日本文化の入り口マガジン和樂web
10月6日(木)
失敗しなくちゃ、成功はしないわよ。(ココ・シャネル)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
10月6日(木)

失敗しなくちゃ、成功はしないわよ。(ココ・シャネル)

読み物
Culture
2022.08.07

イケメン畠山重忠が仲間になった!『吾妻鏡』で読む大河ドラマ・Go To 鎌倉編【鎌倉殿の13人】

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、原作である『吾妻鏡』を読んでみようコーナー! 上総広常(かずさ ひろつね)殿と千葉常胤(ちば つねたね)殿を味方につけて、鎌倉を目指すぞ!

▼今までの流れはこちら!

武蔵国を味方につけろ!

上総殿と千葉殿が仲間になったことで、2万7千騎の大軍勢となった。ここに甲斐源氏の武田信光(たけだ のぶみつ)殿や、常陸・下野・上野にもいる源氏たちを合わせれば5万騎は確保したも同然!

5万騎という数、映像としてまったくイメージができないのデス……2万7千騎ですら、ですが。

そこで頼朝様は治承4(1180)年9月28日、江戸重長(えど しげなが)殿に手紙を書いた。江戸氏は武蔵国の豪族で、畠山重忠(はたけやま しげただ)と同じ秩父党だ。そして同年8月27日に起きた衣笠城合戦で、平家方として衣笠城を攻めた。つまり三浦にとっては仇であり、頼朝様の敵対勢力でもある。どんな手紙かというと……。

大庭景親(おおば かげちか)の催促を受けて、敵対したことはやむを得ないことである。しかしこれからは以仁王の令旨の通りに私(頼朝)に従いなさい。

畠山重能(はたけやま しげよし=重忠の父)は京都にいるので、武蔵国の棟梁はお前である。お前を一番頼りにしているので、近辺の武士を率いて参上せよ

房総半島から鎌倉へ陸路で行くには、どうしても武蔵国を通らなきゃいけない。だから武蔵国で一番力を持つ勢力を味方につけようというわけだ。

あれ? 以仁王の令旨、って、あれだよな……。詳しくは本文中のリンクから確認してくれ!

交渉はやっぱり武力! 武力が全てを解決する!

だけどやっぱり江戸殿は来ないので、討ち取っちゃおうかという話になった。そこで翌29日、葛西清重(かさい きよしげ)殿に使いを出した。

葛西殿はその名の通り、現在の東京・千葉の境、葛西地区を本拠地にした豪族。江戸氏と同じ秩父党ではあるが、頼朝様には従っていた。そこで葛西殿に江戸殿を討ち取るように命じたのだ。

あ、暴力反対! 暴力絶対反対~! ……っていうのが通じない時代。まあ令和のこの時代ですら通じないこともあるのはとても残念。

10月2日、葛西殿は父の豊島清元(としま きよもと)殿と共に武蔵国に入った頼朝様の元に参上した。4日には畠山重忠が江戸重長殿と川越重頼(かわごえ しげより)殿を連れて頼朝様の元に参上した。

どうやら秩父党は話し合って頼朝様の傘下に入ることにしたんだな。おそらく、上総殿と千葉殿の勢力が加わって大軍勢となったことが大きいのだと思う。

怒るなよ? 絶対に怒るな!

しかし江戸殿も川越殿は衣笠城合戦の時、三浦義明(みうら よしあき)祖父様を討ち取った人物だ。三浦党にとっては棟梁を殺した仇にあたる。

頼朝様は三浦党にあらかじめ「三浦を討ち取れるぐらい勢力のある者を取り立てなければ、目的は成し遂げられない。私に忠心があるのならば、怒りやわだかまりを残してはいけない」とよくよく言って聞かせていたんだ。

三浦党は源氏重代の家人だからこれに従って、秩父党の面々と目を合わせ、互いに無言で頷き合って、秩父党が頼朝様の仲間になることは納得済みで同席したんだ。

大事なことだから、もう一度言うぞ。三浦党は源氏重代の家人だから、頼朝様に従ったんだからな!! 

これは本当の本当に、フリじゃあないんだ! 絶対に怒るなよ!

上野国の源氏、新田氏

頼朝様は甲斐源氏の武田信光殿に手紙を出したが、他にも源氏はいる。その1人が上野国(現・群馬県)の新田義重(にった よししげ)殿だ。

菊池容斎『前賢故実 巻第8 新田義重』 出展:国立国会図書館デジタルコレクション

頼朝様は新田殿にも手紙を送ったのだが、9月30日になっても返事はついにこなかった。これは源氏の棟梁として頼朝様に従うことはしない、独自の軍勢で平家と戦うという意志の表れだった。

新田義重殿は武家の棟梁だった八幡太郎義家の孫で、北関東を束ねていたのだそう。いろいろな思惑がぶつかっているんだろうな。

ドラマでは出てこなかったが、鎌倉幕府にとっては重要な人物なので、新田義重殿のことは片隅に覚えておいてくれ。

一方そのころ平家は!

平清盛の孫・維盛(これもり)を総大将に、平家軍が坂東へ向かったのが9月28日。

そして10月1日には中間地点である駿河国(現・静岡県)に、武田信光殿が精鋭を引き連れてやって来るという噂が流れていた。平家方である駿河国の目代は軍勢を集めて待ち構えた!

兄弟の再会!

そして同じく10月1日、頼朝様が泊まる宿に、石橋山で散り散りになった多くの者たちがやってきて、再会を喜んだ。その中には頼朝様の異母弟・阿野全成(あの ぜんじょう)殿もいた!

全成殿は京の醍醐寺(だいごじ)で修業をしていたのだが、以仁王の令旨の事を聞いて密かに寺を抜け出してやってきたという。頼朝様は泣いて喜んだそうだ。

……そして次回はいよいよ、鎌倉に入るぞ!

アイキャッチ画像: 歌川広重『名所江戸百景 駒形堂吾妻橋』 出展:メトロポリタン美術館

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

ますます目が離せない!大河ドラマのおススメ書籍はこちら↓↓


眠れないほどおもしろい吾妻鏡―――北条氏が脚色した鎌倉幕府の「公式レポート」 (王様文庫)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

この記事に合いの手する人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。