Culture
2020.04.06

SEOに多様な表現、Webライティングにおける変化は?ライターが語る日本語の世界

私たちが毎日接している日本文化って何でしょう?

そのひとつが「日本語」であるということに、和樂webで仕事をするようになってから気づきました。たとえばちょっとした言葉遊びから見られるポップな遊び心や季節を表す多様な表現から感じられる自然との距離感などです。

意外と日本文化の入り口は身近なところにあるのかも、と思い、日本文化初心者のさいころが、和樂webで熱量を込めて執筆しているライターの方に、Webライティングにおける問題意識や近年の日本語の変化、実は平安時代から変わらない日本語の形式など、あれこれ伺いました。

〜皆さんのプロフィール〜
笛木さん:和樂webのslackでは縄文女王とも。枕詞をテーマにzine「火振水 hi hu mi」を作るくらい日本語が好き。
あきみずさん:日本刀剣は永遠の恋人。周囲から平安時代から生きてるよね?と言われること多数。
chiakiさん:和樂webのslackでは平安暴走戦士とも。大学では源氏物語を専攻していた。
ともさん:埴輪、ガンダム、百貨店を愛する詩人。歴史学の博士号をもつ大の歴史好き。
小林さん:オウンドメディアにおけるSEO支援に関わる。過去にオランダ、香港で生活した経験あり。

あなたはどっち?現代の日本語事情

正式名称「コンビニエンスストア」と略称「コンビニ」。

さいころ:まずは今使っている日本語でライターの皆さんが気になっていることについてお伺いします。小林さんは、和樂webのライターとは別にSEO関係のお仕事をしていますよね。Web上の日本語について、何かエピソードはありますか?

SEO:「検索エンジン最適化(Search Engine Optimization)」の略称。GoogleやYahoo!などの検索エンジンでキーワードが検索された場合に、自サイトが上位に表示されるようコンテンツを調整すること。具体的には、記事に対して多くの人が使うキーワードの組み合わせをタイトルなどで入れるなど、ユーザーにとって価値のあるコンテンツを提供し、検索エンジンにページ内容を理解・評価されるよう、コンテンツを調整する。

小林:SEO対策という観点だと、記事のタイトルなどには正式名称よりも多くの人が検索キーワードで入れるものを使います。例えば、「コンビニエンスストア」ではなく、「コンビニ」と表記します。私たちの方ではWebでよく使われる言葉に合わせてSEOの対策をしているけれど、クライアントからはそう見られず、「日本語のチェックをちゃんとしてください」と、指摘が入ることもある。「ちゃんとした日本語」ってなんだろうって思いますね。

chiaki:私は大学で平安文学を学んだ後、広告の会社でSEO対策の記事に触れて違いにすごく戸惑いました。

笛木:どういう違いですか?

chiaki:情緒がないというか。

とも:他媒体の話なんですけど、代名詞を入れたい時に、SEO対策で指定された言葉を入れて欲しいと言われることがあり、少し違和感があります。

小林:人格がない感じがしますよね。

全員:たしかに!!

「お茶に行こう」と誘う?「スタバ行かない?」と誘う?

さいころ:SEOを意識しすぎると日本語のもつ表現の豊かさ、ライターの方の個性は制限されやすいんですね……。ほかに、最近使っている日本語で難しいな〜、とか、変わったな〜って思うことはあります

小林:若い人は、固有名詞を使う場合が多いと思います。

全員:???

小林:お茶を飲みに行こうじゃなくて、スタバに行こう、とか。そして、ルノワールなら行かないけど、スタバなら行くっていう感じのやりとりを聞きました。選択の自由が出てきたからでしょうか。

あきみず:ハッキリ言うことで、あの人はスタバだと思っているけどこっちはルノアールだと思っているなど、認識の違い・衝突を避けるということに繋がっているというのを聞いたことがあります。

さいころ:それだけ、個人の選択を尊重するという風潮が反映されているのかもしれませんね。

ちょっとタイムスリップ!昔の日本語ってどんなもの?

