日本文化の入り口マガジン和樂web
5月18日(水)
焦がちね、物病んじすん(読み:あしがちねぇ むぬやんじすん 意味:焦ると物事がうまく行かない 沖縄のことわざ)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
5月17日(火)

焦がちね、物病んじすん(読み:あしがちねぇ むぬやんじすん 意味:焦ると物事がうまく行かない 沖縄のことわざ)

読み物
Gourmet
2019.11.14

七五三より歴史の古い「千歳飴」。細長い形や袋の意味、起源、作り方など秘密をたっぷり紹介!

この記事を書いた人

「七五三(しちごさん)」に欠かせないものと言えば「千歳飴(ちとせあめ)」ですが、その起源が、実は「七五三」よりも古いことを知っていましたか?
千歳飴は、「七五三」が一般的な行事となった明治時代よりも早く、江戸時代から広まったと言われています。

千歳飴の「千歳」には「長生き」という意味があり、飴の細く長い形と紅白の色は「千歳」を表しています。子どもの長寿と健康を願う縁起物として、神社で祈祷をすると授与品としていただけるところが多くあります。

「七五三」とは?

男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年の11月15日に、子どもの成長を祝って、神社や寺に詣でる「七五三」のお祝いは、日本の伝統行事の一つです。

現在では「七五三」は一つの行事だと捉えられていますが、昔は3歳、5歳、7歳に行う、「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解き(おびとき)」という、それぞれ別の儀式がありました。古くは中世の公家日記などにも見えますが、江戸時代になると庶民の間でも行われるようになり、三つの子どもの儀式を合わせて「七五三」と称されるようになれました。

歌川豊国「七五三祝ひの図」部分(「国芳国貞錦絵」より)  国立国会図書館デジタルコレクション
外出用の帽子を被った母親を促して先を急ぐ5歳の男児。紋付の裃を着し、一本刀を差しています。たくさんの千歳飴を下げ、荷物を背負って後ろに付き従うのは「小僧」と呼ばれる丁稚奉公(でっちぼうこう)の少年でしょうか?

千歳飴の起源

飴の歴史は古く、『日本書紀』にも見え、奈良・平安時代には仏事の供養にも用いられました。
平安時代中期に作られた辞書である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、「米もやしで作る」とありますが、のちには「麦もやし(乾燥麦芽)」を用いるようになりました。
なお、「もやし」とは、「種麹(たねこうじ)」のことで、蒸米などの上にコウジカビを繁殖させたものです。

室町時代には砂糖が輸入されていましたが、大変高価なものでした。
飴が大量に作られるようになったのは江戸時代の初期で、庶民にも広く親しまれるようになりました。千歳飴が誕生したのも江戸時代のことです。

千歳飴は米と麦芽を糖化させてつくる紅白の棒飴で、「せんざい飴」「千年(せんねん)飴」「寿命飴」とも言い、新生児や「七五三」の子どもの宮参りに祝い菓子として商われました。神社によっては供饌(ぐせん)菓子として、護符がわりにいただけるところもありました。
当時は大変貴重であった砂糖をふんだんに使った飴は子ども達にとても喜ばれただけでなく、七五三詣の土産やお祝いのお返しとして最適なこともあり、「七五三」の定番品となったとも言われています。

そんな千歳飴の発祥については、いくつかの説があります。

大坂の飴売りを発祥とする説

一つは、元和元(1615)年、大坂の平野甚左衛門が、飴の販路を拡大するために江戸に出て、浅草寺の境内で飴を売りはじめたのが始まりという説です。
この時、千歳飴は「せんざいあめ」と読まれており、その飴を食べれば千歳まで生きられるとして人気を集めました。長寿の飴として有名になったこの飴は、のちに現在と同じ「ちとせあめ」と呼ばれるようになりました。

浅草の七兵衛を発祥とする説

元禄・宝永年間(1704〜1711年)に、江戸・浅草の七兵衛(しちびょうえ)という飴売りが、紅白の飴を「千年飴」として売り出したのを始まりとする説もあります。
千年という言葉が長寿をイメージさせる縁起の良いものであったため、「長生きできる」「健康でいられる」というご利益があると話題になりました

千歳飴の始まりについては、文政8(1825)年刊の柳亭種彦(りゅうてい たねひこ)の『還魂紙料(かんこうしりょう)』に、「千年飴(せんねんあめ)」として次のように書かれています。

元禄宝永の比(ころ)、江戸浅草に七兵衛といふ飴売あり。その飴の名を千年飴、また寿命糖(じゅみょうとう)ともいふ。今俗(いまぞく)に長袋(ながぶくろ)といふ飴に千歳飴(せんざいあめ)と書(かく)こと、彼(かの)七兵衛に起(おこ)れり。」

柳亭種彦『還魂紙料』  国立国会図書館デジタルコレクション
中村吉兵衛(なかむら きちびょうえ)千年飴七兵衛に打扮肖像(やつししにがほえ)

千歳飴は「千年も寿命を保つ飴」という意味で、現在は「ちとせあめ」と呼んでいますが、当時は、「せんねんあめ」「せんざいあめ」と呼ばれていました。

神田明神を発祥とする説

千歳飴は、神田明神の社頭で売られていた「祝い飴」が発祥だとも言われています。
神田明神では、今も昔と変わらず、「七五三」のお参りにきた子供たちに千歳飴が授与されています。

歌川広重(2代)『江戸名勝図会 神田明神』  国立国会図書館デジタルコレクション

千歳飴の形にも意味がある!

