Craft
2017.06.15

お召し列車の内装にも使われた!塩田の女子力が生んだ手仕事、赤穂緞通とは

この記事を書いた人

赤穂緞通

緞通(だんつう)とは大陸から伝わった絨毯の一種。厚みを生かした立体的な表情が魅力です。幕末の播州赤穂(兵庫県)に生まれた女性、児嶋なかが考案したと伝えられる赤穂緞通は、九州の鍋島緞通、大阪の堺緞通とともに日本三大緞通と呼ばれていますが、その興味深いところは、ひとりの女性が中国の万暦絨(ばんれきじゅう)に心奪われ、独自に技法を編み出したことと、塩田で栄えた赤穂の女性たちが、副業として緞通づくりに励んだところです。

みっしり詰まった木綿糸の毛足と、握り鋏で色ぎわを切り摘んで文様を際立たせる工夫が独特で、和洋折衷様式が広がった明治、大正時代には全国的に知られる存在となり、お召し列車の内装にも。しかし第二次世界大戦を境に競争力を失い、多くの緞通場(織場)が閉鎖を余儀なくされました。
dma-PH006-min
平成3(1991)年に織元を1軒残すのみとなったとき、赤穂市が伝統産業を守ろうと技術保存の講習会を発足。応募した200人超の女性たちの中から20人が選ばれ、一期生としてベテラン職人から技術を学び、次いで二期生も育成。以後は講習会の卒業生たちが自主的に後継者を育てて技術を継承しています。写真の緞通を制作した根来節子(ねごろせつこ)さんは一期生。「古い赤穂緞通を手元に置いて、それを先生に、常によりよいものを目ざしています」と言います。

技術を学んだだれもが、その魅力に取り憑かれてしまうという赤穂緞通。機をあつらえ自宅で織る人も増えています。今再び、女性たちの力で、伝統のわざが命を取り戻しているのです。

最新の実状報告

現在、赤穂緞通を伝承する会、赤穂緞通生産者の会、独立した個人工房などでそれぞれ織られている。詳しくはこちらから!

赤穂緞通を伝承する会

赤穂緞通工房ひぐらし

ホームページ:http://akodantsu.com/