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Culture
2019.10.11

香川県高松観光、菊池寛記念館を100倍楽しむ!文学館見学の見どころ解説

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全国各地の観光地に行くと大抵あるのが文学者の記念館。土地に縁のある小説家や詩人、歌人、俳人などの功績を顕彰し、作品の価値を後世に伝えていくための施設だ。旅の立ち寄り先としては定番だし、修学旅行なんかだと強制的に見学させられたりもするので、誰もが一度ぐらいは足を踏み入れたことがあるのではないだろうか。
だがしかし、である。
入ったところで、元々その人物のファンだったわけでもない限り「……ふ~ん」で終わってしまうのが文学館見学の悲しさ。よほどの思い入れがなければ、生原稿や遺品を見ても「感激!」とまでいくものでは……。私だって入館したものの「なんか見た」で終わったことは多々ある。
けれども、学芸員のみなさんが資料の収集研究に努め、工夫を凝らした展示がされている立派な文化施設がおもしろくないわけがない。「どうしてそれが展示されているのか」「見どころは何か」、つまり展示のWhyとWhatを押さえておけば何倍も楽しめるはずだ。
そう考えた私は、さっそくお話を聞いてみたい文学館の選定に取り掛かったのだが、ふと、とある人物の名が脳裏に浮かんだ。
菊池寛である。
かつて文学少年/少女だった向きならともかく、普通は「聞いたことがあるような、ないような……」という名前かもしれない。だがこの人、実は日本の近現代文学と出版業界の発展にものすっごく大きな役割を果たした偉人なのだ。なにせかの「文藝春秋」誌の生みの親であり、日本の二大文学賞「芥川賞」と「直木賞」の創立者なのである。そう、彼がいなければ数多のスキャンダルを暴露してきた「文春砲」もなければ、賞レースを巡る悲喜劇もなかったわけだ。
さらに、彼自身が文豪に数えられる文学者で、日本の大衆文学の質を大いに高めた第一人者だった。三十代以上の昼ドラ好きならば「たわしコロッケ」が流行語になった連続ドラマ「真珠夫人」は記憶に焼き付いていると思うが、あの原作小説を書いたのは菊池寛である。歌舞伎や新劇が好きなら戯曲「藤十郎の恋」の作者というと「ああ、あれ」と膝を打つだろう。
成功したビジネスマンであり、かつ優れた文学者でもあった上、死後数十年経っても新しいコンテンツの源になっている菊池寛。彼ほど21世紀的価値観にぴったりとくる文豪はいないのではなかろうか。
というわけで、今回は「菊池寛記念館」に伺うことにした。

菊池寛記念館は菊池寛出生の地である香川県高松市サンクリスタル高松の3階にある。

来館者を出迎える胸像の人こそ菊池寛だ。

正面には肖像画と胸像、そして代表作「父帰る」の名場面を表現した彫像が並ぶ。そこを右に曲がって展示場に入っていくと最初にぱっと目にはいるのが、瀟洒な洋室が再現されているコーナーだ。

