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天才的浮世絵師にして、世界で最も有名な日本人、葛飾北斎

葛飾北斎をご存じですか?

 日本を代表する浮世絵師であると同時に、世界で最もその名を知られた日本人がだれあろう、葛飾北斎(かつしかほくさい)です。
神奈川沖浪裏l201112270400葛飾北斎で最も有名な作品がこれ。『冨嶽三十六景』より「神奈川沖浪裏」

 北斎が生まれたのは江戸時代半ばの宝暦10(1760)年。今大人気の伊藤若冲より44歳ほど年下にあたり、若冲が85歳で没したのに対して北斎は90歳に没し、最後の最後まで絵筆をとり続けていたと伝わります。
 浮世絵師としては富士山を題材にした風景画シリーズ『冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』や、弟子たちのためのお手本集として描かれた『北斎漫画』などの版画の傑作の数々を残した一方で、肉筆画にも驚くべき才能を発揮しました。
凱風快晴la201112270400葛飾北斎『冨嶽三十六景』より、〝赤冨士〟の別名で有名な「凱風快晴」

 北斎亡き後、その名はヨーロッパに広まります。その斬新な作品はゴッホやモネ、ドガといった印象派の画家を驚かせ、19世紀に欧米を席巻した〝ジャポニスム〟に与えた影響は多大なものでした。
 そのようなことから、アメリカの『LIFE』誌が「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」という特集を組んだ際に日本人で選出されたのは唯一北斎だけ。
 日本よりもむしろ世界で高い評価を受けている浮世絵師・葛飾北斎。絵を描くことが何よりも大好きで、画風や画号を頻繁に変え、引っ越しをくり返した葛飾北斎。
 その生涯は数多くの謎に包まれているのですが、中でも驚くべきエピソードが、80歳を超えた老境にありながら信州・小布施(おぶせ)を4回にわたって訪れ、傑作を残していることです。
 北斎はなぜ老骨にむち打ってまで山深い信州へ通ったのか……。天才絵師の晩年の足跡を求めて、小布施を訪れてみました。

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葛飾北斎90年の絵師人生の最後を飾った傑作天井画を訪ね、小布施の「岩松院」へ

 北斎が小布施を訪れた年度については諸説あるのですが、小布施の記録によると初訪問は天保13(1842)年。この時北斎は83歳で、以後も85歳、86歳、そして89歳の時の都合4回、小布施に逗留(とうりゅう)したことが伝えられています。
 それは単なる観光旅行ではなく、絵を描くため。80歳を過ぎてから肉筆浮世絵にわが道を見いだし、死の間際までよりよい絵を描くことに執心した北斎は、小布施に何を求め、どんな足跡を残したのか……。
 謎多き北斎の行動を追うため、信州・小布施を訪れました。

 東京から新幹線に乗り、長野駅から長野電鉄に乗り換えて小布施駅へ。現在は時間的距離が非常に短くなっていますが、当時の江戸から小布施までの距離は約240㎞。山を越え、谷を越えの長旅は、老齢の北斎にとって過酷なものであったに違いありません。
 小布施に着いて最初に目ざしたのは、90歳で没した北斎が、その前年に完成したという巨大な天井画が残る「岩松院(がんしょういん)」です。小布施駅からからタクシーに乗って約15分。雁田山(かりだやま)の麓にある「岩松院」へ向かう道の周囲にはリンゴ畑やブドウ畑が広がっていて、信州らしいのどかさに包まれています。
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 そして、山懐に抱かれた「岩松院」の仁王門の前に立つと、逆光を背に受けた古刹の威容に気持ちも引き締まってきます。本堂に入り、大間の天井を見上げると、そこには、21畳分の大きなスペースに色鮮やかな鳳凰がいきいきと躍動する姿がありました。

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ど迫力に満ちた葛飾北斎筆の天井画『八方睨み鳳凰図』

 どこにいても、鳳凰の鋭い目に睨(にら)み据えられているように見えることから名付けられた『八方睨み鳳凰図』は、まさにその名の通りの迫力で見る者を圧倒します。
 高価な顔料をふんだんに用いて、下地に白土を塗り重ねて金箔の砂子(すなご)を蒔(ま)いた極彩色の鳳凰は、今にも動き出さんばかり。北斎最晩年の傑作を呼ぶにふさわしい偉容で迫ってくるようです。
 はたして89歳の北斎にこれほど大きな作品をひとりで描くことができたのかどうか……。
 多方面からの研究によると、色使いや構図は北斎作に間違いないとか。しかし、周囲の金砂子の部分に1か所、絵皿を置いたと思われる痕跡が残っているのがネックで、北斎がそんな間違いを犯すはずはないという理由から疑問が呈されているのだとか。
 現在はそれらを考え合わせて、北斎が描いたのは鳳凰の全体像と顔の部分だけで、ほかは娘のお栄(応為)らに任せたという説が有力になっています。ただしそれは北斎が老齢で行き届かなかったのではなく、次作に取り掛かるためだったというのですから、改めて北斎の作画の意欲に驚かされます。

天才的浮世絵師にして、世界で最も有名な日本人、葛飾北斎

岩松院

 北斎作の『八方睨み鳳凰図』であまりにも有名な古刹には、天井画を描くことをすすめた高井鴻山(たかいこうざん)筆の書が掲げられていて、小布施で育まれた師弟関係を今に伝えてくれています。境内には、この地に国替えとなった戦国武将・福島正則の霊廟があるほか、俳人・小林一茶が病弱なわが子への声援の句と伝わる「やせ蛙(がえる)まけるな一茶これにあり」と詠んだ「蛙合戦(かわずがっせん)の池」も。静寂の古刹では、小布施の文化的側面も垣間見ることができます。

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長野県上高井郡小布施町雁田 地図
026-247-5504 
岩松院ホームページ
拝観時間/9時30分~16時(4月~10月は17時まで、11月は16時30分まで 受け付けは終了30分前)法要および行事の日は拝観休止 
拝観料/300円 
アクセス/長野電鉄「小布施」駅より徒歩約30分、タクシーで約5分

写真/篠原宏明

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