画聖・雪舟は二人いたのか?日本画ミステリー

画聖・雪舟は二人いたのか?日本画ミステリー

目次

日本美術史には、様々な解き明かされていない謎があります。

最近話題の伊藤若冲は、あれだけ多彩な技法を、しかもあれだけの緻密さで本当にひとりで描いたのか?  琳派の祖=俵屋宗達の正体は? そもそも宗達という人物は本当に存在したのか?   よくいわれてきた、有名な写楽の正体に関する謎等々・・・。研究が進むにつれ、学説が変わり、常識が変わり、私たちが学生時代に習ったのとは違う作者の作品だと判明することも、ままおこっています。

そしてそんな”日本美術ミステリー”の中でも最大級のものが、画聖と呼ばれる雪舟に関わるものです。

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*写真下は『四季山水図巻』(重要文化財 京都国立博物館)

雪舟は、室町時代、1420(応永27)年、備中の国(現在の岡山県総社市)に生まれました。その後はっきりした年代はわかっていませんが京都に移り、相国寺で絵を学ぶことになります。35歳頃には、大内氏の城下町として、当時「西の京」とまでいわれて栄えていた防州山口に居を移しました。そして1467年(応仁元年)、48歳にして遣明使に従い中国へと渡り、その絵の才能を大きく開花させるきっかけを得たようです。

1506(永正3)年、87歳で天寿を全うした雪舟。正式には雪舟等楊(せっしゅうとうよう)といいます。

同じく「せっしゅうとうよう」と名乗った
もうひとりの絵師の正体は?

ところが同時期に、同じ山口に拙宗等揚という、まったく同じ「せっしゅうとうよう」という名の絵師がいたというのです。

雪舟と拙宗。そしてなんといっても等楊と等揚。雪舟の方は木偏の楊で、拙宗の方は手偏の揚。こりゃあ、どう考えたって同じ人物と思ってしまうのですが、かつては別の人物だと考える説の方が強かった時代もあるようです。

その根拠は、雪舟等楊と拙宗等揚で、あまりにも絵が違うからなのだとか。

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しかし現在では、このふたりは同じ人物であったというのが主流の学説になっているようです。岡山から京都に移り、相国寺で「拙宗」という名をもらった男が、山口に移った後の38歳頃から「雪舟」と名乗るようになる。そして中国へと渡り、彼の地の絵の影響を受けて、いっきに才能をバクレツさせる。それがきっかけとなって、画聖へといっきに上り詰めたということになるのでしょうか。

雪舟・拙宗、同一人物説に切り込む
かつてない興味深い展示

さて、前置きが長くなりましたが、そんな画聖=雪舟を取り巻く様々なミステリーに切り込んでくれた展覧会が、現在、東京南青山の根津美術館http://www.nezu-muse.or.jpで開催されています。

「特別企画 若き日の雪舟」がそれです。

*写真下は、雪舟作品展示室を、アンドリュー360度撮影

Post from RICOH THETA. #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA

今回の展覧会は、「雪舟、拙宗同一人物説」に従い、いくつもの絵を比較しながらその秘密に迫っています。そのため、これまでの美術展とはひと味違って、「作品自体を鑑賞する」部分と「比較しながら謎解きをする」部分の、ふたつの楽しみがある展覧会になっています。

この同一人物説に従って説明すると・・・。

出展された作品の多くは、雪舟が、拙宗と名乗っていた山口在住時代のもの。内覧会で説明に立たれた学習院大学の島尾新教授の説明によると、「雪舟は器用な画家ではなかった」が、同時に「雪舟になる前の、拙宗の時代から(絵に対して *編集部加註)強い思いを持っていた人」であったそうです。

中国に渡り、最先端の絵を学び、苦悩と模索の末に新たな自身の絵の世界を確立。その若き日の雪舟を知ることができるのが、この山口にいた頃の拙宗時代の絵だというのです。

ディテールをみると拙宗の絵の中に
”雪舟の萌芽”がみて取れる!

