国宝・聖林寺 十一面観音とは?名物 庖丁正宗とは?

国宝・聖林寺 十一面観音とは?名物 庖丁正宗とは?

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

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各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は破壊をまぬかれた天平の美仏、「聖林寺十一面観音」と徳川家伝来の名刀、名物 「庖丁正宗」です。

力強い慈悲の姿 「聖林寺十一面観音」

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十一面観音菩薩は、慈悲の仏である観音菩薩が、衆生を救うために変身する変化観音の一種で、頭上に11の顔をもちます。奈良時代以降、除厄の御利益のある仏として信仰されました。

奈良県桜井市にある聖林寺の「十一面観音菩薩立像」は、もとは同市内に鎮座する大神神社の神宮寺・大神寺に祀られていた仏像です。神宮寺とは、神社に付属して建てられた寺院のこと。大神寺は奈良時代にはすでに存在しており、鎌倉時代後期に寺号を大御輪寺に改め、十一面観音像を本尊としていました。

慶応4年(1868)の神仏分離令で、仏像や仏具を破棄する廃仏毀釈の嵐が起こり、大御輪寺も廃寺になります。幸い本像は聖林寺に移されて、破壊や国外流出の難を逃れました。聖林寺の「十一面観音菩薩立像」は、奈良時代後期から平安前期にかけてさかんに用いられた木心乾漆造による、天平様式の仏像の代表例です。均整のとれた量感のある姿、衣の自然なカーブ、微妙に変化した手の表情は、この技法ならではの表現といえます。

高価な漆と高度な技術力が必要な木心乾漆造の仏像であることと、その出来栄えの見事さから、造像には国の中枢にいた人物が関わったと推測され、東大寺の造仏所で造られたと考えられています。東大寺の造仏所とは、東大寺造営のために設けられた「造東大寺司」の下に組織された、仏像製作のための官営工房です。ここには高い技術水準を備えた選りすぐりの仏師が集められ、数多くの優れた仏像が造られました。

造像に関与した人物としては、天武天皇の孫・文室浄三の名前が挙がっています。浄三は聖武天皇らに重用され、東大寺の要職にあって、造東大寺司にも影響力があったと思われる人物。天平宝字6年(762)頃に浄三が大神寺で経典の講義を行なっており、本像の造像もこのころという説があります。

目鼻立ちのはっきりした顔、厚みのある胸に絞られたウエスト、魅惑的な指先、見る人を魅了する聖林寺の「十一面観音菩薩立像」は、天平時代のエリート仏師らの手によって造られたのです。

国宝プロフィール

十一面観音菩薩立像

8世紀後半 木心乾漆造 漆箔 像高209.1cm 聖林寺 奈良 写真/飛鳥園

天平時代に木心乾漆の技法で造像された十一面観音菩薩立像。江戸時代までは大神神社の神宮寺・大神寺(大御輪寺)に伝来したが、明治の廃仏毀釈の影響を受けて、聖林寺に移された。優れた完成度から官営工房の作と推定されている。

聖林寺

天才刀工の傑作 名物 「庖丁正宗」

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日本刀の代名詞にもなっている正宗は、鎌倉時代末期から南北朝初期にかけて、相模国(神奈川)鎌倉で活躍した刀工です。鎌倉鍛冶の始祖・新藤五国光の弟子で、同地の刀工・藤三郎行光の子とされ、生没年は不詳。相模国で作られる刀「相州伝」の作風を確立しました。

国宝に指定されている正宗の刀9口のうち、5口が短刀ですが、そのなかの3口(徳川美術館・永青文庫・法人蔵)が「庖丁正宗」という同一の名で呼ばれています。身幅が極端に広く、姿が包丁に似ていることからこの名があります。今回で取り上げるのは、徳川家康が所持し、家康の死後、尾張徳川家に贈与された庖丁正宗です。

平安時代の刀は、優雅で気品のある太刀(湾刀)が主流でしたが、鎌倉中期の文永・弘安の役のころには、より実戦に適した戦闘用の太刀や、接近戦用の短刀へと移行していきました。短刀は1尺(約30㎝)以下の刀を指します。腰刀とも呼ばれ、武士は戦時だけでなく、平時も護身用に身につけました。

正宗の特徴は、よく鍛えられた「青淵」と呼ばれる地鉄が青く底光りし、ゆったりとした波状の刃文や、詰まった「地沸」の微粒子が美しくきらめいているところにあります。庖丁正宗には、正宗の真髄が遺憾なく発揮されています。

正宗の刀の評価は、時代が下るとともに高まっていきました。江戸時代には主従間での刀剣の贈答が盛んとなり、正宗が最高の献上品となります。家康のもとには諸大名から献上されたものを含め、正宗が18口あったと記録されています。享保4年(1719)、8代将軍徳川吉宗が刀剣鑑定の本阿弥家に作成させた名刀のリスト「享保名物帳」には約250口の名刀が記載されていますが、うち正宗は59口(現存41口)と群を抜いて多く、正宗がいかに高く評価されていたかをうかがわせます。なお、この「享保名物帳」に記載されている刀は、「名物」と総称されています。

正宗は多くの弟子を育成しました。彼が完成させた相州伝の作風は全国各地の刀工に模倣され、後世の刀工たちに多大な影響を与えていったのです。

国宝プロフィール

名物 庖丁正宗

鎌倉時代(14世紀) 1口 刃長24.1cm 元幅3.6cm 徳川美術館 愛知

14世紀前半の鎌倉で活躍した刀工・正宗が制作した短刀。「庖丁正宗」と呼ばれる短刀は3本現存している。そのうち徳川美術館の庖丁正宗は、将軍家康が所持していたもの。刀身に剣が透し彫りされていることから、「ほりぬき正宗」とも呼ばれてきた。

徳川美術館

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