いかにも「昭和の文豪」らしい落ち着いた佇まいに思わず走り寄って見に行きたくなるが、逸る気持ちをぐっと抑え、まずは常時流れているビデオ映像で菊池寛の一生を頭に入れることにする。
才能に恵まれながらも貧家に生まれたがゆえに思うに任せなかった少年期、一生の友となる仲間に出会う学生期、文壇で地位を確立していく青年期、そして文藝春秋誌を創刊して名実ともに出版界のリーダーとなっていく中年期から晩年まで、59年間のあらましが子孫など身近な人たちの証言を交えながら紹介されている。
没落士族の息子が才能と人柄を武器に世に出ていったこと、そんな立志伝中の人でありながら身は「文学者」として評価されることを望んでいたこと、また家族にとっては良いお父さんであったことなどが要を得て説明されるので、これさえ見ればとりあえずの下準備は完了だ。
展示コーナーは「生誕の地」「作家とその時代」「生活者の文学」「文壇の大御所」「期待と激励を残して」と一生を追う形でテーマごとに分かれているので順番に見ていこう。
「生誕の地」コーナーの劈頭(へきとう)を飾るのは、戦前の高松市市街写真を背景にした菊池寛生家の模型だ。
「この模型はあくまで同時代の他の家屋などを参考して造られた推定模型で、実際の建屋がこの通りだったかはどうだったかどうかはわかりません」と教えてくれたのは、当日案内くださった学芸員の綾野さん。
「でも、ご覧いただければ、菊池家が江戸時代は藩儒として高松松平家に仕える家柄だったにも関わらず、明治時代は決して裕福でなかったことがわかると思います。時代の変化が菊池家にとっては大きなダメージになったのですね。教科書を買ってもらえなかったことや修学旅行に行けなかったことが心の傷になって、後の人格形成に大きな影響を与えました。それがあっての菊池寛というところを見ていただければと思います」
また、研究熱心な性格でまわりの子どもたちからは百舌鳥博士と呼ばれていたとか、高松に初めての図書館ができた時には第1号の閲覧券を購入、上京するまでに約2万冊の蔵書のほとんどを読んでしまったというようなエピソードも。栴檀(せんだん)は双葉より芳しというが、やはり特別な才能を見せる子どもだったようだ。

「作家とその時代」コーナーでは、迷走しまくる青春時代が紹介される。
菊池寛はとにかく破天荒な性格で、中学卒業後に学費免除で東京高等師範学校に進んだ後はいろんな学校に入学と退学を繰り返すのだが、特に1913年、卒業目前にして第一高等学校(現在の東京大学教養課程に当たる旧制高校)を退学となった通称「マント事件」は彼の運命を大きく変える出来事となったそうだ。
「友情に篤い性格だった菊池寛は、人のマントを盗んだ友の罪を自分がかぶり、退学処分を受けてしまいます。しかし、この処分に同情した彼の友人たち、とりわけ裕福な家の子息だった成瀬正一の援助によって京都帝国大学に進むことになり、学業を続けることができました。また、芥川龍之介や久米正雄が参加していた第三次新思潮(東京大学の有志が発行していた文学同人誌)に誘ってもらうこともできました。彼の義侠心が人生を好転させるきっかけになったことが、展示品を見ていただければわかりますよ」(綾野さん)
その他にも、さまざまな人と交流し、文壇で地歩を築いていった過程を年代ごとに追うことができる。中には恋人だった美少年に宛てたラブレターなんてものもあるので、要チェックだ。

菊池寛の原稿の裏に芥川龍之介が自作の漢詩を書き込んだ原稿用紙。彼らの青春時代を彷彿とさせる。

「生活者の文学」コーナーで紹介されるのは、文学者・菊池寛としての顔。特に「屋上の狂人」「藤十郎の恋」「恩讐の彼方に」といった戯曲に焦点を当て、舞台模型や映像資料を駆使して紹介されている。
30歳ぐらいになるまでずっとお金に困っていたという経験は「生活第一芸術第二」という信条を形作った。だからこそ、仲間の作家たちが芸術至上主義を取るのに対し、菊池寛は大衆文学に道を見出していったのだ。また、会社を設立し、作品を発表する場を設けることで、文学者らの生活の安定を図ろうとしたのもそんな信条あってこその行動だった。
「そこが他の作家と違うところだと思います。いろんな人に目を配って、助けたい気持ちが強かったのでしょう。一方、読者への配慮も欠かしませんでした。文藝春秋社で出した子ども向けの文学全集の辞には、『文学少年を騙すようないい加減なものでは決してない』という言葉があります。それは、かつて文学少年だった自分へのメッセージのようにも思えます」(綾野さん)

