Culture
2020.02.10

レトロなパッケージがたまらん!100年以上愛される明治・大正時代に生まれた化粧品たち

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最新コスメやスキンケアアイテムが並ぶ華やかなコスメコーナー。よく見るとレトロなパッケージの化粧品の存在に気が付きます。そのなかには明治・大正時代から愛され続けている超ロングセラーのコスメがあるのをご存知ですか?

100年以上前に開発された化粧品は、現代の化粧品の様に豊富な美容成分が含まれているわけではありません。しかし変わらないシンプルな成分ゆえに安心して使えたり、たくさんの成分を足さなくても高い効果を持っていたりと現代でも通用する「愛される理由」があるんです。
今回は、明治・大正時代から現代に至るまで実に100年以上愛され続けている化粧品の歴史とその魅力をご紹介します。

女性の社会進出にあわせて化粧品も西欧化!

現代では一般的な化粧水やクレンジングなどのスキンケアアイテムですが、これらの美容法が欧米から日本に入ってきたのは明治時代のことです。

当時の日本女性はまだまだ日本髪を結って着物を着るのが一般的で、欧米式スキンケアも上流階級のご婦人だけが楽しむものでした。

大正時代に入ると徐々に西洋文化が民衆の生活に浸透し、髪型や服装も少しずつ西欧化。女学生の増加や職業婦人の登場など女性の社会進出が進むにつれ、メイクやスキンケアもこれまでより簡易的で手軽であることが求められました。その結果、簡単に手早くケアができる西欧式のスキンケアがヒットしたのです。

また個人の自由を尊重し重んじる文化が生まれたことで、化粧品の種類が増えはじめます。女性は化粧品を和洋服とのバランスや色使いなど自分の肌色や用途に合わせて使い分けるように変化。加えてメーカーが新しいメイク方法を提案したり化粧品の流行を生み出す宣伝方法が定着し、バリエーション豊かな化粧品が発売されました。

明治~大正時代は、社会における女性の立ち位置やライフスタイルが大きく変化した時代。それまで用いられなかった「西欧医学」に基づいて開発された美容効果や時代を反映した斬新なマーケティングなどで大正女性からの人気を集めた化粧品のなかには現代的なメイクやスキンケアの礎を築いたアイテムが数多く存在します。

妻への愛から生まれた化粧水「明色美顔水」

発売当初の「美顔水」。ローマ字とひらがなで「にきびとり」と表記されています。(画像提供:株式会社明色化粧品)

販売年:1885年(明治18年)
メーカー:株式会社明色化粧品(桃谷順天館)

明色美顔水は、創業者の妻への愛から生まれた化粧水です。
現在の明色化粧品の母体となった「桃谷順天館」の創業者は、ニキビで悩む妻のために「にきびとり美顔水」を開発。にきびとり美顔水を使った奥様はニキビが改善し、美しくなった肌を見た人から口コミで評判が広まりヒット商品となりました。

人気はとどまるところを知らず後の昭和天皇に献上されるまでになり、「明色美顔水」と名前を変えた現在でもニキビに悩む女性から強く支持されています。
効果の秘密は有効成分「ホモスルファミン」。アクネ菌の繁殖を防ぎ殺菌する、ニキビには効果が絶大の強力な成分です。
強力ゆえに現在では医薬品の成分であり、医薬部外品である化粧水には認められ難い成分ですが、長い歴史を持つ明色美顔水では現在でも使うことが許可されています。

こちらは現在発売されているボトル。青い小瓶はこれぞザ・レトロモダン。鏡台に並べて置くだけで懐かしい雰囲気を感じさせてくれる化粧品です。(画像提供:株式会社明色化粧品)

敏感肌さんでも大丈夫! 日本古来の「クラブ洗粉」

発売当初のパッケージを生かした可愛らしいデザイン

販売年:1906年(明治39年)
メーカー:株式会社クラブコスメチックス(中山太陽堂)

日本の化粧品業界で「明治の四大覇者」と呼ばれた中山太陽堂。その中山太陽堂が製造業に転身してから初めて作った商品で、現在でも(株)クラブコスメチックスの代表作として愛され続けています。

「クラブ洗粉(あらいこ)」は洗顔料と言えば外国産石鹸がトレンドだった明治時代に、あえて日本古来の「洗粉」として発売されました。石鹸に負けない洗浄力や香り、優れた使用感がありながら、石鹸よりも肌に優しく肌荒れしないことからヒット商品に。民衆の間では「湯屋の前を通るとクラブ洗粉の香りがする」と言われたほどです。

