靴を脱がせるシーンが、すごくエロティックだった映画がありました。

履物には霊力が宿っている

『意勢固世身見立十二直』香蝶楼豊国/画 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

なぜ、履物の霊力が信じられるようになったのだろう。その前に、履物とは何なのか。

履物といえば、私たちはすぐに下駄(靴)を連想するが、下駄が庶民の生活に普及したのはそう古いことではない。「はきもの」が下駄や草履と言った足に履くものを差すようになったのは平安時代からと言われる。そもそも「はく」は、ズボンや股引きといった衣類を身につける場合にも使われる(例「ズボンを履く」)。履物も、本来は足だけに限られていなかったのかもしれない。

となると、想い人に贈るのは下駄でなく、頭巾や腰引きでもよかったのでは、と思えなくもない。しかし、下駄でなくてはならない理由があるのだ。

ところで全国の遺跡から出土した下駄の総数は、江戸期の下駄を含めば五千点を超えるとか。このあまりにも多い下駄の数が教えてくれるのは、下駄が大陸から日本へもたらされたとき、下駄は単なる日常的な履物というよりも、祭祀品としての性格が強かった、ということだ。実際、下駄は祭祀品や呪具として井戸に投げ入れられることもあった。祭祀品としての下駄への興味は尽きないが、下駄に霊力が宿ると考えられたのは、この履物が体にぴったりと密着するものだったからだろう。

昔々の「靴」にそんな力があったとは。

さいごに

滑った拍子に下駄が顔面直撃。これは痛い。 『江戸名所道戯尽 十四 芝赤羽橋の雪中』歌川広重/画 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

ものを相手の体に結びつけることで、二人の間もまた結びつく。万葉集の歌人は旅立ちに愛人の結んでくれた紐によって、愛人の魂が自分に結び付けられる様を詠んでいる。

ときに結婚指輪がそうであるように、相手に靴を履かせるということは、相手を占有することにもなる。それはつまり、相手を支配するという意味でもある。世界各国の王様にとっても、村の娘にとっても(あるいは現代の恋人たちにとっても)、履物は恋を叶えるためのラッキーアイテムだったようだ。

シンデレラの靴が脱げたのも、偶然じゃなかったのですね。

【参考文献】
『下駄 神のはきもの (ものと人間の文化史)』 秋田裕毅、法政大学出版局、2002年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。