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Gourmet
2019.11.18

日本が誇る「ラーメン文化」最初に食べたのは水戸黄門? 日本人とラーメンの歴史

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初めてラーメンを食べた日本人は水戸黄門ではなかった?

小麦にレンコンの粉を混ぜた麺

ラーメン(正確には中国の麺料理)を初めて食べた日本人としてよく知られているのが、水戸黄門こと徳川光圀(とくがわみつくに)である。光圀は朱舜水(しゅしゅんすい)という儒学者を招聘(しょうへい)し、学問の師としたが、舜水は中国の食材などを取り寄せて、光圀に麺料理を振る舞った。

それが小麦にレンコンの粉を混ぜた麺に、「五辛(ごしん)」という薬味(ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ネギ、ショウガ)を振りかけて食べる薬膳風の汁麺で、フォトイという中国風のハムから出汁をとっており、日本人が食べたラーメンの最初とされる。江戸時代の寛文5年(1665)頃のことだった。好奇心旺盛な光圀はラーメンだけでなく、餃子、牛乳、チーズ、ワインも好み、知名度からしても初めてラーメンを食べた日本人の称号にふさわしい人物だが、最近、ラーメンはもっと早い時代から食べられていたことがわかったという。


再現された光圀が食べた汁そば(写真提供:新横浜ラーメン博物館)

経帯麺はまさに中華麺

室町時代の僧侶が、中国(当時は明〈みん〉)で食べられている「経帯麺(けいたいめん)」を知り、来客に振る舞ったという記録が見つかったのだ。室町時代の長享2年(1488)のことなので、水戸黄門から170年以上もさかのぼる。経帯麺の麺は、小麦と水、そしてかん水(すい)にあたる成分で練られた平打ち麺で、それはまさに中華麺であった。

ただし経帯麺は、シイタケや昆布などの出汁の「精進汁」をかけて食べるものだったらしい。僧侶が食べるのだから当然ではあるが、動物系の食材は一切使われていない。そうした意味では水戸黄門が食べたものよりも、現在のラーメンからは遠いといえるだろう

再現された経帯麺(写真提供:新横浜ラーメン博物館)

なにより経帯麺も光圀が食べた汁麺も、あくまで僧侶や大名といった一部の人たちが味わっただけで、庶民には無縁のものだった。江戸の人々はそばやうどんをすすっても、ラーメンをすすることはなかったのである。さらに、現在の私たちが好むラーメンという食べ物を、「中国の麺料理が日本の麺料理に生まれ変わったもの」と大ざっぱに定義するならば、経帯麺や光圀が食べた汁麺はラーメンではなく、あくまで中国の麺料理そのものというべきなのかもしれない。では、日本人が好むラーメンはいつ生まれたのだろう。

書いた人

東京都出身。出版社に勤務。歴史雑誌の編集部に18年間在籍し、うち12年間編集長を務めた。編集部を離れるも、いまだ燃え尽きておらず、noteに歴史記事を自主的に30日間連続で投稿していたところ、高木編集長に捕獲される。「歴史を知ることは人間を知ること」だと信じている。ラーメンに目がない。