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2019.09.17

「やちむん」は沖縄の焼き物。歴史と特徴を徹底解説!

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沖縄の焼き物・やちむんとはどんなうつわでしょうか。この記事では、やちむんの歴史や作品、窯元を紹介します。

やちむんとは?特徴を解説

沖縄の青い海や空、豊かな自然を写したような焼き物

沖縄では焼き物のことを「やちむん」と呼びます。その美しい色や伸びやかな形を眺めるだけで心が躍る。沖縄の自然と風土が生んだ「やちむん」、まずはその成り立ちを紐解きましょう。

DMA-150508-0789写真/琉球王国時代、貴族の宴席の様子を描いた「琉球風俗図」(那覇市立壺屋焼物博物館蔵)より。マカイ(碗)など陶器を使用している様子が描かれている。

やちむんの歴史

素朴な美しさと品格を併せもつ沖縄の焼き物「やちむん」。その歴史はいつから始まったのでしょう。
かつて琉球と呼ばれた沖縄は、中国の清や東南アジアの国々と貿易を行う、優れた交易国でした。14世紀後半から、酒甕(さけがめ)や碗など多くの陶器を輸入し始め、1429年に「琉球王国」が誕生してからもそれは継続。転換期となったのは、1609年、薩摩の島津藩が琉球を支配下に置いたときからでした。
「1616年、薩摩から招聘した朝鮮人陶工が、琉球の湧田村(わくたむら)で製陶技法を伝えたのが、沖縄の陶器生産の始まりだとされています。これらは無釉・低温焼成の焼き物で、〝アラヤチ〟と呼ばれました。その後、紋様や絵付けを施して釉薬をかける〝ジョウヤチ〟が成立したと考えられています」
と話すのは、「那覇市立壺屋焼物博物館」主任学芸員の倉成多郎さん。その後も本島の各地に窯場がつくられ、陶工たちは海外の碗や酒器を真似たりしながら、独自の焼き物文化を築きあげていきました。1682年には、点在していた窯場が那覇中西部にある牧志村(まきしむら)の壺屋(つぼや/焼き物産地の意)に集められ、琉球屈指のやちむんエリアが誕生。ここで焼かれる陶器は壺屋焼(つぼややき)と呼ばれるようになったのです。
そして17世紀から1879年の廃藩置県まで、つまり琉球王国の時代にさまざまな陶器が生まれます。これらは〝琉球古陶(りゅうきゅうことう)〟と呼ばれることも。
「主につくられたのは、マカイ(碗)など実用の食器と、嘉瓶(ゆしびん)や瓶子(びんしー)といった沖縄独自の儀式儀礼のための酒器。形のゆがみや、制作過程でついた指跡のような偶然性も楽しむようなところが特徴です。これは、紅型(びんがた)や琉球漆器など華やかさと繊細さを追求する感性とも違う、〝沖縄のもうひとつの美意識〟でしょう。ひとつの文化に異なる美意識が共存するのが、沖縄工芸の面白さだと思います」(倉成さん)
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民藝運動とやちむん人気

大正時代に入ると県外への輸出も意識され始め、華やかな装飾を施し、〝琉球古典焼(りゅうきゅうこてんやき)〟も生まれます。そして昭和10年代、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)や陶芸家の濱田庄司(はまだしょうじ)ら民藝運動の立役者が壺屋焼に出合い、本土へ広く紹介。現代まで続く「やちむん人気」の礎を築きました。現在は、民藝的な世界観だけにおさまらない作家や、数百年前の古陶に手本を求める職人も。「やちむん」の可能性は広がり続けています。
DMA-沖縄やちむん_P175写真/那覇市内の壺屋でろくろをまわす陶工を移した写した戦前の写真。柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎(かわいかんじろう)らが何度も訪れたことで、本土でも壺屋焼が注目された。(写真提供/那覇市立歴史博物館)

大嶺實清さんの現代の暮らしを彩るやちむん

鮮やかな色、シャープなフォルム、そして、強くてまっすぐな太陽の光をも跳ね返すようなみずみずしさ!
80歳を超える陶芸家・大嶺實清(おおみねじっせい)さんの工房があるのは、沖縄本島の中部・読谷村(よみたんそん)に広がる「やちむんの里」。20近くの窯や工房が点在する集落です。今ではうつわ好きに人気の観光エリアにもなっていますが、そもそもの始まりは、1980年に大嶺さんを含む陶芸家4人が共同で築いた登り窯。沖縄独自の「ゆいまーる(相互扶助)」精神で始めたこの共同窯は今も現役で、大嶺作品のほとんどがここで焼かれています。
150508-0436写真/沖縄という島の美しさ、おおらかさが表れた、みごとなブルーの鉢。大嶺工房作、30,000円。

