数千の大ダコに救われた奇跡の武将!豊臣秀吉の家来、中村一氏って誰だ?

数千の大ダコに救われた奇跡の武将!豊臣秀吉の家来、中村一氏って誰だ?

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戦国時代。籠城していた城が敵に包囲され、今にも落城寸前である。

その時、僧侶を乗せた大蛸がやって来た。それも1匹ではなく、大軍で。その大蛸は、たちまちのうちに敵を打ち払ってしまった。

あまりに非現実的な迷信のようにも思えるが、これは豊臣秀吉の古くからの家来だった中村一氏のエピソードである。1584年、岸和田城を守っていた一氏は雑賀衆に包囲されたが、それを救ったのは数千の蛸だったそうだ。

そんな一氏が、静岡市で再評価されつつある。

家康包囲網

2006年のNHK大河ドラマ『功名が辻』で中村一氏を演じたのは、ロンブー淳だった。

主人公の山内一豊、同僚の堀尾吉晴とは出世争いのライバルで、ふたりよりも功名心の強い男として描写されていた。実際の一氏も、秀吉の下で幾多もの戦功を挙げた。冒頭の岸和田城合戦も、戦功の中のひとつである。本当に蛸が出てきたのかどうかはともかくとして。

そんな一氏だが、徳川家康が秀吉の命で関東に転封されたあとは彼の本拠地である駿河を領有した。

これは家康を関東平野に幽閉する意味合いを含んでいた。当時の関東は確かに平野面積には恵まれているが、利根川とその支流の影響で水害が多かった。だからこそ後年、徳川は総力を挙げて利根川の流れを変えてしまう工事を実施したのだ。

ともかく、家康は秀吉の策略で水だらけの平野に押しやられてしまった。その上、東海道最大の重要拠点である駿河には秀吉側の重臣が赴任してきた。「家康が大坂へ出兵するのを阻止しろ」と、一氏は命令されたのだ。

「幻の城」が示す意味

さて、静岡市は現在「秀吉の城」で大盛り上がりだ。

これについては筆者も既に記事にしているが、要は明治時代に埋められた天守台を再発掘しようと思ったら、史料にない別の天守台が出てきたという顛末だ。しかし、この「幻の城」に関しては論争もある。秀吉配下の一氏が建てた城なのか、それともさらに以前の五ヶ国領有時代の家康が建てた城なのか。

いずれにせよ言えるのは、どちらの陣営にとっても駿府は「確保しておくべき拠点」だったことだ。ここを手中に収めているかそうでないかで、全国制覇の難易度が異なってくる。

従って、中村一氏が駿府城主に任命された時点で、彼は日本史の分岐点に立つ運命を背負ってしまったのだ。

家康からの書状

一氏の一族に対して家康が送った書状が、最近公開された。

書状は一氏が病死した直後に送られたもので、内容は「式部少輔(一氏)が申しつけられた通り、駿河の支配を疎かにしないように」というもの。要は一氏の遺言を守れ、ということか。それはつまるところ、死ぬ寸前の一氏が「駿府城を家康に返そう」と考え実行していたというわけだ。

関ヶ原の合戦は「豊臣政権内の権力抗争」だったから、一氏の判断そのものは決して豊臣に対する裏切りではない。

ただ、結果的に見れば一氏の決断はその後の豊臣滅亡につながった。少なくとも中村一族は、関ヶ原合戦の前日に行われた杭瀬川の戦いで島左近の軍勢と刀を交えたのだ。

歴史資料館建設に向けて

先述の書状だが、現在は静岡市内駿府城公園の坤櫓で2019年11月4日まで公開されていた。

東京の古書店で発見されたものを、静岡市が130万円を出して購入したものだ。徳川と中村の間に交わされた書状はあまり現存していないから、130万円はかなり安いと筆者は考えている。

また、静岡市は歴史資料館の建設を行っている最中だ。これは2022年に開館予定で、そのために全国各地から史料を集めている最中である。中村への書状も、そのひとつだ。

ただ、この歴史資料館に関しては一筋縄ではいかない部分もある。

というのも、工事のために敷地を掘り返したら、そこから中村~徳川期の遺構が発見されたということがあったのだ。駿府城周辺はこういうことがあるから、なかなか計画通りに新施設を建てることができない。もっともこれは、誰の落ち度というわけではないのだが。

静岡市では、徳川家康が大御所として君臨する以前の領主を再評価しようという空気が生まれている。中村一氏はどちらかと言えばマイナーな歴史人物だが、今日の静岡市を築いた名君の中のひとりであることは間違いない。

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