和樂webには古代・平安時代・室町時代・江戸時代など、時代別で当時の文化に明るいライターの方がいるのも面白いところ!せっかくなので、どんな違いや共通点があるのか伺ってみました。

おははさま→おぱぱさまと発音?古代・平安時代の日本語

とも:古代の日本語は母音が7つか8つあったという説があるんです。発音できないんですけど。私はそういうところから日本語って面白いなと思いましたね。

chiaki:平安時代も発音は今と違っていて。前に音声で聞いたら笑っちゃっいました。

笛木:ぱぴぷぺぽとかも使うんですよ。おははさまは、おぱぱさまとか言うらしいですよ。しかもめちゃめちゃゆっくり。

全員:ええ〜(笑)!

chiaki:話し言葉だったということもあって、流れるような感じで、今よりも綺麗だなと思います。当時、記録には漢文が用いられていて、お姫様などは人が読むのを聞いていたんですよね、だから文自体が美しいのかなと。

とも:あと、なにかとスローですよね。

小林:能・狂言に通じるものがあるんですかね。擬音が多いのかな?

あきみず:いつからなんでしょうね?能の時間は現代と比べてもっと短くて、室町だと1/3の長さだというのも聞いたことがあって。言葉の速度との関係もあったりしたら面白いですね。

笛木:発音がずっと難しかったこともあるのかもしれないですね。

よく主語が抜けるのは昔からだった!

あきみず:そういえば日本語ってしょっちゅう主語が抜けますよね。

小林:少しだけ学んだんですけど、実はスペイン語も主語を使わないんですよ。動詞が主語によって6種類に活用するので、わかるようになっているんです。ただ、日本語は動詞が活用する訳ではないのに、主語が抜ける曖昧さがあるかもしれません。

chiaki:まさに古文って主語がないんですよ。だから誰が言ったかで話自体が変わっちゃうから、そこが研究の対象だったりします。

全員:えー!!

さいころ:でも当時の人はそれで感じ取れていたんですね。

笛木:前提の認識があっての読み物だったんでしょうね。

実は江戸時代との共通点が!?言葉遊び

さいころ:そうすると、前提の認識がない私には日本語が少し遠く感じてしまいます。
笛木:そういう面もあるけれど、江戸時代の言葉遊びってすごく面白いんですよ!「ありがとう(蟻が十)なら芋虫ゃはたち(二十)」っていうのがあるんです。ありがとうと言われた時に照れ隠しで言うダジャレですよね。キャッチコピー。プロが考えていたのを、民衆が使うようになったようです。

さいころ:もともとは人と人とのコミュニケーションツールだったものが、そこまで遊び心を含んで進化していくのは、心にゆとりがないとできなそうで、江戸時代の雰囲気が伺えますね。

笛木:実は、twitterで江戸時代の言葉遊びが生きているんですよ。「当たり前ポエム」っていって、全然深くないこと、当たり前のことを深そうに言うんですけど。例えば、「一人より二人の方が人数が多いね」とか。書籍にもなってますよ。

全員:へえ〜!!

「あたりまえポエム 君の前で息を止めると呼吸ができなくなってしまうよ」 氏田雄介(著) カズキヒロ(写真) 講談社 た、たしかにあたりまえ……!でも読み方をそれっぽくして読んでみると面白かったです。こんな言葉遊びを楽しめるのは日本人ならでは!

色々出てくる!日本語の特徴

自然が身近だったからこそ?日本語の抽象性

さいころ:では現代の話に戻って、日本語から感じられるの日本文化ってどんなものなんでしょうか?

笛木:よく言われるのは、英語は何を伝えるか。日本語はどう伝えるかが大事というところ。
ひとつのことを伝えるのに、語尾だけでもたくさんの種類があってニュアンスが変わっちゃうじゃないですか。ニュアンスを伝えるというのは、要は、具体的な内容よりも感情がもつ質感を伝えるということだと思うのですが、それが日本語は豊富な気がします。システムとして組み込まれているのは枕詞ですね。

枕詞
古代の和歌などで使われる、特定の言葉を修飾する方法。句調を整える役割などがある。
(例)
あしひきの→山
ちはやぶる→神
ひさかたの→天(あめ)・空など
例えば、競技かるたを題材にした漫画「ちはやふる」でも有名な、「千早振る(ちはやぶる) 神代(かみよ)もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌。「ちはやふる」が「神」を修飾している。

