Culture
2020.03.30

彬子女王殿下が今、届けたい思い。演劇や音楽の力、舞台に込められたイノリノカタチ

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雑誌『和樂』で「イノリノカタチ」を連載中の彬子女王殿下が、和樂webに今、届けたい思いをご寄稿くださいました。新型コロナウィルスによる影響で、多くの舞台が中止、延期されている昨今。演劇や音楽がもつ力、それに関わる方々が舞台に込めるイノリノカタチをお伝えいただきます。

舞台からの祈り

文・彬子女王

いつのころからか、舞台に立つことを生業とする友人が多くなっていることに気付いた。音楽の人も、舞踊の人も、演劇の人も。伝統文化の人も、ポップカルチャーの人も。彼らはいつも私にいろいろなことを教えてくれる。どれだけの人が一つの舞台を作り上げるのにかかわっているのか、稽古の大変さ、役にかける思いなどを聞いていると、刺激になることばかりで、新しい道が開けるような気持ちがすることが多い。

でも今、新型コロナウィルスの感染が広がり、先行きが見えない中で、彼らから聞こえてくるのは悲痛な叫びばかりだ。「会社の赤字が今これくらい」「このままだと来月にも事務所がつぶれてしまう」「日雇いの裏方さんたちはもう食べていけない」「中止が決定して、全身に蕁麻疹が出た」毎日のように耳に入ってくるそんな話に、心がどんどん重くなり、押しつぶされそうになる。

私にとって、舞台を見に行くことは友人付き合いの延長線上にあるものである。友人が出ているから見に行くのであって、舞台鑑賞が趣味なのではない。このご時世で、大人数が集まる舞台が中止になるのは致し方ないことである。中止の決断を上の方たちが身を切るような思いでされているであろうことも理解できる。でも、楽しみにしていた舞台が見られなくなったストレス以上に、彼らが命を削るようにして、たくさんの人の思いを載せて作り上げている舞台がなくなってしまうことの苦しみが直接伝わってくることがつらいのである。

若手歌舞伎役者の友人がいる。一回りほど年は違うけれど、好奇心旺盛で、勉強熱心な彼は、「今度こんな会があるよ」「工場見学に行くけど、来る?」と声をかけると、時間が許す限り現れる。私が紹介した人たちにいつもキラキラした目でいろいろな話を聞き、たくさんのことを吸収して、「楽しかった!」と満ち足りた顔をして帰っていく。与えられた機会を逃さず、貪欲に学ぼうとする姿勢は、舞台人としての彼の人生に大きな力を与えるのだろうなと思いながら、いつもそのまぶしい横顔を眺めている。

その彼が出演する現代劇の舞台を見に行くことになっていた。公演中止の期間がじわりじわりと延長されていく中、私が見に行く予定だった日まで中止が決まった。やるせない気持ちになりつつも、「せっかくだからご飯だけでも食べに行こう」と誘い、食事に出かけた。その日の夜発表される政府の発表次第で、翌日以降の公演決行か中止か決まるということで、机の上に置いた携帯電話を気にしつつ、おいしい料理をお腹いっぱい食べた。でも、11時を過ぎても電話は鳴らなかった。この時間まで連絡がないということは、きっと明日はないのだろうとなんとなく心で思いつつも、誰も言葉には出せなかった。そして、ついに電話が鳴った。店の外に出ていき、しばらくたって帰ってきた彼は、絞り出すような声で「中止です」と私たちに告げた。「そっか…」とどうにか口から出した後は、何も言えなかった。どんな言葉をかけてあげたらよいのか全く分からなかった。目に涙をためて、こらえている彼の横顔を見つめながら、自分の無力さを呪った。

そんな私の視線に気づいてなのか、涙を振り払うように笑顔になった彼は、明るい話をあれこれとしてくれた。真正面にいるのだから、彼の気持ちは浴びるように伝わってくる。痛々しくて、涙が出た。中止になって一番つらいはずの年下の友人にこんなに気を使わせて、本当に私は人間ができていないと心の底から落ち込んだ。

そのとき、彼がこんなことを言った。「こんなことになるかもしれないということで、DVD用に映像を撮ったんです。でも、お客さんがいないとなんだか変な感じで」と。そこで私は以前裏千家の大宗匠からうかがったある話をした。「型(カタ)をひたすらに練習して、そこに血(チ)を入れることで、形(カタチ)になる。だから、役者さんたちが型を作って、そこにお客さんが血を入れて、舞台っていう形になるのかもしれないね」と。

日本の芸能というのは、神様に見せるということから始まっている。天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸にお隠れになったとき、天鈿女命(アメノウズメ)が神憑りをして舞い、天照大御神を岩戸から引き出すことに成功したという逸話が日本最初の芸能。神様に楽しんでいただきたいというイノリノカタチそのものである。ここから神楽が生まれ、猿楽や田楽、能、狂言、歌舞伎など、様々な芸能が派生していった。神様に見せるものを人が見るようになるという変化はあるけれど、芸能は見る相手がいなければ成立しない。スポーツは無観客で成立しても、無観客の芸能はあり得ないのだということを今回改めて実感した。

音楽をやっている友人は、「舞台で歌っているとき何を考えていますか?」という質問に、「祈っています」といつも答える。神様の先に人がいる。見ている人は、舞台の上に立つ人の祈りの光を浴び、イノリノカタチの一部となっていくのだろう。

歌舞伎役者の友人の舞台は幻のものになってしまった。でも、次に彼が舞台に立つときは、お客さんを前にして、彼の祈りがカタチになる瞬間を体感するはずだ。その体験は、必ず彼の舞台人生の輝きとなると信じている。この声を皆に。

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。