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2020.01.30

大正時代の美人テニスプレイヤー!彼女のお父さんのヒゲがヤバかった……

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写真の美しい女性は朝吹磯子(あさぶきいそこ:1889-1985)。「ん、突然誰や?」と思うかたも多いはず。実は彼女、実業家・朝吹常吉の妻で、大正時代に活躍したテニスプレイヤーなのです!

夫は日本テニス協会の初代会長

磯子が生涯を共にした夫・朝吹常吉は、三越社長、帝国生命保険社長を務めた実業家です。ロンドン留学中にテニスに出合い、日本人で初めて国際大会にも出場。その後、日本庭球会(現・日本テニス協会)を創立し、初代会長に就きました。

磯子がはじめてテニスラケットを握ったのは大正12(1923)年。関東大震災が起こったため、軽井沢の別荘に滞在していました。そこで、夫・常吉が招いていた当時世界的プレイヤーだった原田武一にテニスのレッスンを受けます。

このときから、磯子はテニスに燃えます。その後、ふたりの子どもを連れてアメリカにテニス修行に向かいました。外国のコーチの教えを受けた、はじめての日本人女性です。

34歳で日本女子選手権ベスト4に!

プロプレイヤーの教えを受けた磯子はどんどんと腕を上げ、テニスの名手と呼ばれるほどでした。

大正13(1924)年に開催された第1回全日本女子庭球選手権大会のシングルスでは、ベスト4に入賞しています。このとき、磯子は34歳。息子4人と娘1人、5人の母親でもありました。大会出場者19人のうち、結婚しているのは磯子ひとりだったといわれています。さらに2年後の大正15(1926)年には、全関東庭球選手権大会に出場。女子シングルス、同ダブルスで優勝を果たしています。5人の子どもの子育てをしながら、テニス界の最前線で活躍する磯子のパワフルっぷりに感動…!

お、お父さんのヒゲが……

そんなエネルギッシュな磯子が気になり、彼女の人生を調べてみると、お父様が陸軍の軍人であったことがわかりました。

が………

ん………?

ヒゲが………!!!

ヒゲがすごくて、情報があまり頭に入ってきませんが…。磯子のお父様である長岡外史(ながおかがいし)は、 さまざまな功績を残し陸軍中将まで上り詰めた、大日本帝国陸軍を代表する経歴の持ち主です。さらに、臨時軍用「気球」を研究していた日本飛行協会の初代会長。日本飛行協会会長にふさわしい、プロペラのようなおヒゲですね。写真撮影の際には、垂れ下がったヒゲをねじねじして整えていたという話も。

そんな長岡外史、実は「日本のスキーの父」でもあるのです。ヨーロッパを訪れた際にスキーに出合った外史は、「これは雪深い国の軍の移動にピッタリ〜」と考えていたんだそう。視察で日本にやってきていたオーストリア=ハンガリー帝国の少佐にスキーの指導を仰ぎました。これが日本スキーの発祥といわれています。

朝吹磯子と長岡外史、親子二代で日本のスポーツ史に新しい風を吹き込んだのです。