千歳飴は、精製した白砂糖を練り固めて作った太白飴(たいはくあめ)を細長くし、紅白それぞれの色で染めてあります。
飴は伸ばすとどこまでも伸びていくことから、長寿を連想させる縁起物なのです。この長い飴を食べることで「細く長く」、そして「粘り強く」いつまでも元気で健やかに成長しますようにと祈願する意味があるのです。
形は、直径1.5cm、長さ1m以内と決まっています。

千歳飴は同じ大きさの紅白の飴が2本セットで袋に入れられます。紅白の2色は、縁起の良いカラーとして知られており、見た目にもおめでたい印象を与えます。

細長い形で1本丸ごとは食べにくい千歳飴ですが、「長さに意味があるので食べる時に折ってはいけない」という説もあります。しかし、明確に決まっているわけではなく、むしろ縁起物なので食べやすく切って近所におすそ分けすることも多かったようです。
また、「お福分け」として「七五三」の内祝に千歳飴を贈る地方もあります。

千歳飴の作り方

千歳飴は、砂糖と水飴を約140℃になるまで煮詰めた後、取り出して、平らにしてから冷まします。この時点で飴はまだ透明です。
半分固まったところで、空気を混ぜるため、棒に引っ掛けて引き伸ばしながら「製白機」という機械に入れて、何層にも折り返します。この工程で、飴の中に空気の細い隙間ができ、透明だった飴が乱反射によって白く見えるようになるとともに、独特の食感が生まれるのです。
白くなった飴は細長く伸ばされ、適度な長さで叩き切られます。  

格式ある菓子店では、でき上がった千歳飴を神社に納め、お祓いを受けてから店頭に並べるところもあります。

千歳飴の袋にも注目!

長いもので1mにもなる千歳飴の袋には、キャラクターなど子どもが好むデザインが描かれていることもありますが、基本的には、「鶴」「亀」「松竹梅」「高砂の尉(じょう)と姥(うば)」といった縁起物の絵柄が、色鮮やかに、そして華やかに描かれています。

縁起のよい図柄が描かれた袋に入れられた千歳飴には、「子どもが元気によく成長するように、そして長生きするように」という親の願いが込められているのです。

鶴は、不老長寿を象徴する吉祥の鳥で、「鶴は千年」と言われ、長寿の象徴です。
また、共鳴した鳴き声が遠くまで届くことから、天に届く、転じて「天上界に通じる鳥」といわれていました。
室町時代、長寿を願って千羽鶴を折る習慣が始まり、江戸時代には、病気の回復祈願やその他の願いを込めて折られるようになったと考えられています。

亀は、仙人が住む不老長寿の地・蓬莱山(ほうらいさん)の使いです。「亀は万年」と言われ、知恵と長寿を象徴しています。
甲羅が硬いことから、インドでは世界を支える不動の象徴とされています。
 

松竹梅

由来は「歳寒三友(さいかんさんゆう)」という松、竹、梅を指す中国の四字熟語です。
冬の間も、松と竹は緑を保ち、梅は花が開くことから「寒い冬という季節に友とすべき3つのもの」という意味で、冬の間の画題とされました。

 
この3つの画題が日本に伝わったのは平安時代です。その頃から、常緑樹の松は「節操・長寿・不老不死」、多くの根を張り次々と新芽を出す竹は「子孫繁栄」、春になると真っ先に花を咲かす梅は「繁栄・長寿」の象徴と考えられるようになりました。

高砂の尉と姥

兵庫県・高砂神社の境内には、昔、一本の根から左右に別れた雌雄の幹が生えている松がありました。この松の前に、「尉と姥」に姿を変えたイザナギ神とイザナミ神が姿を現し、夫婦の在り方と説きました。
以来、その松は「相生の松(あいおいのまつ)」と呼ばれ、イザナギ神とイザナミ神は縁結びと夫婦和合の象徴となりました。

尉与姥(『あづまにしきゑ』より)  国立国会図書館デジタルコレクション

子どもの成長を願う親の気持ちは、昔も今も変わらない

昔は、子どもの生存率が低かったため、「七歳までは神の内」といい、7歳を過ぎてようやく社会人への第一歩を踏み出せると考えられてきました。そんな時代に、「七五三」は「子どもの厄除け」としての意味も持ち、「千歳」の言葉には「千年まで健康で長生きしますように」という想いも込められているのです。

飴の中で、最も長い歴史をもつと言われる千歳飴。時代は目まぐるしく変化していますが、千歳飴は、昔のままの形で、現在も「七五三」の子どもたちが手にしています。
千歳飴には、時を越えて、子どもの成長を願う親の思いが受け継がれているのです。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。