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Culture
2020.06.12

恋文マニュアル発見?夏目漱石や芥川龍之介ら偉人から学ぶラブレターの極意!

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恋しく思う気持ちを書いた恋文。直接ではうまく伝えられないことも、文章であれば自分の気持ちを素直に表現できるもの。ですが、うまく書こうと思えば思うほど、何を書いたらいいのかわからなくなる……そんなことってありますよね。

しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道 
土方歳三

新撰組の土方歳三はこのような句を残していますが、恋は迷うことをわかってても迷ってしまうもの!(ですよね?)今回は誰もが一度は迷ってしまう恋文にまつわる歴史をご紹介します!

意外と代筆も多かった?

恋文は、古くは懸想文(けそうぶみ)といわれ、相手への恋心を和歌に詠んで紙にしたため、人づてに渡されていました。その際和歌に関する草木も添えられていたそうです。ここから派生して、京の都では梅の小枝に懸想文を結んで売り歩く「懸想文売り」が現れるようになりました。これは文字を書くことができなかった庶民の代筆を、貧しい公家が素性を知られないよう顔を隠して引き受けたものだと伝えられています。

赤い着物を身に纏い、顔半分を白い布で覆い、頭には烏帽子を被った懸想文売り。「三十六佳撰 懸想文 元禄頃婦人」 年方 出典:国立国会図書館

しかし厳密に言うと、この懸想文は恋文に似せたものでした。人に知られずに鏡台や箪笥の引き出しに入れておくと、顔貌が美しくなり、着物が増え、良縁に恵まれるなどと信じられている縁起物だったのです。この噂がたちまち広まったため、女性たちはよく買い求めたのだとか。

識字率の低かった時代では、このような懸想文売り以外にも恋文を代筆する文化があったようです。そんな中、代筆された恋文によって、人妻を口説こうとする下世話な例もありました。例えば、足利尊氏の右腕で無類の女好き、高師直(こうのもろなお)は、美人と評判だった塩冶高貞(えんやたかさだ)の妻へ恋文を送りました。その代筆を引き受けたのは、あの『徒然草』で有名な吉田兼好。師直は、紅葉を重ねた薄紙に、手に取ると匂いが移るほどの香を焚いて、兼好に恋文を書かせました。これだけ聞くとなんだかものすごく気合いの入った恋文ですよね……。このときの兼好の気持ちが気になります。が、兼好はむしろ師直の不倫にノリノリだったのかも? と、次の記事を読んで思ってしまいした。

不倫推奨?結婚批判?カリスマコラムニスト、吉田兼好(65)に和樂砲炸裂!

ちなみに恋文を送った結果はと言うと、なんと、受け取った側の高貞の妻は文を開きもせず庭にポイッと捨ててしまいます。あんなに拘ったのに全くなびかなかったんですね。

江戸時代に恋文のマニュアルがあった!

江戸時代後期には、『女用文忍草(おんなようぶんしのぶぐさ)』という恋文の手引書がありました。作者は不明ですが、その内容の豊富さがすごいのです。「初て送る恋の文」「文のみにて未逢ざるに送る文」「妾に送る文の事」「後家に送る文の事」など、場面や相手別に文例や表現方法が記されています。さらには、相性占いも。ここで面白いのが、「男性が初めて送った恋文に、女性がすぐに返事をするのは軽はずみでよくない」といった恋愛に関する心得のようなものまで記されているのです。現代でいうと雑誌の最終ページの方にある恋愛相談やコラムなどを見る感覚でしょうか。そう考えるとちょっと親近感が湧いてきます。

また 『遊女案文(ゆうじょあんもん)』という遊女の恋文マニュアルもあったようです。目録には「二度の客へ遣る文」「馴染の客へ遣る文」「しばしこぬ客へ遣る文」などが並び、客の来訪を懇願するような表現が見られます。

長松軒 『遊女案文』出典:国立国会図書館

偉人たちの恋文をご紹介!

