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2023.01.16

弥生時代まとめ|いつからいつまで?歴史や文化をわかりやすく解説【日本史感動モーメント】

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弥生時代とは、紀元前9,8世紀から紀元後3世紀ごろまでを指す時代区分で、およそ1000年続きました(紀元前3世紀頃からの約600年間とする考え方もあります)。縄文時代と古墳時代の間に当たり、朝鮮半島の文物がもたらされ、後期には卑弥呼が出現しました。

この時代のキーポイントを「感動モーメント」として3つご紹介します。

弥生時代の感動モーメント1――渡来人のみなさん、ようこそ。

縄文時代の終わりごろから地球は寒冷化しました。植生が変化し、海岸線が後退し、沿岸部には砂丘が形成されます。実のなる木や食べられる植物が減り、狩りや漁の獲物も少なくなったために人口が減ったと考えられています。

この時代に日本に船でやってきたのが、朝鮮半島の人々でした。彼らを「渡来人」と呼びます。彼らの存在がわかるのは、この時代の墓地から発掘される人骨が、それまでの縄文人とは明らかに異なる顔つき、体つきをしているからです。

渡来人がもたらしたもので最も大きな影響を与えたのは、「米作り」です。彼らは九州の北部や西日本の、稲作に適した土地に暮らすようになりました。稲作は寒冷化による食料確保の目的があったと推測できますが、このとき火山灰が多く米作りに適さなかった九州南部や、あるいは朝鮮半島から遠かった北海道や沖縄には渡来人が定着せず、こうした地域の人々の顔つきや体つきは縄文時代とそれほど変わらなかったとされます。

これによって、弥生時代の日本には「縄文系」の弥生人と「渡来系」の弥生人がいたと考えられています。

弥生文化の諸要素を見ると、中国や朝鮮半島などに起源をもつものがあります。これらは弥生時代の始まりから揃っていたわけではなく、それ以前や以後に伝わったものもあります。その中で弥生時代の始まりの頃に見られるものには朝鮮半島に起源をもつものが多く見られます。しばしば、縄文時代と弥生時代の人の顔つきの違いが指摘されますが、これらを伝えた人々のいたことを示すものです。このように伝えられた水稲農耕をはじめとした技術、文化により、弥生時代は大きな画期を迎えましたが、人々の生活、文化がすべて変わったわけではありませんでした。弥生時代は縄文文化から受け継がれたものに加え、水稲農耕をはじめとした大陸からもたらされたもの、そして、それらを融合することによって新たな文化が生み出されたのでした。  

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重要文化財「台付壺」(愛知県名古屋市高蔵貝塚出土・弥生時代/1~3世紀)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

弥生時代の感動モーメント2――その後1500年以上続く争いのスタート

渡来人は稲作だけでなく、青銅器や鉄器、絹織物、ガラスなど最新の技術やモノも伝えました。もちろんそのすべてが弥生時代の始まりから揃っていたわけではなく、伝わった地域や時代は同じではありません。また、米を保存しておくための高床式倉庫も広がり、さらに縄文土器より薄手で赤褐色の「弥生土器」がつくられるようになります。

またこの時代、特に青銅器が銅剣や銅矛といった武器として用いられたことで始まったものがあります。「戦争」です。

この時代の戦争は、米や鉄などの奪い合いが目的だったと考えられます。より多くの鉄や青銅器を手に入れたムラが周辺のムラを併合していき、だんだんと大きなムラ、さらにはクニが出現し始めます。この時代の遺跡の中には豪華な副葬品が多く埋葬された墓(木棺や石棺)もあり、クニをとりまとめていたのであろう有力者、いわゆる豪族がいたことが分かります。

これに関連して、儀式や祭礼も発展します。縄文時代に使われていた品々ではなく、銅鐸などをつかった祭礼が行われるようになります。銅鐸は、中国や朝鮮半島にあった青銅製の小さな鈴を、弥生人が祭礼の道具として作りかえたもの。おそらく祭りの時に鳴り響かせるなどして神々に祈りを捧げたのでしょう。墓のあり方が変化していることからも、この時代の人々の死や生に対する考え方も、大陸の技術や考え方とともに縄文時代から大きく変化していったのだと思われます。

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国宝「扁平鈕式銅鐸(へんぺいちゅうしきどうたく)」(伝香川県出土・弥生時代(中期)・前2~前1世紀)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

弥生時代の感動モーメント3――海外との交流が盛ん!

この時代、中国にあった国が漢です。九州北部の有力者たちは、朝鮮半島を通じて漢に使者を送り、さまざまな文物を手に入れていました。中国ではこの当時、日本列島は「倭」、そこに住む人々は「倭人」と呼ばれていました。

2世紀の終わり頃、倭には100以上のクニグニがあり、中には漢に使いを送るクニもありました。「後漢書(ごかんじょ)」には、1世紀の半ばに現在の福岡平野にあった「倭の奴国(なこく)」の王が、後漢に使いを送って皇帝から金印を授けられたとあり、江戸時代には福岡県の志賀島(しかのしま)で「漢委奴国王」と刻まれた金印が発見されたことでこれが裏付けられました。

また、このあと中国では3世紀に入って後漢が滅び、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の3国に分かれて争いが続く「三国時代」へと入っていきます。

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重要文化財「多鈕細文鏡」(奈良県御所市名柄字田中出土・弥生時代/前4~前1世紀)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

弥生時代の感動モーメント4――ミステリアス女子・卑弥呼

このころの日本に、邪馬台国という国がありました。魏に朝貢しており、魏の歴史を書いた『三国志』魏書の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、女王の卑弥呼(ひみこ)が30余りの国を支配しており、魏に使いを送って皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と、銅鏡など多くの贈り物を授けられたことが記されています。

ご存知の通り、この邪馬台国がどこにあったのかについては、長年九州説と大和説などがあり、論争が続いています。弥生時代はロマンあふれる時代でもあるのです。

重要文化財「突線鈕3式銅鐸(とつせんちゅうさんしきどうたく)」(滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土・弥生時代/1~3世紀)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)