笛木:詠まれた瞬間に自然の情景や質感などが豊かに感じ取れるっていうのは素晴しいと思います。意味を伴う名詞が詠まれる前に、枕詞がくることで、そのものの質感やイメージが伝わる。「千早振る」なら、荒々しくスピンしてる何か、「久方(ひさかた)の」なら、視界がぼやけるような遠くて曖昧な何かのイメージ、とか。それぞれの枕詞の語源は諸説あるし今ではよくわからなくなってしまったものがほとんどだけど、元々は、自然の情景や質感などを感じ取るための機能を持っていたのだと思います。

さいころ:それを今も日本人が感じ取れてるっていうのもすごいですよね。

笛木:そうですね。最近は日本人が自然に接する機会は減ってきているので、どこまでその情景を感じ取れているかはわからないけど。昔の人は自然に触れる機会が多くて敏感だったのだと思う。私は自然との関係が日本語に影響していると思っていて。日本庭園とかは、自分が自然の一部、という感じを受けるんですけど、それは日本語のせいだと思う。日本人の心根が日本語を作ったというよりは、日本語の抽象性が日本人の心根を作ったんだなって。自分と世界をわけないっていう曖昧さがありますよね。主張が弱いという弊害はあるけれど。

余白が多いから個性が出しやすい!?

小林:語尾の変化で性別や年代がなんとなくわかるのは日本語の面白いところですね。

さいころ:確かに、「私は本が好き〜」「僕は本が好きだ。」「ワタクシは本が好きです。」……それぞれ何となくキャラクターが伝わりますね。例えば「私は」の部分、英語なら全て「I」になります。

あきみず:語尾っていうと、記事執筆にあたり、文体を変えてやってみたいなと思ってこの前やってみました。文章によって受ける雰囲気って全然違うから。
あきみずさんが文体を変える前の記事はこちら
変えた後の記事はこちら
ひとつの工夫で大きく雰囲気が変わる!

さいころ:世界観が伝えやすいのは日本語の特徴なんですかね。

笛木:私は英語とフランス語しか知らないけど、そのふたつの言語と較べると、日本語はものすごく文体の違いが出る言語だと思う。フランス語は特に、矛盾がないような文章にできる文法で、システマティック。なので、論理を伝えるにはとても向いていると思う。英語でものを考えると論理的に考えられるけど、日本語で考えると矛盾が多くなりやすくて。日本語は雰囲気言語で遊べる余地があるからこそ文体も広がっていく気もします。

あきみず:すごくわかります。この言い回しにしたら誤解を生むかもしれないけれど、どうしても使いたくて入れた文章が、やはり違う文脈から読まれてしまって……そこは難しい。

笛木:良さはあるけど弊害もありますよね。

とも:人によって表記の仕方が違うからその人の個性が出ますよね。「ご飯」と「ごはん」、「是非」と「ぜひ」とか。

小林:そういえばライターの人の語尾のちょっとした表現とか、よく使う言い回しとかで、名前を見なくても誰が書いたらわかるってありません?

全員:あるある!!

笛木:かるびさんのとか、澤田さんとか、最初の1行目でわかる!

左がかるびさんこと齋藤さん、右が澤田さんのアイコン。

全員:わかる〜!

とも:日本語って、余白の多い言語だからそういうことができるんですよね。

長文職人、かるび(齋藤久嗣)さんの記事はこちら
最初の一文がインパクト大!澤田さんの記事はこちら

江戸時代からの識字率の高さが共通認識にも影響?

小林:さっきの枕詞なんですが、背景が全く違う人がコミュニケーションをとるために使うツールとして言語を捉えると、枕詞など共通の背景が必要とされる日本語って学ぶのが難しい言語だと思います。日本に共通認識があるのって、識字率が高いので、同じコンテンツを楽しめる環境が整っているところも影響しているのかも。多民族が暮らす香港とかは共通言語がひとつではないので、広告も動画やイラストが多用されている気がします。

笛木:日本は江戸時代からは寺子屋で読み書き・そろばんを教えていたから識字率世界一ですもんね。平仮名は読めた。

寺子屋書初 国立国会図書館デジタルコレクションより 寺子屋で新年の書き初めをしている様子を描いたもの

全員:なるほど!

