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Culture
2020.02.07

河上彦斎とは?『るろうに剣心』主人公モデルとなった幕末の四大人斬り、愛刀や流儀、性格など紹介

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幕末の京都。坂本龍馬や西郷隆盛と同じ動乱の時代に暗躍した河上彦斎(かわかみげんさい)という人斬りをご存知でしょうか。実はこの人物、漫画『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のモデルにもなった攘夷派の志士。どんな人生を歩んだのか? 剣や流派は? 知られざる素顔を紐解いてみましょう。

京都を震撼させた四大人斬り

幕末期の京都は尊王攘夷運動の中心地で、各地よりなだれ込んだ各地の志士たちによる殺人事件が頻発していました。幕府側の有力者を斬りつける志士はいつしか人斬りと呼ばれるようになり、そのなかでもひときわ腕の立つ田中新兵衛、河上彦斎、岡田以蔵、中村半次郎の4人は『幕末の四大人斬り』として世間から恐れられていました。
岡田以蔵は一時期、坂本龍馬と行動をともにし勝海舟の護衛なども務めていました。そのため現在でも、龍馬をテーマにした小説やドラマに登場機会があり「聞いたことがある」という方も多いかもしれません。

人斬りの間でも異彩を放っていた河上彦斎

彦斎は妻子に優しく、普段は礼儀正しい温和な性格だったと言われています。また下級武士出身で無学な人斬りが多い中で、彦斎は漢文を綴り、和歌を詠むなどひと通りの教養を身につけていたと伝わっています。しかし熊本出身らしい「肥後もっこす」的な頑固者でもあり、胸の内に灯した攘夷の炎は終生消えることがありませんでした。そのため攘夷の妨げとなる有力者や反対思想を持つ人物に対して容赦がなく、仲間たちと酒を飲んでいた際も、突然中座したかと思うとそれまで話題に上っていた幕府の役人の首を切って戻ってきたという身震いするような逸話も伝えられています。

河上彦斎が斬った佐久間象山という人物

身長150センチほどと小柄で色白だった河上彦斎はその見た目とは裏腹に平気で人を斬る残忍性も持ち合わせており、同じ思想を持つ志士たちのあいだでも恐れられる存在でした。そんな彦斎が斬った人物として有名なのが佐久間象山(さくましょうざん)という人物です。

国立国会図書館(https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/91.html)

象山は諸外国に精通した高名な学者で、彼の開いた塾には勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬など後の日本を動かす若者が多数入門。しかし自らを「国家の財産」とするほどの自信家で気難しい性格だったことから、敵が多かったのも事実でした。
あるとき志士や人斬りたちの潜伏拠点となっている京都を馬にまたがり闊歩していたところを「西洋かぶれ」という理由だけで白昼堂々彦斎に暗殺されてしまいます。このとき彦斎は、象山の素性をまったく知りませんでした。もともと象山は開国派の学者で、諸外国に対抗するための知恵を志士たちに授けていた人物。のちに自らと同じ思想を抱いていたことを知った彦斎は愕然としそれ以降、暗殺から足を洗ったといいます。

河上彦斎の愛刀

漫画『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心が振るうのは刀の峰のほうに刃がついた『逆刃刀』です。逆刃刀自体は実在する刀ですが、刃が反対側についているため普通に使っても打撃しか与えられません。剣心が逆刃刀を使っていたのは、人斬りだった頃の悔恨の念から自分に課した責のためでした。

剣心のモデルとなった河上彦斎も佐久間象山の暗殺以降、人斬りから一線を退きます。しかし逆刃刀を帯びていたという記録は残されていません。彦斎の愛刀は『肥後国同田貫宗廣』(ひごこくどうだぬきむねひろ)という刀だったようです。肥後藩には同田貫という刀工集団があり、彦斎も肥後藩出身であったことから間違いないとされています。同田貫は反り(刀の曲がり具合)が深い特徴があり、片手抜刀を得意としていた彦斎には最適の一振りだったと考えられています。

河上彦斎の流派

坂本龍馬は『北辰一刀流』、新撰組の近藤勇・土方歳三・沖田総司らは『天然理心流』など、剣術には流派があります。河上彦斎は故郷の肥後藩で盛んだった伯耆流の居合いを修行したという説もありますが、剣術は我流だったと伝えられています。右脚を前に出し、後ろ足の左脚の膝が地面につくほどの低い姿勢からの逆袈裟斬りを得意としていたといいます。逆袈裟斬りとは、刀を下から上に斬り上げるスタイルです。彦斎は小柄な体躯と愛刀の特徴を活かし、短距離走のクラウチングスタートのような姿勢から刀を抜くと同時に相手を斬ったといわれています。

失脚と死

人斬りから一線を退いた河上彦斎は、長州藩とともに禁門の変や第二次長州征伐に参戦後、故郷の肥後藩に戻ります。しかし当時の肥後藩は幕府側の勢力が実権を握っていたこともあり、攘夷派の彦斎は投獄。大政奉還や王政復古など時代の転換期を見ることなく獄舎で過ごすことになります。
やがて政権が朝廷に戻され江戸幕府が幕を下ろすと、彦斎は解放されます。しかし彦斎は時代が変わってからも攘夷思想を燻らせていました。ここでいう『攘夷』は諸外国を武力によって撃退する排除思想のことで、天皇を政治の中心に据えた尊王攘夷とは方向性が違うものです。そのため懇意にしていた大久保利通からは警戒され、一時期護衛を務めていた公家・三条実美に至っては「彦斎が生きているうちは枕を高くして寝られない」とまで言われてしまいます。積極的に開国政策を打ち出す新政府にとって厄介者となった彦斎はやがて捕縛。これまでの暗殺疑惑をかけられ江戸に送られたのち斬首刑(享年38)となってしまうのでした。

変わりゆく時代の中で自らを貫いた河上彦斎

黒船来航から続いた動乱は明治維新によっていったん幕を下ろしましたが、それですべてが終わったわけではありませんでした。河上彦斎のように新時代から取り残され、志半ばで散っていった志士が他にも数え切れないほどいたはずです。今後研究が進み新しい資料が見つかれば、人斬りとして生き、人斬りとして散った彦斎の素顔もより明らかになるかもしれませんね。

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書籍

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書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。