孤独なテロリストの翳、悪七兵衛景清とは? 演劇評論家・犬丸治さん解説

孤独なテロリストの翳、悪七兵衛景清とは? 演劇評論家・犬丸治さん解説

今月も、演劇評論家の犬丸治さんに歌舞伎の見どころをレクチャーしていただきましょう。2019年11月、国立劇場で上演中の『孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)』、中村吉右衛門丈が演じる景清像はいかに?

文/犬丸治(演劇評論家)

江戸の芝居町の賑わいを偲ばせる遺物を発掘!

平成二十年の二月から五月にかけてのことです。東京都中央区の教育委員会は、日本橋人形町三丁目で発掘調査を行いました。ここはかつて「葺屋町」と呼ばれ、中村座・森田(のち守田)座とともに「江戸三座」と称された市村座の西隣にあたります。その結果、江戸の芝居町の賑わいを偲ばせる数々の遺物が発掘されました。その展示会で、「萬吉」と名の入った器を観た時には、本当に驚きました。

「萬吉」とは、「萬屋吉右衛門」。市村座付きの芝居茶屋です。当時上客は必ず芝居小屋を介さなくては席が取れず、観客は幕間や芝居がはねてからは、着物を着替えたり、飲食をしたりで一日を過ごしたものでした。十八世紀後半、安永年間の何代目かの吉右衛門は、筆名「松貫四(まつかんし)」で人形浄瑠璃「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)」「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」をものした作者でした。その子孫・幕末の吉右衛門の娘は歌女(亀)といい、歌舞伎役者の三代目中村歌六に嫁ぎました。その息子が初代中村吉右衛門・三代目時蔵(萬屋一門の祖)なのです。

悪七兵衛景清は孤独なテロリストの翳

なぜこんな話から始めるかといえば、今月の国立劇場「孤高勇士嬢景清」は、平成十七(2005)年11月歌舞伎座で吉右衛門が演じた「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」の再演であり、この時吉右衛門は、祖先に倣って「松貫四」を名乗って台本を手掛けていたからです。

平家滅亡後、永らく宿敵頼朝を付け狙うものの果たせず、ついに盲目となり、九州日向(宮崎)に流された藤原景清は、「悪七兵衛景清」と呼ばれて、能や浄瑠璃・歌舞伎に脚色されていきました。「悪七兵衛」の「悪」は、悪人ではなく勇猛果敢という意味なのですが、どこか孤独なテロリストの翳を感じさせます。

その景清伝説を集大成したのが近松門左衛門で、貞享二(1685)年、竹本座に書き下ろした浄瑠璃「出世景清」は、一種ギリシャ悲劇を思わせるような彫りの深い人物像でした。

この「出世景清」を境に、それ以前を「古浄瑠璃」と呼ぶほど、画期的な作品でした。永らく上演が絶えていたものを、近年文楽が復活上演しています。歌舞伎十八番でも「景清」「解脱」「関羽」は景清ものです。古典芸能に占める大きさが、これでも判ります。

今月の「孤高勇士嬢景清」の原作は、享保十(1725)年十月大坂豊竹座の人形浄瑠璃「大仏殿万代石楚(だいぶつでんばんだいのいしずえ)」です。これも「出世景清」の影響下に書かれたものですが、頼朝の人物の大きさに打たれ、一度は降参した景清も、頼朝の姿を見れば心乱れると、自ら両眼をくり抜きます。日向で乞食同然の暮らしをする景清の元に、幼い頃別れた娘糸竹(糸滝)が訪ねています。糸竹は、父に座頭の官位を取らせるべく、自ら身を廓に売っていたのです。この三段目「日向嶋(ひゅうがじま)」は、「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」の名に書き換えられ、文楽では大曲として大切に扱われていました。

盲目を表すために、八代目幸四郎は赤いコンタクトレンズを装着した!?

その「日向嶋」が改めて注目されたのは、昭和三十四年でした。歌舞伎の八代目松本幸四郎(初代白鸚-はくおう-)は、文楽の竹本綱太夫・竹澤弥七と組んで「日向嶋」を上演しようとしました。歌舞伎の義太夫狂言の伴奏は「歌舞伎竹本」ですが、同じ義太夫節でも、文楽(本行)とは画然とした格差がありました。

文楽は、太夫・三味線・人形がそれぞれの間を崩さず、ガップリとぶつかり合います。しかし役者本位の歌舞伎では、役者の動きに合わせるために、語り口や間をどうしても崩してしまう。舞踊は別にして、歌舞伎に出演する時は、役者にセリフを言わせてはならない、そんな不文律があったのです。文楽内部の激しい反対を、綱太夫らは「本行のテキストを崩さない」と押さえ、公演に臨みました。

幸四郎とは、ここは役者がしゃべり、ここは文楽が受け持つ、という打合せが綿密になされ、四月二十七、二十八日のわずか二日間の公演は、まさに両者の真剣勝負、比類なく緊迫した出来となったのです。この時幸四郎は、盲目を表すために、当時はまだ大きくはめにくかった赤いコンタクトレンズを装着し、両眼をクワッと見開いた姿は異様な迫力だったといいます。

この時、幸四郎の二人の息子たち・現白鸚と吉右衛門は、まだ染五郎・萬之助を名乗っていた十六歳と十四歳の少年でしたが、舞台で父と綱太夫の火花散る演技を間近に見ていました。

「染五郎、万之助の二人の子供もテープでけいこしていましたが、どうにもならない。二人共清元や踊りのけいこはしていましたが、義太夫は一度もしていない。そこで綱大夫さんに一日みっちりけいこをしてもらいました。ところが、二人共前よりセリフのイキが義太夫のイキに近づいているのです。本当の芸をもっている人に指導してもらうことはいいことだと思いました(山川静夫「綱大夫四季」に紹介された当時の紙面の幸四郎の談話)。

現在の堂々たるふたりからは想像もつきませんが、この「日向嶋」体験が彼らの血となり肉となっているのは間違いありません。

それから六十年、作者松貫四として「日向嶋」を義太夫狂言として練り上げた吉右衛門が、どのように円熟した景清像を掘り下げるのか。刮目の舞台です。

公演情報

『孤高勇士嬢景清—日向嶋』
公演日:11月2日(土)〜25日(月)
公演時間:12時開演 ※開場は開演の45分前の予定です。
会場:国立劇場
国立劇場サイト

犬丸修

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。

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