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知っているようで実はよく知らない夏の風物詩、幽霊と妖怪の文化史

幽霊と妖怪はどう違うの?

「足があるのが妖怪、ないのが幽霊でしょ?」。そうばかりとも限りません。水木しげるの名作漫画『ゲゲゲの鬼太郎』や、近年の「妖怪ウォッチ」ブームを通して、物の怪全般についてわかったつもりになっていましたが、今回あらためてその違いを考えてみました。

現代の妖怪学における第一人者の小松和彦氏は、妖怪を「人びとが社(やしろ)や祠(ほこら)を建てて祭祀(さいし)する『神霊』のカテゴリーから排除された、どちらかといえば否定的なイメージを付与された霊的存在・現象」とし、幽霊を「妖怪のひとつ。それも死霊の特殊なタイプ」、つまり生前の姿で生者の前に現れる死霊と定義しています。同じ死霊でも、生前の姿ではなく、たとえば鬼の姿で人前に姿を現せば、それは幽霊でなく妖怪。妖怪というジャンルのなかに幽霊がふくまれると解説しています(『妖怪学新考──妖怪からみる日本人の心』小学館 1994年)。

DMA-錦絵「髪切の奇談」髪切の奇談 歌川芳藤(うたがわよしふじ) 髷(まげ)に嚙みつくヌボーとした黒い影。この怪物は、気づかないうちに人間の髪を切る「黒髪切り」というらしい。狐、または髪切り虫という妖虫が正体らしいが、到底そうとは思えない。女性が、着物をはだけて手足をバタバタさせている様子も妙にリアルだ。歌川芳藤は歌川国芳の門人。川崎市市民ミュージアム蔵

それに対し、近世文学・芸能史学者の諏訪春雄氏は、幽霊と妖怪は系統的に別種だと評しました。「妖怪は人間をとり巻く環境が生み出した自然神」で、縄文時代以来のアニミズムに根ざすもの。幽霊は弥生時代以来の祖先信仰に連なるものと説明します(『日本の幽霊』岩波新書 1988年)。また諏訪氏は神と妖怪との違いについて、神は「人間のほうから接触する霊的存在」であるのに対し、妖怪は「自分のほうから人間に接触する下級の霊的存在」だと定義しています。

実は江戸中期に描かれた「百怪図巻」、佐脇嵩之(さわきすうし)作ぐらいまでは、幽霊は妖怪のひとつでした。しかし、このころになると、幽霊の独自性が高まり、「主役が張れます!」とばかりに大いに注目を集めたのは、この時代に「幽霊画」という画題が成立したことと、怪談物の歌舞伎狂言が人気を博したことに深く関係しています。

円山応挙の幽霊画成立の謎

その幽霊画の基礎をつくったのが、江戸中期の絵師、円山派の祖として知られる円山応挙です。応挙の幽霊画には、「消えた足」「白帷子(しろかたびら)」「長い黒髪」「懐に入れた右手」「うつむき加減の優しげな表情」「背景はほとんどなく、状況説明がない」などの特徴があります。しかし応挙は、こうした幽霊美女の発想をどこから得たのでしょうか。

寛文13(1673)年刊の古浄瑠璃本『花山院(かざんのいん)きさきあらそひ』の挿絵には足のない幽霊があり、岩佐又兵衛の「山中常盤物語絵巻(やまなかときわものがたりえまき)」には死装束をまとった気品のある幽霊が出てきます。また中国故事「反魂香」のイメージも、応挙に影響を与えたと指摘されていますが、これらと応挙の幽霊画との関係は、いまだ明らかではありません。

応挙が生まれる前、元禄3(1690)年の『死霊解脱物語聞書(しりょうげだつものがたりききがき)』、いわゆる累ヶ淵(かさねがふち)の怪談では、累の怨霊は醜く怪異な容貌で表されました。応挙の死から約30年後にブレークした「東海道四谷怪談」のお岩さんも、18世紀後半にはすでに怪談話として定着していたので、少なくとも応挙が生きた時代にはグロテスクな幽霊のイメージがあったといわれています。
 
しかし応挙は、こうした物語の描写を排除し、幽霊を美的アイコンとして描くことで、博物学的モチーフからアート表現の対象へと変化させました。歌舞伎の怪談ブームが多様な表現を生み、幽霊画というジャンルは太い幹へと育っていったのです。

「幽霊」と「妖怪」を徹底比較してみました!

