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2022.09.21

死か脱獄か。網走監獄の歴史と囚人たちが切り開いた道を3分で解説

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人気漫画『ゴールデンカムイ』に登場し、聖地巡礼スポットとしても注目を集めている網走監獄。極寒の地にあった網走監獄では昔、多くの人が命を落とし、また脱走を試みたと伝えられています。それは何故だったのでしょうか。網走監獄の歴史をさかのぼると、囚人たちが切り開いた道へとたどり着きます。

「のっぺら坊」とついに対面する、あの網走監獄!

極寒の大地を開くために設置された網走監獄

網走監獄の歴史は、1890(明治23)年に設置された「釧路監獄署 網走囚徒外役所」にはじまります。
明治維新の動乱後は、新政府に不満を持つ人々が少なからずいて、1877(明治10)年には西郷隆盛(さいごうたかもり)が挙兵をした内戦、西南戦争が勃発するなど、世の中には不穏な空気が漂っていました。

収容所が政治犯などであふれたため、明治政府は彼らを原野が広がる北海道に送って、開拓にあたらせようと考えたのです。
1881(明治14)年の樺戸集治監(かばとしゅうじかん/しゅうちかんとも)を皮切りに、北海道には空知集治監、釧路集治監が設置され、多くの人々が移送されて道路の開拓や炭鉱での採掘に従事していました。集治監というのは囚人を収監する施設のことです。

網走に囚人が集められたのは、北見・旭川へと通じる中央道路を開削するためでした。
「網走囚徒外役所」という名称はその後「網走囚人宿泊所」に変わり、1891(明治24)年6月には「釧路集治監 網走分監」、8月に「北海道集治監 網走分監」へと変わっています。
監獄官制という法令の制定にともなって「網走監獄」になったのは、1903(明治36)年のこと。

へ〜最初から「網走監獄」ではなかったのか〜

網走監獄旧正門写真

「網走監獄旧正門写真」(北海道デジタルミュージアムより)

死者・脱走者が続出した囚人道路の過酷な工事

網走から内陸へ、地形の険しい大雪山の麓に道を切り開いていく工事は、過酷を極めるものでした。「囚人道路」とも呼ばれた中央道路の工事で命を落とした犠牲者は看守も含め200人以上。

200人も!

死因で最も多かったのは「水腫性脚気」という病気です。工事が険しい山中へと進むにつれて、魚や野菜が手に入らなくなり、栄養が偏って脚気を発症したのでしょうか。飲み水などが衛生的でなかったために、下痢に苦しむ人も多かったようです。

あまりの過酷さから、脱走する囚人も後を絶ちませんでした。見つかれば射殺、逃げても食料が手に入らずに、戻って捕まることもあったといいます。
脱走を防ぐために囚人たちは足に鉄玉をつけられ、さらに2人1組で鎖につながれていました。中央道路の側からは、亡くなった人を埋めて、その印として鎖を置いた「鎖塚」がいくつも見つかっています。

鎖と鉄玉

囚人たちが体につけて作業をしていた「鎖と鉄玉」*鎖のうち約1mが当時のもので、鉄玉と鎖の一部はレプリカ(北海道デジタルミュージアムより)

中央道路の工事は夜を徹して行われ、1891(明治24)年に開通。国が工事を急いだのはロシアを警戒し、有事のときの行軍と物資を輸送する道を確保するためでした。

その後の網走刑務所を有名にした、伝説の脱獄囚たち

網走監獄は工事に携わっていた囚人たちをそのまま収監し、自給自足を目指す農園監獄として存続していきます。
中央の見張所から放射状に5つの舎房が伸びる獄舎は、ベルギーの監獄を見本にして1912(明治45)年に建てられたもの。警備の固さは日本一といわれ、参考にすべく日本各地から見学者が訪れました。

網走刑務所近景写真

裏山には監視のための高見張も「網走刑務所近景写真」(北海道デジタルミュージアムより)

網走監獄から「網走刑務所」という名称になったのは1922(大正11)年。
「五寸釘の寅吉」の名で恐れられた脱獄常習者の西川寅吉(にしかわとらきち)が模範囚として晩年を過ごし、網走刑務所から出所していったのは1924(大正13)年です。
青森刑務所と秋田刑務所から脱獄した「稀代の脱獄魔」、白鳥由栄(しらとりよしえ)が網走刑務所に収監されたのは1943(昭和18)年。日本一といわれた警備をすり抜けて、網走刑務所からも脱獄してみせたのは翌1944(昭和19)年のできごとでした。

白石由竹のモデル〜!

そして1965(昭和40)年には、網走刑務所を舞台にした映画『網走番外地』が公開されて大ヒット。他の囚人たちの計画に巻き込まれて脱獄囚となった男を演じたのは、俳優の高倉健(たかくらけん)でした。

「刑務所といえば網走」というほどに有名になりながらも、網走刑務所の歴史が過酷な囚人道路の工事にはじまったことは、あまり知られていません。
網走市内には、貴重な放射状舎房などが移築・保存されている「博物館網走監獄」があり、北海道の開拓において大きな役割を担った歴史を詳しく知ることができます。

『ゴールデンカムイ』ファンなら一度は訪れたい!

博物館網走監獄 基本情報
住所:北海道網走市字呼人1‐1
アクセス:JR網走駅から4㎞
公式サイト:https://www.kangoku.jp/

参考書籍:
『網走刑務所』著:山谷一郎(北海道新聞社)
『日本法制史要講』著:細川亀市(時潮社)
『日本の刑務所 東日本編』(竹書房)
『日本歴史地名大系』(平凡社)
『日本大百科全書』(小学館)

参考サイト:
国指定文化財等データベース(文化庁)

書いた人

岩手生まれ、埼玉在住。書店アルバイト、足袋靴下メーカー営業事務、小学校の通知表ソフトのユーザー対応などを経て、Web編集&ライター業へ。趣味は茶の湯と少女マンガ、好きな言葉は「くう ねる あそぶ」。30代は子育てに身も心も捧げたが、40代はもう捧げきれないと自分自身へIターンを計画中。

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我の名は、ミステリアス鳩仮面である。1988年4月生まれ、埼玉出身。叔父は鳩界で一世を風靡したピジョン・ザ・グレート。憧れの存在はイトーヨーカドーの鳩。