あきみず:本歌取(ほんかどり)ってあるじゃないですか。和歌で、古い歌の語句や発想を用いて新しい歌を詠むんですけど。それも共通の認識がないと成立しない。日本語ってそういうのが多いのかも。

小林:でも茶の湯もそうなんですけど、そういう工夫をわざわざ言わないですよね。気づいてもらう。

さいころ:あえて明確化しない美学。思いをしのばせるっていう感じですね。

小林:あと、何かに誘われた時に「行かない」じゃなくて「時間があれば」「ご縁があれば」とか、つまびらかにしないのも日本語の特徴ですよね。

さいころ:ただ、先ほどお茶に行くと言うのではなく、固有名詞を使うというように、徐々に明確化するようになってきいますよね。時短とか、間違いがないように言葉を使うこともあって、変化が起こっているんですかね。

概念を細分化する言語、統合していく文様。どちらの要素もあるのが日本語。

笛木:実は、日本って文様に対する熱意がすごいんですよ。

全員:えっ?

笛木:今でも家紋とかあるじゃないですか。文字も文様も、その本質は「伝える」ということですけど、それを縄文人はひとつの文様で概念を統合することができるんです。

全員:???

笛木:文字、例えば私って書いたら意味って限定されますよね。文字は概念を純粋化・細分化していく。でも文様は機能が逆で。渦巻き文様だったら「水」「風」「永遠性」「輪廻」「蛇のとぐろ」のように、解釈が無限にあるんですよね。ものすごく抽象的だからこそ広がりがある。

抽象的だからこそいろんな捉え方ができる

この国の人たちは縄文時代からこういったことをやってきて、大陸から漢字という文字が入ってきてもなお、文様に代表されるような抽象的な言葉の世界を、それと真逆の識字率の高さとともに内包しているのがその特徴のひとつかも。

笛木さんの文様に関する記事は こちら

曖昧、抽象的、だからこそおもしろい!

さいころ:様々な日本語や日本文化が垣間見えましたね!最後に、皆さん(小林さんは途中退席)が思ったことを教えてください。

笛木:普段SEOとかWebだからこういう風に書こうとか意識していなかったけど、確かにやってたな~!と思った。そして、Webのライティングにおいては英語と同じように、情報を伝えるという意味で日本語が使われ始めているなって。固有名詞の話も相手に的確に伝えるために使われていて、抽象的な要素が多い日本語らしからぬ日本語が主流になっているのは発見でした。寂しいけれど、日本は島国根性を脱却して世界に飛び出していくためには、いい変化なのかもしれない。と同時に、曖昧な日本語も大事にしていきたいです。

あきみず:曖昧だし抽象的だからこそライターとしてできることもあるのではないでしょうか。必ず伝えることは伝えなければならないけれど、日本語の楽しさも記事の中に入れ込んでいける可能性があると思います。例えば、響きやリズムの楽しさとか。言葉を聞き取れなくても響きだけで楽しめる(能とか)、そういう方向性で記事書いてみたら面白いかと思いましたね。

chiaki:JK流行語大賞の「ぴえん」は「ぴえーん」の略で、(泣)みたいな感じだそうです。泣くことも色々な表現があって、めそめそは気弱なイメージ、ほろりはちょっと情緒を感じる。この表現を知って女子高生は感性が豊かだな!って思いました。SEOは検索エンジンのgoogle(英語)の考え方だから、キーワードを入れるという仕組みになったのかも?日々進化しているから、いつか情緒とかわかるようになるかもって思いました。

とも:文章を書くことが昔から好きだったんですけど、シチュエーションによって書き分けるのが難しいなって感じています。論文で体言止め使わないとか。私はふわっとした文章を書こうと思っています。ふわっていうのが日本語の良さだというのを改めて今日は感じました。記事に関しては取材先の思いが読者にきちんと伝わるよう、ふわっとしないようにしたいです。

記事中では触れられませんでしたが、皆さんお気に入りの書籍なども持ってきてくださりました!

さいころ:想像以上に今と昔の日本語で共通点があったり、逆に世の中を反映して変化していることがわかったり、生き物のように感じ、面白かったです。テーマを絞ってお話してみても盛り上がりそう!今日はどうもありがとうございました!