-妖怪-
源頼光公館土蜘作妖怪図(みなもとよりみつこうやかたつちぐもようかいをつくるのず)-歌川国芳

名称未設定 1早稲田大学図書館蔵

国芳作品の一番の問題作で、平安末期の武将、源頼光が化けもの退治をする伝説のワンシーン。左上の奇妙な妖怪たちが、かの有名な天保改革の犠牲者の見立てではないかとの噂が立ち、幕府を風刺した絵として売れに売れたという。版元はあまりの反響に腰が引けて、この絵を自主回収したというオチがつく。

妖怪ポイント1 歴史は古く、平安時代から「物の怪」と呼ばれていました

日本の妖怪の多くは、身の毛がよだつような怖さよりファニーな感じ。室町時代に描かれた御伽草紙の「百鬼夜行絵巻」を見ても、ペットのようにあどけない姿ばかり。妖怪は弱い人間に対して自分のほうから接触する。

妖怪ポイント2 河童は川に、天狗は山に。特定の場所が好みです

妖怪は、人間とは似ても似つかぬ姿かたちをしていて、特定のスポットの「精霊」として語られることが多い。草木河川といった自然のそれぞれになわばりがあって、その土地固有の伝説づくりに寄与している。

妖怪ポイント3 超現象にかかわる何かの役目をもっています

古代では生物や無生物にかかわらず、自然物にはすべて精霊が宿っていると信じられてきた。妖怪と神の役割は同じ。だれのせいにもできない災禍(さいか)は、人間を超越した存在のせいにすると納得できたのかも。

妖怪ポイント4 脅かす人を選びません。けれど、ときどき人の命を奪います

善人であろうが悪人であろうが、妖怪には関係なし。いわば神のように妖怪の出現は気まぐれ。いたずらに近いちょっかいから、幾人もの人命を奪う災いも引き起こす。そこが妖怪のやっかいなところだ。

-幽霊-
幽霊図-渓斎英泉(けいさいえいせん)

福岡市博物館蔵 画像提供 福岡市博物館 DNPartcom

美しい女性の生首の髪を、手首に絡ませる幽霊。こちらを描いたのは、江戸後期の浮世絵師、渓斎英泉。英泉は文政年間(1818〜30)を中心に妖艶で退廃的な美人大首絵を描いて人気を博した。焦点の定まらない目つきや、口やあばらにべったりと張り付いた血糊の表現が秀逸で、トップクラスの怖さ。何も生首をぶら下げなくてもよさそうなのに……。

幽霊ポイント1 特定の人に憑きます。浮気はしません

幽霊は、現世に未練があるまま死んでいった人が化けたもの。だから未練をつくった本人や関係者の前にしか現れない。望みやグチをきちんと聞いてくれて、未練が解消されたら姿を消す。粗雑に扱うのはNG。

幽霊ポイント2 決めポーズは「懐手」。それも必ず右手

江戸時代の「百怪図巻」の雪女は、下腹に右手を当てている。それは人間との間の子供がお腹にいることを暗示する、との説がある。懐に右手を入れた幽霊像を描きはじめたのも円山応挙といわれている。

幽霊ポイント3 姿かたちは人間そっくり。生前の姿で現れる死霊です

生前とまったく違う姿では、恐怖の効果が半減する。亡くなったときの衣装で、ホラーを感じさせる髪型や顔つきであることも重要だ。ごっそりと髪を抜けさせたり、目を腫らしたりして、視覚効果を上げることも。

幽霊ポイント4 足がありません。浮遊感にあふれた存在です

「神霊になった人間は宙に浮いて飛行できる」「仏画の来迎図(らいごうず)に由来」「亡者(もうじゃ)は地獄で足を切られる」など、幽霊の足がない理由はさまざま。はっきりしているのは下半身を消すことで、亡霊というカテゴリーがより鮮明になり、現世とあの世との差別化に成功したということ。

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