「洗粉(あらいこ)」とは汚れを落とすための洗剤の一種。石鹸が庶民に広まる前は洗粉で髪や身体を洗っていました。

現代人にはなじみのない「洗粉」ですが、原料は小麦粉やジャガイモ由来のでんぷん、牛乳から作られたスキムミルクなど発売当時から変わらない自然の力を生かしたのものばかり。敏感肌の人や子どもでも使いやすいことから二世代・三世代で愛用している家庭もあるそうです。

室町時代から化粧水として使われていた⁉︎ 「ヘチマコロン」

発売当初の「ヘチマコロン」(画像提供:株式会社ヘチマコロン)

販売年:1915年(大正4年)
メーカー:株式会社ヘチマコロン(天野源七商店)

まだ無声映画が主流であった大正時代、珍しい発声映画に広告を打ち出した化粧品がありました。それが「ヘチマコロン」です。
古くは室町時代から化粧水として使われてきたヘチマ水は、大正時代に製造創始者である安永秀雄氏によって「ヘチマコロン」と名付けられた後、数多の革命的なマーケティングによって大ヒットします。
今では当たり前となった車体広告やレコード会社とのタイアップといった宣伝方法も当時は斬新で風変わりな手法。それが爆発的なヒットにつながるのですから、安永秀雄氏の発想力には驚きを隠せません。

その後、天野源七商店は昭和27年に太平洋戦争のあおりを受け解散してしまいますが、翌年には株式会社ヘチマコロンとして再興。昭和50年頃に発生した自然派化粧品ブームで再び人気に火が付くと、全国へと広まり現代に続くロングセラーアイテムとなりました。

現在のヘチマコロン商品画像。丸っこいフォントの商品名に見覚えのある人も多いのでは?(画像提供:株式会社ヘチマコロン)

ヘチマコロンの魅力はなんといってもそのシンプルさ。成分のほとんどは精製水とヘチマ水ですが、含まれる美容成分は「ビタミンC」や抗酸化作用のある「サポニン」など現代コスメに劣りません。天然ヘチマの持つ自然の美容成分をダイレクトに肌に届けてくれます。

時代と共に変化する小瓶に注目!「オイデルミン」


販売年:1897年(明治30年)
メーカー:株式会社資生堂

この赤い液体が目を引く拭き取り化粧水が生まれたのは明治30年、東京・銀座でのことです。明治5年に日本初の洋風調剤薬局として生まれた資生堂の創業者、福原有信氏が化粧品業界へ進出した際に初めて生み出した化粧品の中にこの「オイデルミン」がありました。
色鮮やかな化粧水は「資生堂の赤い水」の愛称で親しまれ、当時にしては高価な1本25銭での販売でしたが上質な肌を作るための高等化粧品として人気を得ました。

明治30年と言うと1か月の新聞購読料が30銭前後だった時代。25銭は現代の貨幣価値に換算すると4,000円くらいでしょうか。

商品名は「美しい肌」を意味するギリシャ語の造語。「EUDERMINE」と英字で商品名が記されたハイカラなパッケージは当時の日本では画期的でした。
時代に合わせて変化してきた小瓶はどれも可愛らしく、現在でもオークションでは復刻版が取引されるほど。海外でも人気の高いパッケージです。

なお、現在では明治時代から続くふき取り用化粧水の「オイデルミン(N)」と1997年に新しく生まれた高機能化粧液「オイデルミン(G)」の2種類が存在します。従来のオイデルミン(N)とは異なる商品なので、購入する際はご注意ください。

レトロなパッケージや広告は見ているだけでも楽しい♪


社会や民衆の変化と同じように化粧品も変化した明治~大正時代。当時人気の化粧品のパッケージも日本風のデザインからハイカラな小瓶もあり、眺めているだけでモダンガール気分が味わえます。化粧品選びに悩んだ際には、可愛いレトロコスメを試してみてはいかがでしょうか。

書いた人

1992年生まれ、横浜市在住。可愛いものと美味しいものに目が無いフリーライター。「無いものは作る」をモットーにノンジャンルでモノづくりを楽しむ人生を送っています。マイブームは発酵食品と昆虫食。現在は初めての育児に奮闘中。