「三代目中村歌六百回忌追善」の意味とは? 演劇評論家・犬丸治さん解説

「三代目中村歌六百回忌追善」の意味とは? 演劇評論家・犬丸治さん解説

毎月、演劇評論家の犬丸治さんに歌舞伎の味わいどころをレクチャーしていただく連載。今月は、歌舞伎座9月「秀山祭」で上演されている『沼津』と『松浦の太鼓』にある「三代目中村歌六百回忌追善」の意味について教えていただきます。三代目中村歌六とはいったいどんな人だったのでしょう? そして、今月の愉しみどころは?

『沼津』呉服屋十兵衛=中村吉右衛門、雲助平作=中村歌六

三代目歌六無かりせば、今の歌舞伎の盛況はあり得なかった!?

文/犬丸治(演劇評論家)

9月の歌舞伎座「秀山祭」は、昼の「沼津」と夜の「松浦の太鼓」に、それぞれ「三代目中村歌六百回忌追善」と冠しています。

大正八年(1919)五月十七日、七十歳で亡くなった、勿論今は誰も観たこともない老優を偲ぶなど、稀有なことと思われるでしょうが、それには理由があります。

歌六の遺児・初代吉右衛門・三代目時蔵・十七代目勘三郎が昭和歌舞伎に記した足跡は巨きなものがあります。その子孫は今回追善の施主吉右衛門・歌六(曽孫)をはじめ、今の勘九郎・七之助兄弟(曽孫)、松たか子(玄孫)、菊之助の長男丑之助(来孫)まで、歌舞伎界・芸能界全体を覆います。さらに、三代目歌六の姉妹が幕末活躍した八代目仁左衛門、四代目小團次に嫁いだために、松島屋・高島屋一門とも縁戚になるのです。

まさに三代目歌六無かりせば、今の歌舞伎の盛況はあり得なかったのです。付け加えれば、曽孫のひとり「中村獅童」の芸名も、三代目歌六の俳名に由来しているのです。

三代目歌右衛門の門弟筋の子として、嘉永三年(1849)上方で生まれた歌六は、天性の芝居上手と認められてながら、東京劇壇では門閥外と見られ、壮年期は小芝居で座頭を張っていました。

旅先で「奥州安達原」の安倍貞任を演じた時のことです。公卿姿の歌六の貞任が花道へかかると、周囲を囲む捕手たちの陣太鼓・法螺貝が鳴るので思わず「何奴の」とセリフを張り、「仕業なるや」と公卿のセリフに戻ります。

当時の粗末な田舎の掛小屋のこと、舞台のランプが滅法暗い。最初から「暗い、暗い」とブツブツ言っていた歌六、これでは芝居にならぬと、「何奴の」で三味線に乗って首を廻したあと、両手を挙げて頭上にぶら下がっていたランプの芯を少し捻り出しながら「仕業なるや」と澄ましていたと、二代目実川延若の「延若芸話」が伝えています。如何にも一時代前の古風な「役者こども」の俤を伝えています。

播磨屋の名を一段と高めたのは息子の初代吉右衛門で、若き日下谷二長町で「市村座」で六代目菊五郎と互角に伍しながら、昭和歌舞伎を牽引していったのです。吉右衛門・時蔵・勘三郎の芝居には、父歌六譲りの上方歌舞伎のこってりした味が受け継がれ、今も子孫たちの芝居にその面影をありありと見ることが出来ます。

昭和四十五年五月の五十回忌追善のときも、「息子の勘三郎が父の五十回忌とは稀有なこと」と評判になりましたが、今回の追善は、いわば曽孫たちが、百年を経て先人たちの芸を改めておのれに重ね合わせる旅だと言って良いのです。

「何をやっても、客を無性に喜ばせる」持ち味。

その中でも、今回歌六が初役で演じる「松浦の太鼓」についてお話しましょう。

二年前の正月、今の幸四郎が松浦鎮信を演じた時、指導の吉右衛門の言葉が当時の筋書に載っています。「一生懸命ぶりが見えると成り立たない役だよ」。初代吉右衛門が練り上げ「秀山十種」にまで加えたこの芝居の本質こそまさにそれで、戯曲ではなく、役者の芸・持ち味で既に勝負あった、という実は難しい役なのです。

「忠臣蔵」の外伝で、本所松坂町・吉良邸の隣家の大名旗本が赤穂義士に好意を寄せているというのは、初代鴈治郎が得意とした「土屋主税」と同工異曲です。初演は安政三年(1856)五月森田座「新台いろは書始」(しんぶたい・いろはのかきぞめ)の一コマで、松浦鎮信は実在の大名なので憚ってか、旗本の隠居・松倉緑翁、大高源吾(源五)は大鷲文吾となっていました。これが明治はじめに上方で手直しされて現行のかたちとなり、得意としたのが三代目中村歌六だったのです。

これを受け継いだ息子の吉右衛門は、高濱虚子門下で句集までものした、堂々たる俳人でしたから、冒頭松浦鎮信が家来たちと句を詠じているところなど、芝居を離れて実際の私生活での句会を楽しむような「風格」があったといいます。吉右衛門は、巡業のとき広島で舞台を見物した、天保生まれ・戦前「最後の大名」として九十余歳で健在だった浅野長勲の姿から、その風格を学んだといいます。

加えて、歌六以来の「何をやっても、客を無性に喜ばせる」持ち味がこの芝居のいのちです。例えば、松浦侯が子葉(しよう 大高源吾)の話など聞きたくないと駄々をこねる、「お天気屋」の殿様の感情の照り映えのおかしさは、「無性に喜ばせる」芸があってこそですし、山鹿流陣太鼓が響いて、耳を傾けるかたちから、膝を進めて指で数える、あの動きだけで陶然とさせなくてはいけません。義士たちの大望成就と知って「宝船はここじゃここじゃ」「仇討じゃ仇討じゃ」とはしゃぐ場面など、馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいのですが、子供のような稚気のうちに、きちんと大名の格というものを忘れてはいけないわけですね。

「夏祭」の老侠釣船三婦、「石切梶原」の六郎太夫、そして「岡崎」の山田幸兵衛と、このところ丸本歌舞伎の大役に進境著しいヴェテラン五代目歌六が、曽祖父以来のこの当り役を如何に継承するか。愉しみな舞台です。

『松浦の太鼓』手前左より、宝井其角=中村東蔵、松浦鎮信=中村歌六、奥左より、近習 早瀬近吾=中村蝶八郎、同 里見幾之亟=中村吉之丞、同 渕部市右衛門=中村鷹之資、同 中村種之助=同 江川文太夫、同 鵜飼左司馬=中村歌昇

歌舞伎座公演

2019年9月1日(日)〜9月25日(水)
昼の部(11時〜)/極付『幡随長兵衛』『お祭り』『沼津』
夜の部(16時半〜)/『寺子屋』『勧進帳』『松浦の太鼓』

歌舞伎座公式サイト

犬丸治(いぬまるおさむ)

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。

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