では、歴史に名を残した偉人たちは一体どんな恋文を書いていたのでしょうか。時代を創った彼らの隠れた素顔が見えてくるかもしれません。

ツンデレなところがたまらない!夏目漱石

まずは「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話のある夏目漱石。彼はロンドン留学中に妻・夏目鏡子さんへこんな手紙を送っています。

御前の手紙は二本来た許(ばか)りだ。其後の消息は分からない。多分無事だろうと思って居る。御前でも子供でも死んだら電報位は来るだろうと思って居る。夫(そ)れだから便りのないのは左程心配にはならない。然し甚だ淋い。

おれの様な不人情なものでも頻りにお前が恋しい。これだけは奇特といって褒めてもらわなければならぬ。

つまり、「手紙が届かないということは無事であるだろうから心配はしていないが、甚だ淋しい」。「不人情な私でも、『お前が恋しい』と言っている。これは良いことだといって褒めてもらわなければいけない」。

神経質で亭主関白、気難しい性格であった漱石。それなのに、こんなにツンデレな恋文を書くなんて第三者から見てもキュンとしてしまいます。

脅しもテクニックのひとつ!?柳原白蓮

「大正三美人」と呼ばれるほどの美貌をもつ柳原白蓮。福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門を夫にもちながら、7つ歳下の男性と駆け落ち。マスコミなども巻き込み、大正時代最大のスキャンダルとして世間を揺るがせました。その駆け落ちの相手、宮崎龍介との手紙のやりとりは年間700通にも及んだそうです。そのうちの1通がこちら。

あなた決して、他の女の唇には手もふれては下さるなよ。女の肉を思っては下さるなよ。あなたはしっかりと、私の魂を抱いていて下さるのよ。きっとよ (中略) こんな怖ろしい女もういや、いやですか。いやならいやと早く仰しゃい。さあ何とです。お返事は?

まるで脅しのような内容に一瞬ゾッとしてしまいましたが、白蓮の龍介に対する愛がいかに激しく熱いものであったかがうかがい知れます。きっと命懸けの駆け落ちだったのでしょう。

どストレートかつ超純粋!芥川龍之介

歴史に残る数多くの作品を世に送った芥川龍之介。『羅生門』を発表した翌年、26歳の彼は恋人であった塚本文さんへこんな手紙を送りました。

僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です。その上、僕自身も、碌(ろく)に金はありません。ですから、生活の程度から云へば、何時までたっても知れたものです。それから、僕は、からだも、あたまもあまり上等に出来上がってゐません(あたまの方は、それでも、まだ少しは自信があります)。うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

芥川龍之介書簡(恋文全文) 一宮館HPより引用

まさに一世一代のプロポーズ。東大の大学院に通い、収入面が不安定かつ将来も不透明であった龍之介。飾り気がなくとても純粋な気持ちで書かれた恋文には強い愛情が感じられます。

これは流石に恥ずかしいかも……?斎藤茂吉

最後にとんでもない(?)恋文をご紹介。書いたのは斎藤茂吉、近代短歌を確立した歌人です。彼にはふさ子さんという不倫相手がいました。彼女がその関係を終わらせ別の男性(M氏)と婚約すると、茂吉は最後のわがままとしてこの1通を送りました。

僕との間ですから、M氏と最初のキスの時と場所をおっしゃってくださいませんか。岡山でなさった時、あるいは松山、あるいは御旅行、又は海浜というように場面もちょっと御書き下さいませんか。

……。これを最初に見たとき思わずポカーンとしてしまいました。そんなの集めて一体どうする気?! クセがすごいんじゃ……という感想です。

「愛」の伝え方は千差万別

現代ではメールやSNSで頻繁にメッセージを送り合うことができますが、携帯電話がなかった時代、手紙1通1通の重みは今と比べてかなりあったように感じます。一風変わった恋文もありましたが、何をどう伝えようと愛の伝え方は千差万別。マニュアルはあっても正解はないですよね。でもまずは、相手に読んでもらえるような関係を築くことが大事な気もします。そもそも師直は読まれなかったし……。

もしもこの記事を読んで恋が叶った!という方がいたらご連絡ください。今後の恋文作成のために参考にさせていただきます!

アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館より

書いた人

1995年、埼玉県出身。地元の特産品がトマトだからと無理矢理「とま子」と名付けられたが、まあまあ気に入っている。和樂編集部でアルバイトしていたところある日編集長に収穫される。MBTI性格診断ではINFP型。検索するとサジェストに生きづらい、社会不適合者と出てくる。睡眠と甘いものが好き。