大嶺さんのやちむんの魅力

「このブルーの器、いい色でしょう。でも、この青がなかなか出ないんだよ。専用の窯をつくれば、いつでも出せるんだろうけど、それじゃあつまらない。思う色に焼けたりダメだったりするのが面白いんだから」
そう言ってカラカラと笑う大嶺さん、実は30代まで現代アートの世界にどっぷり。1960年代に画家を志して京都へ移り、当時のアートシーンを賑わしていた前衛美術「具体(ぐたい)」や伝説の陶芸集団「走泥社(そうでいしゃ)」に傾倒していたそうです。沖縄へ戻って焼き物を始めたのは、京都の古道具屋で琉球王国時代の陶器に出合ったのがきっかけ。
「沖縄の古い焼き物にはずいぶんのめり込んだけど、中国の器や日本の茶陶に美しいものがたくさんあることも京都で学んでいた。だから、沖縄の伝統にとらわれすぎず、美しいと思うものを美しくつくれるように努力しよう、そう思ったんだね」

大嶺さんのやちむんづくりで大切にしていること

その思いは今も同じ。人生に刺激を与えるアートとしての焼き物と、使うことが喜びにつながる日用の食器とを、どれだけ近づけていけるかが課題だと話します。そのための指針のひとつが、沖縄の自然に寄り添ったものをつくること。ブルーの絵付けには琉球列島の古い地層から採れるマンガンを用い、白い器の釉薬は琉球石灰岩が主原料。土も、山の中や川底から採った原土を使うことが多くなったとか。
「大地とともに何百年もの時間をかけて、風化し続けてきた土が好き。そんな土で焼き物ができるのは本当に尊いこと。僕は沖縄の小さな島で育ったんだけれども、風化した土に、島の原風景やにおいを感じているんです。うっそうとした森があって沢が流れ、家の屋根はススキの草葺きで。かけがえのない自然の美しさを、焼き物を通して若い連中に残したいのかもしれません」
DMA-150508-0571大嶺實清(おおみねじっせい)
陶芸家。1933年沖縄県生まれ。1970年首里城北の丘に「石嶺窯(いしみねがま)」を築窯。1980年、読谷村に共同窯「読谷山窯(よみたんざんがま)」を築く。沖縄県立芸術大学名誉教授。沖縄県公文書館ロビーなど、公共建築の陶壁も数多く手がける。

b写真左上/「琉球の白です」と大嶺さんが言う、真っ白な台皿。直径約30㎝、30,000円。
写真右上/緑の野菜が似合いそうな皿。5,000円~10,000円。
写真左下/大嶺さん作のシーサー。愛嬌のある表情が魅力。つくるはしから売れてしまう人気作品。一対で250,000円~。
写真左下/訪れた客には大嶺工房の陶器でコーヒーがふるまわれる。今日のお茶うけは黒糖。ざっくりした陶板は30,000円。

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大嶺さんの作品を購入できるお店

やちむんの里・読谷山窯「ギャラリー囍屋(きや)」
工房に併設された「ギャラリー囍屋」。半屋外の回廊にはベンチがあり、自由にくつろげます。實清さんの作品のほか、3人の息子の作品も購入できます。
沖縄県中頭郡読谷村座喜味2653-1 10時30分~18時 不定休 

※掲載の商品は現在制作されていないこともあります。価格は変更になる場合もあります。

そのほかの歴史あるやちむんをご紹介

やちむん・琉球古陶/按瓶(あんびん)

水汲みや釜に水を差すときに使われたもの。持ち手と本体が一体となっているのが特徴。19世紀作(那覇市立壺屋焼物博物館蔵)
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やちむん・琉球古陶/マカイ

碗のこと。高さが低めで口が広い。この17世紀の鉄絵灰釉碗(てつえかいゆうわん)は、中国南部の碗をうつしたもの(那覇市立壺屋焼物博物館蔵)
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やちむん・琉球古陶/嘉瓶(ゆしびん)

祝いの席で泡盛を入れるのに使った19世紀の酒器(那覇市立壺屋焼物博物館蔵)
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やちむん・琉球古陶/抱瓶(だちびん)

行楽時などに提げた携帯用の酒器。腰のラインに沿う三日月形をしている。19世紀(那覇市立壺屋焼物博物館蔵)

やちむんの博物館情報

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那覇市立壺屋焼物博物館
沖縄県那覇市壺屋1-9-32 10時~18時(最終入館30分前) 月曜休館(祝日の場合開館/7月6日~13日臨時休館) 観覧料350円(税込) 

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撮影/篠原宏明