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2020.03.25

美貌の女城主・おつやの方。織田信長の叔母が残酷な処刑で最期を迎えた理由

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女城主といえば、大河ドラマでも取り上げられた井伊直虎が有名ですが、他にも女城主として活躍した女性がいました。その名も「おつやの方」。織田信秀の妹、つまり織田信長の叔母にあたります。おつやの方は美貌の女性としても有名でした。

そんな女城主の最期は、身内である信長によって逆さ磔で処刑されたと伝わっています。壮絶なおつやの方の人生をご紹介しましょう。

女城主となったいきさつ

織田信定の娘おつやの方は、岩村城主・遠山景任(とおやま かげとう)に嫁ぎました。しかし、2人に子がないまま元亀3(1572)年8月に遠山景任は病死。そこへ織田信長が自身の五男である御坊丸を養子として送り込み、武田方であった岩村城の乗っ取りを計りました。

後の織田勝長となる御坊丸は、養子として迎えられた当時6才前後と推測されています。幼い御坊丸の代わりとして、義母であるおつやの方が事実上の城主として君臨することになったのです。

岩村城はどんな城だった?

おつやの方が守った岩村城とは、どのような城なのでしょうか。岩村城は現在の岐阜県恵那市に位置する、標高721m・比高153mの山城です。その高さから、高取城(奈良県高市郡高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられています。

岐阜県にある岩村城跡

岩村城には霧がよく発生したことから「霧ヶ城」という別名も。霧が相手を惑わし、城を守ったそうです。

城を攻め落とした相手と結婚

女城主おつやの方は、大きな危機に直面します。元亀3(1572)年10月、武田方の秋山虎繁(あきやま とらしげ)によって岩村城が包囲されてしまうのです。夫遠山景任の死からわずか2カ月後のことでした。

このままおつやの方と御坊丸の命が奪われてしまうのかと思いきや、秋山虎繁はおつやの方との結婚を条件に、無血開城を要求しました。この際家督も御坊丸に譲るという条件だったため、おつやの方は秋山虎繁と結婚します。

しかし、結局御坊丸は甲斐に人質として送られてしまい、このことが後におつやの方を残酷な最期へと導くのです。

逆さ磔による残酷な処刑

自身の子を武田方に人質にとられた信長は激怒し兵を送ります。激戦の末、織田軍勢が岩村城を包囲。秋山虎繁は兵士や家族の命を救うことを条件に、城を織田軍勢に明け渡しました。

ところが信長はそれを守らず、秋山虎繁とともに、おつやの方も逆さ磔で処刑したと伝わっています。逆さ磔とは、文字通り頭を下にして磔にする処刑方法のこと。磔の中でも最も残酷な方法と言われており、逆さ磔にされた者は三日三晩苦しみ抜いた末、体中から血を吹き、目玉まで飛び出した見るに堪えない姿で絶命するそうです。

このように伝わっているものの、おつやの方の最期は謎が多く、信長によって斬られたという説も残っています。

おつやの方は、織田や武田の策略に振り回されながらも、御坊丸や城兵を守ろうと立ち回りました。しかし最期は身内によって命を奪われるという悲しい運命を辿ります。おつやの方は信長に似て気が強かったとも言われており、信長に対する強い恨み言を残して最期を迎えたのだとか。おつやの方が亡くなった数年後に信長が本能寺の変で命を落としたのは、何かの因果が働いているのかもしれません。