今回の内覧会では、多くの美術関係のジャーナリストたちが、複数の絵を行ったり来たりしながら、比較してディテールを確認している姿が印象的でした。

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*写真上、左が『四季山水図(夏景)』(重要文化財 東京国立博物館)、右が『山水図』(重要文化財 京都国立博物館)

雪舟等楊の『四季山水図』(重要文化財  東京国立博物館)と、拙宗等揚の『山水図』(重要文化財  京都国立博物館)との比較。四幅対の『四季山水図』の内、現在(会期前半)は夏景の軸が展示されていますが、6月21日から展示される春景に描かれている驢馬(ロバ)に乗る人物の描き方と、拙宗等揚が描いた京博の『山水図』の中の驢馬に乗る人物の描き方が、酷似しているというのです。

そこからも、雪舟、拙宗同一人物説は揺るぎないものだということになるようです。

島尾教授は「既に38歳の拙宗の絵には、部品はできていた」という説明をされました。ディテールの人物や動物、風物の描き方は、画聖・雪舟の域に既に達していたけれど、全体の構成や遠近感の出し方など、トータルの世界観が拙宗時代の絵にはまだない。それが中国に渡って、絵画の最先端の地=中国の空気に触れ、絵師としての才能に大きな化学変化が生まれたのでしょうか。

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雪舟が中国にいたのは、わずか3年にも満たない、実質2年ほどのことと言われています。中国に渡ってわずか1年くらいで描いた『四季山水図』の雄大な画風をみるときに、「すでにこれくらいの絵を描く素地は、雪舟に備わっていたのだろう」とみることができるのだとか。そういう観点で、作品をみると、また違った感慨が生まれてきます。

島尾教授はもうひとつ、根津美術館蔵の拙宗等揚の『山水図』を例にとり、拙宗から雪舟への飛躍を説明くださいました。根津美術館蔵の『山水図』では画面中心を雲で覆い隠しているのですが、中国で描いた『四季山水図』では画面中央に印象的で力強い、主題となるような山を描いていることに着目。

画面中心を雲や霞で覆う描き方は、当時の日本の山水画の主流だったそうですが、ある意味、眼線がいく中心位置を霞でごまかしていると言えなくもない。それに比べ絵の中心に堂々と主題を配する山水画は、中国の空気に触れそれまでの苦悩を一気に吹き払うかのような雪舟のパワフルさを感じます。

なんとも興味深い比較です。

大阪の正木美術館蔵の『潑墨山水図』(重要文化財  拙宗等揚)も出展されていますから、雪舟、拙宗の4点の山水図を、構成、ディテールと比べてみているだけでも見飽きることのない展覧会でした。

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*写真上、右が『潑墨山水図』(重要文化財 正木美術館)、左は『山水図』(重要文化財 京都国立博物館)

今回の展覧会では他に、現存するか不明とされていた『芦葉達磨図』(アメリカ、スミス・カレッジ美術館蔵  拙宗等揚)の初公開や、かつて牧谿作と言われていたのに1991(平成3)年に拙宗等揚作と判明した『潑墨山水図』(根津美術館)なども出展。

日本画、謎解きミステリー満載の展覧会となりました。

*写真下、右端が『芦葉達磨図』(アメリカ、スミス・カレッジ美術館)、中が『芦葉達磨図模本』(林教屑筆 東京国立博物館)、左が『出山釈迦図』(岡山県立美術館)
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雪舟は、日本美術の中でも特に人気の高い絵師です。京都国立博物館の『天橋立図』や、東京国立博物館の『秋冬山水図』などは特に有名で、美術展出展の度に大きな人気を集めます。

雪舟と拙宗。

同一人物だとすると、この画聖の名をほしいままにした日本美術史上の巨人にも、もがき、苦しみ、絵と格闘していた時代があることを、今回の美術展で知ることができます。

同時展示では、あの国宝!
『鶉図』も出展! 見逃せません!

今回の展覧会では、同時に2階の展示室で、国宝の『鶉(うずら)図』、重要文化財の『瓜虫(うりむし)図』も展示されますので、雪舟、拙宗の名作(重要文化財4点を含む)とともに、日本美術ファンには堪えられない、必見の展覧会となっています。

会期は7月10日まで。6月21日からは『四季山水図』が夏景から春景に変わる展示替えもあります。同時展示の「コレクション展  鏡の魔力」、しっとりと雨音が聞こえてきそうな茶道具をそろえた「雨中の茶の湯」の展示も見応え十分。

エルニーニョからラニーニャへ・・・と例年になく暑い夏を予感させる東京ですが、雪舟&拙宗の水墨画+銅鏡+茶道具で、心は涼やかに・・・いかがですか?

画聖・雪舟は二人いたのか?日本画ミステリー
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