「文壇の大御所」コーナーでは、そんな志がいかに多くの文学者を救い、育てるに至ったかを目の当たりにすることになる。
同時に注目したいのが、菊池寛の人間味あふれる一面だ。
さきほどの書斎の復元コーナーの写真をよく見てほしい。真ん中に馬の像と持ち手が馬頭になっているステッキがあるのがわかるだろうか。なぜ馬のモチーフを好んだかというと、それは大の競馬好きだったから。競馬だけでなく、賭け事や勝負事がとにかく好きだったらしい。文藝春秋社の社内でも盛んに卓球大会や将棋大会などを催していた。館内にはその時に賞品として出したトロフィーも展示されている。
「ところが、社員たちがあまりにも遊びに熱中して仕事が疎かになるものですから、一時は禁止令を出したそうです。けれども、しばらくしたら自分が率先して禁を破ったとか。きっと我慢できなかったのでしょうね(笑)」(綾野さん)
豪放磊落な性格、ぜひ展示品から感じ取ってほしい。

そして、最後の「期待と激励を残して」コーナー。ここでは館の半分近いスペースを割いて、創設した芥川賞、直木賞、菊池寛賞の概要と、歴代受賞者がずらりと紹介されている。館最大の見どころといってもよいだろう。

年代ごとに区切って受賞者の名前と顔写真、そしてサイン本が収められている光景はまさに壮観。読書好きならば盛り上がること間違いない一角だ。

「自分の作家活動が落ち着いた時に、後進育成のための賞として芥川賞や直木賞を創設する一方、長期間活動してきた文化人を顕彰する菊池寛賞を作ったあたりに視野の広さを感じます。もちろん、文藝春秋社の知名度を上げる目的もあり、それは本人も認めているところです。アイデアマンかつ実利を重んじた彼の性格をよく示しています」(綾野さん)

ざっと見るだけでも小一時間はほしい多彩な展示。最後、綾野さんに初心者/中級者/上級者と分けて、それぞれの館の楽しみ方を聞いてみた。

「菊池寛のことはほとんど知らないという方には、やはり彼が一番活躍した時期、文藝春秋社を作って以降の業績を見ていただければと思います。あの芥川賞や直木賞の創設者と思えば、興味もわいてくるのではないでしょうか。菊池寛にもともと興味があって知識を増やすために当館を訪れてくださった方には、作家や出版人としての顔以外にも趣味人であったこと、また大日本映画製作株式会社(後の大映株式会社)の社長を務め、今でいうメディアミックスの走りのようなことをしていた先見性のある人だったことを知っていただきたいですね。また、当館に何度も足を運んでいるような菊池寛上級者の方には『アートになった菊池寛』を楽しんでもらえれば。当館には胸像がふたつもありますし、中央公園や菊池寛通りにも銅像がいくつか点在しています。ラリー感覚で巡ってみてはいかがでしょうか」
 ところで、どうせ作家の記念館を訪れるなら、事前に著作の一冊は読んでおきたいもの。そこでおすすめの作品も教えてもらった。
「私が好きなのは『父帰る』です。放蕩者で長らく家に帰ってこなかったお父さんが困窮したからといってのこのこと戻ってきた時、他の家族が受け入れても長男だけはどうしても許すことができず、喧嘩をして追い出してしまいます。でも、その後に長男がとった行動に私はすごく心打たれるのです。あの場面に、菊池のやさしさというか、人情家なところがすごく良く出ていると思います」

文豪かつ成功した実業家というとなんだか別世界の人のように感じられるが、実際には庶民的感覚を持ち続け、生活者としての価値観を大切にした菊池寛。
記念館を訪れた際には、展示品からそうした素顔を読み取ってみてほしい。

【館情報】
館名:菊池寛記念館
場所:香川県高松市昭和町一丁目2番20号 サンクリスタル高松3階
公式サイト:https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/index.html

書いた人

書評家。主に文学、宗教、美術、民俗関係。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など。現在、よみもの.comにて「文豪の死に様」を連載中。最近の関心事項は文化としての『あの世』(スピリチュアルではない)。